釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

初夏の晴れた日に

2018-06-07 19:18:03 | 文化
昨日、近畿から関東甲信まで一斉に梅雨入りとなったようだが、岩手は晴天の気温25度以上の夏日となっており、内陸の盛岡や北上は30度を超える。四国で生まれながら、北海道に少し長くいたせいか、夏の暑さに耐えられなくなった。愛知県から岩手県に引っ越しした当初は、夏の涼しさに喜んだが、それも身体が次第に慣れて、今では岩手の夏も暑く感じるようになった。たまに大阪や東京の方から、釜石も雪が大変でしょう、と言われる。岩手に引っ越す前には自分でもそう思っていた。しかし、釜石は同じ東北でも別天地で、雪は積もらない。動植物の豊富さを考えると、東北は人の身体にも年間の平均気温がちょうどいいのかも知れない。今朝も早くから近所でウグイスが鳴き、職場の窓からも日中にウグイスの声が入って来た。近くの山道に入ると、必ずホトトギスの声が聴こえて来る。日射しの強くなったところを避けて、日影に入ると、今はそれでもまだ涼しさを感じさせてくれる。社会的存在の人間である以上、年間で何度かは心身の疲れを感じることがある。そんな時に、近くの川の流れの音やカジカガエルの声、庭の山野草の花、ウグイスやホトトギスの声に癒される。若かりし頃の音楽も時には癒しになるが、やはり自然が一番だ。その自然の素晴らしさを教えてくれたのは北海道ではなく、この東北だ。北海道には広大な自然があるが、豊かさと言う点では、東北がはるかに勝る。まして釜石はすぐそばに豊かな海も山もある。それでいて雪が積もらないとなると、これほど素晴らしい東北はないだろう。残念ながら、そのことを地元の人が気付いていない。釜石は人口がわずか3万5000人ほどの小さな街で、高齢化率が高く、今後もさらに高まって行くだろう。かっての新日鉄の城下町で、一頃は人口10万人近くになっていて、県下一の近代的な場所であったそうだ。今ではその趣も失われている。震災後の復興事業が続いているために全国からたくさんの人がやって来ているが、それも数年内のことで、その人たちがいなくなれば、疲弊しきった街が残るだけだろう。釜石を見ていると、まさに日本と言う国の縮図に思えて来る。これまでの産業に執着し、世の中の大きな変化に目を向けない。日本にも釜石にもいいものはまだまだある。それを生かさないで、むしろなおざりにしている。以前、震災直後に高校生が市長に無くなったカラオケを誘致して欲しいと要望した。その後、進出したイオンモールの中にカラオケが出来た。先日、職場の近所を歩いていると、市長杯争奪カラオケ大会のポスターが貼られていた。個人の楽しみとしてカラオケを否定しないが、行政がそれに関わることに何かが失せてしまう。今は日本の歴史で言えば、ちょうど幕末の頃に似ているのかも知れない。江戸幕府は財政難に窮し、統治力を失った。動乱を経て維新となり、良くも悪くもともかく日本が再生された。
裏山のジギタリスの花

