釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

古来の儀式

2012-08-14 19:20:06 | 歴史
娘は花巻まで息子の迎えに行って無事釜石へ戻って来た。昨日はみんなで夕食を外で食べたが、暗くなった帰りに、近所の家々では門に家名の入った提灯が下げられ、門口で麻幹(おがら)を焚いた迎え火が見られた。家の中の仏壇のそばでは盆灯籠が置かれていた。たいていはお年寄りと孫の組み合わせで迎え火を焚いていた。先祖の霊を迎えるという儀式は仏教が伝わる以前から日本にはあった。天照大御神のように古代から人は亡くなると神になった。神となった先祖の霊をこの世に迎える儀式だ。日本土着のそうした儀式を伝来した仏教も無視することは出来なかった。仏教を広めるには積極的にそうした儀式を仏教の側が取り入れるしかない。仏教が次第に日本に溶け込んで、やがて日本の伝統宗教となると、古来の土着の儀式であったことが忘れられ、仏教固有の儀式のようになってしまった。江戸時代に檀家制度が設けられるとさらに仏教行事としてのお盆が庶民の間に広く行われるようになる。我々日本人の風俗は多くは江戸時代のものである。江戸期以前にはもっと多様な風俗が日本にもあった。江戸期の儒教と長い支配期間が一定の枠を根付かしてしまった。明治維新はその江戸期への反発で単純に天皇を神とする神国概念を柱とするようになった。寺を否定して神社を興隆させた。江戸も明治も宗教を統治のために利用しただけだ。そうした統治者の思惑とは関係なく、人々は先祖を有史以来敬って来た。自然と直接対峙しなければならなかった古代は人々が頼るのは経験と知識を積んだ、亡くなった先祖たちであったろう。自然そのものの中に畏怖の念を抱かせる神を見出してもいたが、やはり、かっては人間であり、身内であった先祖への親近感は強い。今朝出勤時には何組かの墓参りの人たちの姿を見た。墓に供える花や水やりの桶などを手にしていた。意外に若い人たちが多かった。自然への興味と同じく、若い頃にはあまりこうした日本の風習には興味もなかったが、歳とともに次第に自分を見つめ直すようになったのかも知れない。自分が住んでいる日本の歴史や風土に興味が出始めて来た。昨夜も古田武彦氏監修の『701 人麻呂の歌に隠された九州王朝』というDVDを見ていた。万葉集に載った柿本人麻呂の歌は九州王朝の天子や皇子を詠ったものがあり、それが盗用されている事実や、そこで詠われている吉野や雷山などは九州に実在することなどが描かれている。柿本朝臣人麻呂は九州王朝の最高位の家臣であった。滅亡した九州王朝の家臣は古事記や日本書紀にはその名前すら登場しない。優れた歌人ゆえ歌集にのみ収録された。古田氏の著書『人麻呂の運命』も以前に読んでいる。古田氏の歴史研究は学会では無視されている。しかし、学会は近畿王権に始まる日本の王権が一系統しかないという立場に閉じこもり、矛盾した史跡、遺物には目をつぶっている。古田氏はそうした矛盾や学会の常識を次々に掘り起こし、九州王朝の存在を提示された。日本に住んで、日本の教科書で学んだことが決して史実ではなかったことを知った。天皇陵を発掘させないことなどを見ていても、震災以来の国の隠蔽体質がよく納得出来る。官僚はできるだけ国民には情報を与えたくない。自分たちだけが情報を占有しておきたいのだ。歴史の世界では近畿王朝に繋がるものでなければ認められない。東北の遺跡も近畿王朝に服したものの遺跡としてしか認められない。とても学問とは言えない世界だ。ありのままの日本の歴史こそが大切なのだが。
向日葵(ひまわり) 17世紀半ばに中国を通してもたらされた