釜石の日々

円安と超低金利は国民を貧しくする

小学生の頃、日本は島国で資源もなく、加工貿易で国を支えていると習った。今でも多くの人がそんな意識でいる。しかし、もう日本は高度経済成長の時期から、とっくに貿易ではなく内需、つまり国内の消費で経済が成長する構造になっている。国民総生産GDPに占める貿易の比率はすでにバブル期から12%まで縮小しており、その後一時は10%以下になり、現在は15%ほどでしかない。内需は60%で4倍である。GDPが先進国の中でも特に低迷を続けて来た原因は、内需が増えないからである。内需は企業の国内投資や個人の消費にかかっている。企業の国内投資は個人の消費に依存するところが大きいことを考えれば、結局は個人の消費が最も重要になる。しかし、その個人の消費の源泉である個人所得が増えず、将来の年金に不安を持てば、誰も積極的には物を買おうとはしない。個人所得が増えない状況でも、生活必需品や住宅建設の費用が安くなれば、個人はそれを得ようとする。しかし、政治献金を得た政治家は旧来の輸出産業のために「円安」を誘導した。「円安」とは通貨価値を下げることだ。こんなことをすれば、衣食住の多くを輸入している日本では、物の値段が上がる。物の値段が上がれば、個人はさらに買うことを控えようとする。少しでも安いものを選ぼうとする。その結果、輸出産業は輸出量が増えなくとも、円換算の利益だけは大幅に増加した。しかし、国民の消費は振るわず、GDPは一貫して低迷し続けた。それを知られることを恐れた政府は、GDPの計算方式まで変えて、あたかもGDPが増加しているかのように見せかけている。同じやり方で、過去のGDPも計算し直せば、横ばいであることは明白なのだが、それはしない。今では企業の多くが海外の賃金の安いところで工場を建設して生産をそこで行っている。全国展開している衣料のユニクロや家具のニトリなどは中国で生産することで、国内生産では考えられないような利益率を上げている。アイフォンiPhoneで成功して、米国の史上最高の株の時価総額となったアップル社も、生産は全て中国だ。仮に所得が増えなくとも、せめて円高になり、生活必需品が現在より安くなれば、消費は増える。国民のためには自国通貨の価値が高いことが望ましい。円安とは国民にとって、見えない税金だとも言える。金利が超の付く低さで、その上円安ともなれば、保有する現金や預金の価値は年ごとに下がって行っている。所得が増えないどころか、実質的には「円」と言うお金の価値そのものが下がって行っているのだ。日本の現在のインフレ率は1%ほどである。メガバンクと呼ばれる大銀行の普通預金の金利は軒並み0.001%である。預金していれば、それだけで毎年、約1%ずつ預金の価値が減っているのだ。別に預金しないで、タンス預金にして、ともかく現金で持っている限りは、1%ずつ価値を目減りさせている。そんな政治家に喜んで投票している人がいるのがこの日本と言う国なのだろう。国民が持つお金が毎年目減りしていれば、なおのこと消費など増えようがない。つまりは経済成長は有り得ない。
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