奥州藤原氏初代当主藤原清衡の四男である藤原清綱は、現在の宮城県の亘理郡を拠点とした後、平泉へ移ったが、清綱の長男、藤原俊衡は陸奥の紫波郡日詰の樋爪(比爪)館に居を構え、樋爪氏を名乗り樋爪俊衡と称された。樋爪館の南に五郎沼があり、この五郎沼は今も残る。冬は白鳥が飛来し、春には堤に桜が咲く。当時、沼には蓮が繁茂していた。その当時の蓮の種が現代で蘇り、吾郎沼の側で咲く。蓮の花は午後には閉じてしまう。朝、早めに家を出て、遠野から南部杜氏で著名な石鳥谷を抜け、国道4号線沿いの五郎沼に行った。久しぶりに良く晴れた日で、日射しは夏の日射しでも、涼しい風が吹き、気温は25度であった。南部片富士の岩手山もよく見えた。午前中だけあって、800年前から蘇った蓮の花がたくさん開いていた。蓮の花も芳香を放つが、あまり香りは感じなかった。他に人がいないので、ゆっくりと蓮の植えられた周りを歩くことが出来た。花を見ていつも思うが、自然の彩色はとても美しい。新しい蓮の花の色も本当に綺麗だ。中国では蓮の花は幸運の花とされる。五郎沼に咲く蓮は赤桃色の蕾から開き、淡い桃色のグラデーションを見せる花びらとなる。五郎沼には今はカルガモの群れやオオバンがいる。涼しい風に吹かれて、桜の木陰から沼を見ていると、すぐそばの4号線の喧騒を忘れさせてくれる。ゆっくり休んだ後、同じ紫波町内の13号線に近い真宗大谷派の光圓寺に向かった。境内の沼には1000本の蓮が植えられ、多くが白蓮だが、2000年前の大賀蓮や黄色系の黄舞妃・出水黄鶴など4種の蓮が見られる。行って見ると、黄色系は咲いておらず、大賀蓮も蕾であった。白色の蓮がたくさん開いていた。さすがにこれほどの蓮の数になると、あたりには芳香が漂っている。三人の高齢の婦人たちがいただけで、その人たちもすぐにいなくなり、ここでも一人ゆっくり蓮の花を堪能することが出来た。涼しい風が吹き、炎天下ではあっても汗もほとんど出ない。帰路は396号線の紫波町の峠の駅により、もう習慣となった山野草をいくつか買い込んだ。遠野方向へ向かい、途中の峠で一休みした。長閑な田園を下に眺めた。目の前をたくさんのトンボが高く飛び、近くの杉林からはウグイスの声が聞こえ、セミも鳴く。ほんとうに岩手の自然は気持ちを和ませてくれる。
五郎沼の蓮
800年前に咲いた蓮
清々しい風が吹いていた五郎沼
光圓寺の蓮
白色の蓮
遠野の峠で一休み