釜石の日々

古の荒覇吐国

つがる書房という出版社から秋田孝季・菅江真澄・和田吉次・和田末吉原著とする東日流六郡誌絵巻なるものが出ている。昭和61年の出版なので古書店から手に入れた。そこに記された内容は当然日本のこれまでの歴史では認められていないことばかりである。文字の無かった時代の歴史や禁書の内容に関わることは語り部により伝えられて来た。しかもその語り部たちには文字に代わる記号があり、数字も記号でちゃんと表されている。その語り部の伝承は代々その語り部の家に秘伝のようにして受け継がれて来た。江戸時代末に秋田孝季(あきたたかすえ)らは東北各地を周りそうした伝承や寺社の古文書を収集し膨大な資料の編纂を行った。古代に大陸から東日流(つがる)に渡来した阿蘇辺族(あそべぞく)と津保毛族(つぼけぞく)、中国の公子一族を新たに荒覇吐族(あらはばきぞく)として統一した安日彦・長髄彦兄弟は兄の安日彦を荒覇吐王とし、弟の長髄彦を副王とし、東北一帯に荒覇吐五王からなる荒覇吐国を築いた。安日彦の荒覇吐王を中心にして東西南北の遠地にそれぞれワケグラ王と呼ばれる東王、西王、南王、北王をおいた。さらにそれぞれの下部組織として縣主、郡主を置いている。新たな信仰の対象である荒覇吐神の神像が現代われわれが縄文遺跡から発掘された土偶とされているものであった。安日彦・長髄彦兄弟没後王国は中心王城ー国治の高倉(はららや)を東日流(つがる)より閉伊に移し、飽田(秋田)の熟族(にぎぞく)、嚴丁(岩手)の鹿族(あらぞく)を併合している。荒覇吐国は後にさらに現在の関東へ、またさらに静岡県にまで広がるがその後は朝廷より日高見国(日高を見る国)と呼ばれるようになり次第に東北へ後退して行く。領内では領民が等しく財を与えられことが原則であったようだ。後の日本(ひのもと)国である。安日彦・長髄彦兄弟の子孫が安倍氏、安東氏、秋田氏(三春藩主)となる。

秋風に吹かれ爽やかに咲くコスモス
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