釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

恐慌の条件

2020-08-21 19:15:53 | 経済
今日は朝8時頃に28度になると、午後までずっとその気温が続く変わった日になった。内陸より5度も低い。お盆が過ぎても暑い日が続く。それでも気付くといつの間にか夕方ヒグラシの声が聴こえなくなっている。ウグイスの声も消えている。代わって夜の虫の声が賑やかになった。日中はエゾゼミとミンミンゼミの声だけはまだ聴こえて来ている。昨日、政府の新型コロナウイルス対策分科会会長は、「今の流行は全国的にはだいたいピークに達したというのが私たちの読みだ。」と述べている。日本の「専門家」はどこまで非科学的なのだろう。限定された検査で、感染者の総体を推定することなど出来るわけがないのだ。これからもいくつも「山」のように見える波がやって来るだろう。この分科会会長を含めた日本の「感染症ムラ」はコロナ対策として政府から100億を超える予算を獲得しているにもかかわらず、わずか数本の新型コロナウイルス研究論文しか発表していないお粗末さである。日本では政府周辺に群がる専門家の多くが予算の無駄遣いをして来た。新型コロナウイルスはまるでその最終章のような態である。コロナ禍は日本でも米国でも、実態を覆い隠す役割を果たしている。 経済では実体経済の大きな落ち込みと金融危機が伴った状態を恐慌と呼ぶ。1929年のニューヨークにおける株式大暴落に始まる世界大恐慌では、米国の実体経済では、実質GDPは27%縮小し、失業者は25%以上にもなった。世界大恐慌の中で、英国の経済学者ケインズは、金融危機の直接的原因は、「債務不履行リスク」「流動性リスク」および「債務不履行リスクと流動性リスクの悪循環」であると指摘している。株式が暴落すると、多くの人が資産を失い、債務があると銀行から債務返済を迫られるが、返済に当てる資産がない。手元にある資産は何でも売られてしまう。資産価格はなお下がって行く。流動性とは、この場合は現金である。金融危機では投資家は現金を手元に置こうとするため、資産を売って現金に替える。金融危機=現金の枯渇と言ってもいいくらいである。2007年のサブプライムローン問題に端を発した2008年のリーマン・ショックはまさに100年に1度とされる金融危機であった。資産価格が暴落し、債務者は返済を迫られ、少しでも返済資金を得るために、さらに資産が売られ、資産価格が一層下落する。一瞬にして資産が失われ、流動性=現金が枯渇する。そこで中央銀行は、この現金を「非伝統的」金融緩和の名で、大量に世の中に供給した。巨大な債務を抱えたものを大きくて潰せないとして、さらなる債務で急場を凌がせたのである。つまり、金融危機とは債務危機であり、その債務危機をさらなる債務で「救済」すると言うのが、「金融緩和」である。先日、史上最高値となった米国株価は、超低金利の社債発行と言う債務で得られた資金を使って自社の株を買うことで吊り上げられたものだ。債務で押し上げられた株式である。歴史上かってないゼロ金利状態が、政府と民間の債務を同じく歴史上かってない膨大な債務に膨らませた。その債務で株式・債券などの資産バブルが今も膨らんでいる。この異常な状態は実際には昨年秋に行き詰まっていた。銀行間資金市場で、資金枯渇が生じ、中央銀行が慌てて介入し、金利の急上昇を抑えた。しかし、その状態は以後も続き、中央銀行の介入も続いていた。そんなところへコロナ禍が襲ったのだ。コロナ禍はまさに実体経済を直撃した。政府は巨額の債務を積み増して対策費に当てた。日米政府は共にもはや税収では返済不能の域にまで債務額が至っている。コロナ禍は容易には終息せず、しばらくは続く。つまり実体経済の悪化は簡単には回復しない。後は、金融危機が来れば恐慌の条件が揃う。やはりその最初の兆候はかっての世界大恐慌と同じく株式の大暴落になるのだろう。コロナ禍では誰もが政府債務の積み増しを「仕方のないこと」として簡単に受け入れてくれる。米国中央銀行は2008年以後、最大で4兆ドルの現金供給を行ったが、このコロナ禍ではわずか数か月で3兆ドルも簡単に供給している。現在、米国中央銀行の総資産は7兆ドルだが、いずれ10兆ドルになると言われている。米国議会は追加のコロナ対策予算を議論している。世界の先進国では今後も未曾有の通貨印刷が続いて行く。そして、膨大な債務や通貨発行を誰も気に留めない。しかし、それは遠からず終末を迎えざるを得ない。中央銀行は「打ち出の小槌」ではない。通貨の希薄化もいずれ限界を迎える時が来る。
法定通貨量で調整された金

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