同じ主因で噴火するRing of Fire

2018-06-05 19:22:23 | 科学
日本列島には4つのプレートが関与しているが、中でも地震や火山噴火に影響する主たるプレートは太平洋プレートである。太平洋プレートの東端は米大陸の沖合にあり、そこは東太平洋海嶺と呼ばれる。東太平洋海嶺は中央海嶺と呼ばれる海嶺で、地下からマントルが上昇して来ているところで、何千kmも続く海底山脈を生み出し、その両側のプレートをそれぞれ反対方向へ広がらせて行く。太平洋プレートはこの東端から西に向けて動き、東太平洋海嶺の東側の北からココスプレート、ナスカプレート、南極プレートを東方向へ広げている。太平洋プレートは北米のアラスカからロシアのカムチャッカ半島などの沖合、日本列島で北米プレートと接している。従って、リング・オブ・ファイアRing of Fire(環太平洋地震火山活動活発地帯)における地震と火山噴火の主因はこのマントル上昇が見られる東太平洋海嶺にある。今月3日、中米グアテマラのフエゴ火山が過去500年で最悪の噴火を起こした。火砕流に見舞われた村では、被災者の捜索が続き、数十人の犠牲が出ると見られている。2月にはインドネシアのシナブン火山で、近年最大の噴火が起きている。また、昨年9月に始まった南太平洋のバヌアツにあるアオーバ島では噴火がなお続き、ついには島は永久に放棄されることになった。4月20日には日本でも西暦1768年以来250年ぶりに霧島連山の硫黄山が噴火した。日本では今年に入り、1月に桜島、草津白根山が、3月に諏訪之瀬島、新燃岳がすでに噴火している。一見、距離が離れていて、無関係に思える火山噴火だが、太平洋プレートの動きを考えれば理解出来る。地震も火山噴火もプレートの動きによる圧力がエネルギー源となり、そのエネルギーの蓄積期間が長くなればなるほど、エネルギーが解放される時は、大規模となる。今、日本で最も心配されるのは、1707年の宝永大噴火を最後に鎮まっている富士山である。また富士山の近くにはカルデラ噴火を起こした箱根火山があり、13世紀の大噴火を最後にこちらも鎮まっている。鎮静期間の長い火山は要注意である。これまでも何度か書いたように琉球大学の木村政昭名誉教授は、独自の分析で、2019年までに富士山が噴火すると見ておられる。4年前に木村名誉教授は、現在活発に噴火活動しているハワイのキラウエア火山が噴火し始めた際に、「キラウエア火山が乗る太平洋プレートは、ハワイの東を南北に走る東太平洋海膨から発している。この海膨でマントル対流が地球内部から昇り、東西の両側に割れて出ている。この東側がナスカプレートで、西側が太平洋プレート。キラウエア山が活発に活動しているということは、当然、日本にもプレッシャーがかかっているということです」と述べている。(海膨と海嶺は同じである)
近所の庭に咲く山法師

自己満足のブログ

2018-06-04 19:10:26 | 文化
週末から今日も晴天が続いた。日射しはもうすっかり夏の日射しになっている。ただ、幸い風が涼しい。日影に入ると少し肌寒くさえ感じた時がある。岩手県は北海道に次ぐ広さで、北海道と同じく、沿岸部だと隣の市へ行くにも山間部を通らなければならない。その山間部はこの時期とても気持ちがいい。木々の緑が映えて、所々に白い花が咲く。よく見ると花水木そっくりの山法師が、まるで木に蝶が群がるように咲いている。そんなところの日影に車を止めて、窓を開けると、涼しい風が入り、近くからはホトトギスの声が聴こえて来た。2007年12月14日に愛知県の岡崎市から釜石へ転居して来た。雪のない東北に驚き、冬を越して春が来ると、花々が咲き、山菜や動物の多さにも驚いた。その驚きからあらためて東北を見つめ、都会とは違って喧騒のない地方で、日本や世界のことを考えた。思いついたことを2008年8月17日からブログに書きはじめた。誰かに見られることなど気にしないで、思い通りに書き綴った。しかし、震災直後には思いの外たくさんの方が訪問して下さった。その後、一旦訪問される方が減少したが、もともと大学での知識もあり、気になる日本や世界の経済状態を書くようになると、再び訪問される方が増え、昨日は初めて500人を超えた。東北は豊かな自然に囲まれるが、さしたる産業もなく、高齢化も早い。毎日、目にする風景はほとんど変わらない。世の中はまるで変わらないかのように見える。しかし、周りの自然と同じく、世の中も日々変化している。ブログを書きはじめた頃は訪問して下さる方のことは気にしなかったが、やはり最近のように数が増えると、何を見に来て下さるのか気にしないではいられなくなる。とは言っても、所詮は素人のブログゆえ、あまり気にしないでこれまで通り、自分のためのブログとして書き綴らせていただく。日々自分で関心のあることを、自分が納得出来るだけ調べて、それをただ書き綴って、自分のために残しておく。東北の自然は癒しを与えてくれるが、今、世の中は大きく変わろうとしている。それを日本のメディアは特に報じない。いつの時からか、他国の記事を見るようになった。多くは米国の記事だが、時にはロシアの英語記事を見ることもある。ロシアの記事は中東や中国のことが書かれていることが多い。無論、数は少ないが日本でも貴重な記事を書かれている方がいる。それらを読んで、ただ心に浮かぶ通りに書き綴っている。ほとんど見直しをしないので、誤記も多いかと思う。気楽に書かなければ、長く続けられなくなるので、常にただ心に浮かぶに任せている。自己満足でしかないブログゆえ、趣味の写真もまた自己満足で載せている。先週はイタリア問題が浮上したが、欧州ではイタリアそのものよりもその影響がドイツ、特に75兆ドルと言われるデリバティブ金融商品を保有するドイツ銀行Deutsche Bankへ波及していることだ。先週金曜日には米国の格付け会社がドイツ銀行の格付けを一段引き下げた。欧州発の金融危機が起きるとすれば、火種はドイツ銀行にある。物の貿易以上にグローバル化している金融は必ず世界に及ぶ。しかも、今や世界は歴史始まって以来の膨大な債務を抱えている。中央銀行と政府が一体となり、長い超低金利時代を生み出し、超低金利による巨大債務とその上に築かれた資産バブルが世界に蔓延している。世界中実質賃金は上がらず、実体経済の悪さを資産バブルが覆い隠しているだけである。資産は個人であれ、企業であれ、「持てるもの」だけに集中する。それが今の世界だ。持続不可能な超低金利は、いずれ遠からず世界経済を壊滅状態に追い込むだろう。
山に自生する山法師

