釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

四国や岩手の自然

2012-05-03 19:12:48 | 文化
今日は朝から雨が降り、風も出ている。山野草が心配なくらい、いずれも勢いがある。昨夜は娘のNPOの先輩の送別会があり、娘は夜中の3時にベットに入ったそうだ。遅いので、こちらは12時まで起きていたが、先に寝てしまった。今朝は大阪へ一時帰る娘を花巻空港まで送って行かねばならず、睡眠不足では運転したくなかった。娘の方は恐らく3~4時間しか寝ていないのではないかと思う。先日の息子を送って行った時とは違って、雨も降るため交通量は少し少なく、予定より早く空港へ着くことが出来た。空港の駐車場には全国のナンバーの車が満車に近い状態で止められていた。岩手県へ転勤で来た人たちやボランティアで来ている人たちが連休で地元に帰っているからだろう。帰路は独りでのんびりと車を走らせながら、釜石より降り方が少ない内陸の雨の中で、ちょうど咲き頃の桜を眺めていた。283号線と107号線が交差する遠野の鱒沢の交差点にある店に立寄って、また山野草を買ってしまった。遠野の産直風の丘へも立寄ろうかと考えたが、連休中で車が多く、断念した。釜石へ着いてみると雨も風も花巻や遠野よりずっと勢いがある。昨日、89歳になられる作家で尼僧の瀬戸内寂聴さんが霞が関の経済産業省前で関西電力大飯原発の再稼働に反対して集団ハンストに参加された。ルポライターの鎌田慧さんや作家の沢地久枝さん、落合恵子さんらも参加されたようだ。瀬戸内さんは私と同じ四国の生まれで、徳島と愛媛の違いはあるが、「瀬戸内」という名前からみても出身地を意識されているようだ。1973年に平泉の中尊寺で先輩作家で大僧正でもあった今東光氏を師僧として出家され、1987年には同じく岩手県の二戸市にある天台寺の住職になられた。現在はここの名誉住職と比叡山延暦寺禅光坊の住職をされておられる。二戸市の天台寺のある浄法寺町の近くには安比高原があり、「安比」は『東日流外三郡誌』に記された安日彦王の名に由来するものと思われる。二戸市にはかっては爾薩体(にさったい)と書かれ、現在仁左平と書かれるところがあり、同書で閉伊とともに王宮の置かれた場所である。浄法寺町はまた国産の漆の最大産地でもあり、浄法寺塗として漆器では著名でもある。漆は縄文期にも東北の遺跡から発掘されている。仁左平では縄文時代の早期から前期・中期・後期・晩期、弥生時代、古墳時代、奈良平安時代、中近世など旧石器時代を除くあらゆる時代の住居跡が発掘されている。『東日流外三郡誌』に記されているようにこの地「爾薩体」は王都であった可能性があるが、発掘調査が二戸市や岩手大学など限られているため、まだ十分調査し切れていない。岩手県は爾薩体と閉伊の二カ所に荒覇吐王国の王都があったとされる。閉伊が現在の上・下閉伊郡とどの程度重なっているのか定かではないが、宮古市や山田町を中心とした沿岸部であることは間違いない。この地域の発掘もしかし、やはり自治体中心のため限界がある。かなりの時間が必要だろう。岩手は青森県津軽と並んで古代より重要な拠点地であったのだ。瀬戸内さんは岩手の溢れる自然に接し、違いはあるが同じく自然に溢れる四国を思い、その自然と共生する生き方を考えた時、自ずから原発再稼働反対となったのかも知れない。荒覇吐王国の時代には自然の中に神がいた。
庭に植えた山荷葉(さんかよう)

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