岩手も10月の中旬になって来ると木の葉が少しづつ色付いて来る。内陸は沿岸部よりそれがさらに早い。釜石では今日から「釜石まつり」が始まる。初日の今日は 尾崎神社の宵宮祭 がある。そして明日は「曳船まつり」で、その尾崎神社から神輿が運ばれ海を船に乗せて渡り本来の神社のあったと思われる尾崎半島の奥院へ祀られる。明後日、再び逆に運ばれ神輿が戻される。明日、明後日は市街地でも虎舞や神楽が披露される。尾崎神社の祭神は日本武尊、綿津見神、閉伊三郎源頼基となっている。尾崎半島はもとは大船渡市の尾崎岬にある尾崎神社ともども「御崎」であったろうと思われる。祭神も綿津見神という海の神が最も古いのだと思われる。縄文時代から海の神を祀る場所だったのだろう。震災後でもあるため今年の祭りは議論もあったようだが、今後の復興を祈る意味で決行されることになったのだろう。神輿が渡る海には多くの人たちが眠っている。今回の震災では釜石の北に位置する大槌町の大半が被災し、被害の割合は釜石以上だった。釜石へ来て最初に仕事上で対立して口論した相手の方とその後親しくなった。よくあることだが。その方が大槌町出身で、大槌の美味い寿司屋を紹介して下さった。地元の方が推奨されるのだから並のものではないのだろうと家人と一緒に出かけたが、確かに上手い寿司を食べさせてくれた。そこには宮様の写真が飾られてあり、お聞きするとお忍びでよく来られるとのこと。今回の津波でこの店も流されてしまった。店主の方の無事を祈りたい。東京には今回の震災後に宮城県や福島県の被災者の方たちが多く避難したが、そこを先の宮様が慰問された。案内にあたった作家の副知事は後拾遺和歌集に載る「契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ 末(すゑ)の松山 波越さじとは」という清原元輔の歌を引いた。すると宮様は即座に「津波は貞観時代ですね」と答えられたそうだ。貞観地震と津波は100年後の京都にも記憶として残っていた。宮城県多賀城市八幡の宝国寺裏山になる末松山にこの歌碑が建っている。海岸に近く川にも沿った位置にあってよく津波がこの小山を越えなかったものだと不思議に思えるほど現在は海が近い。たくさんの人が亡くなった貞観地震と津波の中でこの小山によって助かった人も多かったのだろう。芭蕉もここを訪れたそうだ。昨日静岡市で日本地震学会があった。そこで神戸大学石橋克彦名誉教授(地震学)は東海地震など南海トラフ沿いで想定されている巨大地震が「糸魚川-静岡構造線断層帯」と連動した地震になる可能性を指摘されている。長さ26Kmの富士川河口断層帯との連動はすでに想定されていたがさらに長い150Kmに及ぶ断層帯の連動となる。ユーラシアプレートの一部であるアムールプレートは日本列島の西側を年間で1cmづつ東へ移動させていたが今回の震災で東北日本が東へずれたことでアムールプレートの東進が加速された。そのためひずみが蓄積された可能性があり、連動地震が想定されるというものだ。ただアムールプレートの存在そのものを疑問視する研究者もいる。石橋克彦名誉教授はそれを承知の上で「起きてからでは遅い」と言われている。東京大学の島崎邦彦名誉教授も「過去の南海トラフの地震で(糸魚川-静岡構造線沿いに)被害が点々とあるのは事実」だと述べられている。多くの地震研究者が想定する東海・南海連動地震に糸魚川-静岡構造線断層帯が連動した地震を生じれば静岡県御前崎市にある浜岡原発は強震動と津波に襲われる可能性が強い。現在浜岡原発は運転を停止しているが、原発は停止していても崩壊熱を出し続けるため冷却を続けなければならない。地震と津波によってこの冷却装置に支障が起これば、運転停止中であっても福島第一原発と同様の事故に繋がる可能性は十分ある。電源だけの問題ではなく、配管の損傷であっても事故に繋がる。さらに南海トラフ沿いの地震の影響は愛媛県の佐田岬半島にある伊方原発や鹿児島県の薩摩川内市にある川内(せんだい)原発へも及ぶ可能性がある。先月浜岡原発は高さ18mの防潮堤の建設に着手したが、これも見せかけだけの建造物になる可能性がある。浜岡原発はその名前の通り浜岡砂丘に立地し、砂地に防潮堤が建てられようとしている。最初に起きる地震で地盤が液状化すれば防潮堤は簡単に倒れる。その後遅れて津波が襲えばまったく役には立たない。しかも浜岡原発の真下を通り、高知県の室戸岬に延びる長さ400Kmの巨大な活断層が存在する可能性が名古屋大学鈴木康弘教授(変動地形学)らによって指摘されている。地震活動期に入った日本列島で原発を徐々に減らして行くなどという猶予はない。即時に廃炉にしなければいずれ列島に致命的な災害が訪れるだろう。即時に廃炉にしても電力は十分供給出来る。


木々が色付き始めた
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます