今、崎谷満と言う京都大学系の分子人類学者の手になる新日本人の起源ー神話からDNA科学へと言う書籍を読んでいるが、これを読むとこれまで常識のように使われて来た縄文人、弥生人と言う分類自体に問題がありそうだ。人類学のこれまでの主流であった形質人類学、すなわち人の身体の形態的な特徴により分類する方法に問題があるようなのだ。遺伝子を使った分析には細胞に含まれるミトコンドリアと呼ばれる小器官のDNA遺伝子と男性に見られる性染色体であるY染色体のDNA遺伝子を使う二通りの方法があり、前者は人類の母系遺伝情報が、後者は父系遺伝情報が得られることを利用して人類の歴史を探ろうとするものだ。以前報道されたように人類はアフリカ起源のただ一人の女性から分岐が始まった。その後人類は出アフリカを果たして西アジアへ、そこからコーカサスとインド、ヨーロッパの三方向に分岐して行く。日本へは大部分がこのコーカサス経由の北方ルートと呼ばれる経路を経た人々がやって来たのだと言う。従来南方から海流に乗って日本へやって来たと言われたルートは遺伝子的には否定されるそうなのだ。つまり縄文人と言われる人も弥生人と言われる人もともにコーカサスを経た北方ルート人で縄文人は極東のアムール川流域から北海道へ入った人たちで、弥生人はコーカサスから極東を一旦南下して朝鮮半島から北九州へ入った人たちで、遺伝子的には基本的に両者に大きな相違はないと言うのである。そして日本人は遺伝子を見る限りは中国や朝鮮半島の人たちとは共通性がなく、むしろコーカサスを経由した古い遺伝子が島国のため温存された世界でも稀な存在だと言う。かっては人類学では縄文人と弥生人による融合が日本人の起源だとされた二重構造論が提唱されたのだがそれが遺伝子的には根底から覆された形になった。顔や体格の形態的な相違はむしろ環境や食糧によって異なって来るのだと言う。そして以前記した秋田孝季(あきたたかすえ)らによる東日流外三郡誌に記された津軽に先住した津保化(つぼけ)族は靺鞨(まっかつ)・珍愚志(ツングース)族の一派でまさにこのコーカサスを経由した北方ルートの人たちだったのだ。
我が家の庭のモミジは定石通り上の方が真っ赤になっている
我が家の庭のモミジは定石通り上の方が真っ赤になっている
貴兄の話を読んで、ゲノムのレベルと人類学のレベル、考古学のレベルが頭の中で混乱してきた感じです。私も買って読んで、考えてみたいです。