釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

花の5月

2013-05-03 19:25:43 | 社会
風が少し強く日が射しても暖かくはない。雲も多く流れて、何度となく日を遮る。庭の丈の長い花たちも風の勢いで折れそうになることがある。少し前の春の暖かい日に早く戻って欲しい。今日は遠野で「南部氏遠野入部行列」という大名行列の行われる日だが、出かける気力が失せてしまった。風と気温のせいもあるが、どうも人がたくさん集まるところへは出かけたくない、という気持ちが強い。庭でのんびり山野草の芽が伸びている様子や風に揺れる花たちを見ている方がいいと感じた。植物を育てることなど全く関心がなかったにも関わらず、釜石へ来て何種類もの見たこともない山野草に出会い、たちまち虜になってしまった。この時期は県内各地の産直で山野草が売られる。さすがに福島第一原発事故後は山菜の販売は激減した。山菜採りの人たちも少なくなった。まさに自己責任で採ることになる。先日、片栗の群生地を案内してくれた方の敷地でも林間で椎茸が栽培されていたが、それらも、市場には出せないで、個人で食するだけのもののようだった。椎茸栽培で生計を立てている人たちは大きな打撃を受けている。庭の山野草たちにも多少は放射性物質の影響はあるかも知れない。通勤途中の小佐野駅前の八重桜が咲いたが、今年は以前と全く姿が変わって、枝の一部にしか花が咲いていない。例年は木全体にたくさんの花を咲かせていた。こんな姿を見ると、どうしても原発事故のせいではないか、と思ってしまう。大震災は植物だけでなく、人の生活をも大きく変えた。釜石はもともと中心部が甲子川沿いにあり、とても狭い。南北にそれぞれ山が迫っている。そのため利用可能な土地が少なく、地方の割に地価が高い。各戸に配布されるチラシを見ると、中心部から離れた平田地区の新規造成地の地価が坪当たり15万もしている。釜石へ移る直前に釜石の地価を調べたことがある。中心部の端であったが坪当たり5万となっていた。震災で一気に被災地外の地価が上がってしまったのだ。地価の上昇は家賃にも跳ね返る。釜石はもともと遠野などと比べても物価が高い。新日鉄時代に殿様商売をしており、顧客へのサービスや価格競争とは無縁であったと言える。その状態が今でも続いている。釜石へ来た当初、ガソリン代の高いことに驚いた。北海道の地方部もガソリンが高かったが、それでも多少の競争があり、低価格で販売する店も中にはあった。しかし、釜石ではそうした店もほとんど見られない。震災前には両石地区に少し安くなっている店があったが、そこも被災してなくなってしまった。家を流され、職を失った人たちの釜石での暮らしは経済的にもとても大変だろう。先月、甥が釜石へやって来た時、平田地区のモデル仮設住宅に案内したが、仮設住宅内をゆっくり歩いても人影は見られなかった。みんな中に引きこもっているようだった。4月からU 先生のところの上級カウンセラーが交代で平日は毎日カウンセリングをやるようになったが、被災者の数を考えれば、それでも、十分ではないだろう。春になって花たちが周りでたくさん咲くようになっても被災者にはその花を楽しむ余裕もないのかも知れない。
庭で山荷葉(さんかよう)の花が咲いた