釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

取り残される救済を最も必要とする人々

2013-05-29 19:17:28 | 社会
今日は曇天のまま一日が過ぎた。時々わずかに小雨が降っていた。最近、夜、ベッドに入ると、近くの甲子川からカジカガエルの合唱が聞こえて来るようになった。澄んだ笛の音のような声につい聞き入ってしまう。道路を走る車が途絶える頃になると一層その声がよく聞こえて来る。これまでカジカガエルの声は人里離れた山間の渓流でしか聞いたことがなかった。それが釜石では市街地を流れる川で聞くことが出来た。最初は、それだけで感動してしまった。カジカガエルも地元の人たちはほとんど気付いていない。知らない人が大部分だが、知っていても、聞き慣れていて、それが珍しいことだと言うことは知らない。 市内の生活に便利な場所に最初の復興住宅が完成し、すでに被災した人たちなどが入居している。生活条件としては、最もいい場所に建った。54戸のうち半分は、しかし、他の復興住宅を建てるために立ち退いた人たちが入った。残りの半分が高齢者などの要配慮世帯に割り当てられた。間取りは1LDKと2LDKの二タイプしかない。家賃は所得に応じて1LDKで月6700円から7万円だと言う。現在、仮設住宅に住み続けている人たちは多くが高齢で、職がない。しかも何らかの病気で医療機関に通う人も多い。もともと津波の被害は海岸地帯に出ており、そこに住んでいた人たちは、漁業や小売業に従事していた人たちである。漁業は震災以前から高齢者が多く従事していた。そのため、被災後は再起出来ない人が多い。小売業でも新たに店舗を構えるだけの余裕のある人は少ない。商店主などではやはり高齢者が多い。雇用されていたわけではなく、大半が小規模だが自立的な職に就いて来ていた。そうした人たちに新たな職に就くことは難しいし、また、就くための職もない。釜石市は2015年3月末までに合計1400戸の復興住宅を建設する。どれも生活に便利な場所であれば問題ないが、残念ながらそうした場所はむしろ少ない。何とか復興住宅に入居出来た高齢者も生活に不便な場所に住まざるを得ないことになる可能性が強い。ほとんどの被災者は車も失った。震災後、市内を定額の循環バスが走るようになったが、それでも、買い出し一つをとっても、高齢者には負担が大きい。一度に、手に持つことが出来る量は限られる。そうした高齢者の嘆きは何度か聞かされた。所得の限られた人たちにとって家賃のかかる復興住宅への入居自体が厳しいが、仮にそれが可能となっても、次には、生活の不便さがのしかかって来る。現在の仮設住宅には所得の望めない人が多く残されている。仮設住宅の利用期間が延長されても、期限はあり、その後、どこで生活をすればいいのか、途方に暮れたまま日々を送っている。
薬師公園の山藤