ソ連の崩壊

2018-06-02 19:16:45 | 社会
第二次大戦後、世界には米ソ二大国が君臨し、冷戦時代を迎えたが、両国の経済力は1950年代までが実質的には最高であった。ソ連ではアムステルダム大学のマイケル・エルマン教授が言ったように「上からの圧力」が、また米国では「自由競争」が生産力の原動力であった。しかし、1960年代に入ると、ソ連ではスターリンの死により「上からの圧力」が減少し、米国には日本やドイツの発展が競争に加わり、米ソともに生産力が相対的に低下して行く。1980年代に米国は日本とドイツに工業力では太刀打ち出来なくなり、金融経済に活路を見出す。ソ連は巨大組織の官僚化が進み、資源配分の非効率さと石油産出への過剰依存により、財政赤字と通貨の増刷に至る。1991年12月25日、ついにソ連は崩壊した。しかし、この時のソ連の財政赤字はGDPの3分の1である。崩壊直前の91年9月末に中央銀行(ゴスバンク)が増発した通貨ルーブルは6722億ルーブルで、1990年のGDPの7割であった。この時のソ連での工業品卸売価格は前年同月比で164%上昇していた。ソ連が崩壊した時、日本も含めた西側のメディアは「共産主義の崩壊」を当然のごとく報じた。しかし、今や、その西側諸国も「共産主義」の中国も揃って財政赤字を拡大している。ソ連の崩壊には主に3つの要因があるとされる。政治の腐敗と対立、生産力の低下と財政赤字、民族問題である。民族問題を除けば、現在の日本と米国には前二者は十分揃っている。工業生産に敗れて、金融経済に逃れた米国では、生産力の低下に代わって、企業と個人の膨大な債務がある。隣国の中国は生産力低下と企業と個人の膨大な債務を抱える。もっとも、生産力はまだ日米欧より若干優ってはいるが。日本や米国、欧州には政治の腐敗と対立もすでに見られる。中国は長期独裁政権を築いた。日本は経済規模では世界第三位を維持しているが、上位二国とは差があり、人口にも大きな差がある。しかし、日本が経済破綻した場合は直接には米国の国債を保有するため、米国への影響が大きい。米国の経済破綻は世界経済をどん底に落とし込んでしまう。銃社会である米国は、失業者が溢れ、医療・年金などの社会保障が絶たれ、社会不安が高まるため、凄絶な暴動に発展する可能性がある。超富裕層には守るべきものがあるため、また経済的な余裕もあるため、こうした社会情勢を読み、すでに国外に資産と住居を移している。マクロソフトの創業者であるビル・ゲイツは日本の京都にも別荘を持つが、軽井沢に巨大な別荘を建設している。ニュージーランドに移住した者もいる。個人でも企業でも国でも、収入に見合わない負債を抱えれば、必ずいずれの時点かで破綻する。経済の世界では「フリーランチはないThere's no such thing as a free lunch.」ことは常識である。日本の巨額の財政赤字はこれまで貯蓄率の高かった国民の預貯金で支えられて来たが、バブル崩壊後、その貯蓄率が低下し、国民の預金に変わって、日本銀行が支えざるを得なくなった。しかし、中央銀行がいつまでも支え続けられる訳ではない。政府の借金である国債を買い続けることは、それだけの通貨を発行していることでもある。ソ連やそれを引き継いだ直後のロシアだけでなく、今のイタリアやギリシャ、ベネズエラなどを笑えないところまで来てしまった。日本も含めた主要国全てが5年以内に激動の時を迎えるだろう。きっかけは隠れた小さな出来事かも知れない。
杜若(かきつばた)

日本列島の渡来人

2018-06-01 19:11:01 | 歴史
昨日から小雨が降り続いた。さすがに雨だと日課のウォーキングは中止せざるを得ない。晴れた夜は、たまに流れ星を見ることが出来るので、それもあって星や月を見るのを楽しみにしている。小雨の中を昼休みに、職場のそばの小山に出かけて、朴(ほう)の木を見て回った。ウグイスやホトトギスの声が聴こえて来た。小雨が降るので、上って来る人もいない。山の朴の木は大きく、花の蕾も次々に開いて来る。山道から見える花は木が大きいので、小さく見えるが、実際は大きな花だ。花の周りを取り囲むように、やはり大きな葉が並ぶ。毎年、この時期にはこの花を見て回るのを楽しみにしている。 地球上では、これまで何度も寒冷な氷期と温暖な間氷期が繰り返されて来た。最後の氷期は11万年前から1万5000年前までである。そして、2万1000年前頃が最も寒冷となった。その頃の海面は現在より130m低かったことが2013年の科学誌Natureで発表されている。いずれにしろ、この頃津軽海峡は徒歩で渡れた可能性がある。ただ、マンモスの化石は北海道しか見つかっていないので、重いマンモスは氷の上を渡れなかったのだろう。現在のインド象よりも小型のナウマン象の方は本州でも多く分布していた。対馬海峡には流れがあったようだ。釜石の隣の遠野市で発掘された8-9万年前の金取遺跡は出土した石器から縄文人の祖先とは異なる人々だったことが分かっている。出雲市の砂原遺跡はさらに古い11万~12万年前の石器が発掘されている。(2万年前の沖縄の港川人もやはり縄文人の祖先ではないことが分かった。)20万年前に、アフリカで現生人類、ホモ・サピエンスが誕生してから5万年前まで、地球では現生人類以外に、北京原人・ジャワ原人などのホモ・エレクトスとネアンデルタール人と言うホモ・サピエンスの亜種も共生していた。現在の日本人のルーツは縄文人と弥生人につながる。先住の縄文人は1万6500年前に初めて土器を作っている。和田家文書によると、三内丸山遺跡は津保化族によるものであり、その津保化族より早く阿蘇部族が日本列島に先住していた。しかし、両部族ともに祖先は同じくバイカル湖周辺の人々であった。つまり、縄文文化の始まりを担ったのが狩猟を主体とした阿蘇部族で、規模の大きい集落を形成した縄文人は岩木山の噴火で滅んだ阿蘇部族を継いだ津保化族だと思われる。最も寒冷となった2万年前にバイカル湖周辺の人々が動物を追って東に移動し、一部はアラスカを経て、北米大陸へ渡り、一部は沿海州から樺太、北海道へと渡った。前者が津保化族の祖先で、後者が阿蘇部族だ。南北米大陸に渡った津保化族の祖先がそこで定住したが、後にその子孫が故地のバイカル湖周辺を目指して移動中に日本列島に流れ着いた。これが津保化族である。南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと類似する5500年前の土器が発掘されている。三内丸山遺跡も5500年前から始まっている。田戸遺跡は5000年前の遺跡とされている。阿高貝塚の方は縄文中期とされており、年代測定はされていないようだ。世界では考古学でも先進技術を取り入れて、年代測定や遺伝子解析が盛んに行われているが、日本では学会の重鎮が土器編年で研究を続けて来た関係で、まだまだ科学的な解析が遅れている。考古学の世代が変われば、日本人のルーツやその列島での広がりが、文化とともにより明らかとなって来るだろう。
小雨の中の朴の木の花