釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

立ち尽くす人々

2013-11-03 19:19:48 | 社会
少し前の梅雨のような毎日と打って変わって、秋晴れのいい天気が続くと思ったのもつかの間で、昼前から雲が多くなり、午後には小雨まで降って来た。庭の2種類のモミジのうち1種類が色付き始めて来た。椿の小さな蕾も見えて来た。秋明菊に似た貴船菊の白い花が咲き、近くでは大文字草の赤紫の花も咲いている。終わりかけている1輪の紫陽花もまだ形を留めている。午前中は風がなく、穏やかな秋の日で小鳥たちのさえずりも楽しそうに聞こえていた。 先日、釜石で娘も一時勤務させてもらったNPOの幹部の方とお会いした。震災当時、釜石で唯一活動していたNPOであったため、全国から活動支援の申し出を受けた。やることがたくさんあって、手に余るほどであった。組織も一気に大きくなり、組織造りも十分でないまま仕事をこなさなければならないような状況であった。支援を続ける中で支援者自身が精神的に落ち込んでしまうことも多々あった。震災から2年が過ぎ、外部からはもう復興は終わった、と見られることも多くなったそうだ。支援を続けてくれる東京などの団体も最近では無償の支援ではなくなり、何らかの見返りを求められることが多くなったと言う。ハード的にもソフト的にも震災の傷跡は癒えておらず、先も見えて来ない。この幹部の方もこれからの方向性を整理して考えなければならないが、それがしっかりと打ち出せないでいる、と言う。娘が今回釜石で出逢ったネガティブな部分は確かにあるようだ。震災直後から地道に釜石に根付き、仮設住宅でカウンセリングを続けて来たS 先生もスケジュールがハードで、かなり大変な様子だ。岩手県が仕切っている「心のケア」が形ばかりで、釜石に溶け込むことがないため、一層、S 先生に負荷がかかって来ているのだ。信頼されれば、されるほどS 先生の出番が多くなる。東京からはU 先生のカウンセリング組織のボランティアも参加はしているが、メンバーが変わるため、地元への溶け込みはあまり期待出来ない。市内のあちこちで住宅やアパートの建設が進められている。一旦は仮設住宅に入った人たちの中でも、比較的経済的に余裕のある人たちが、ここに来て、仮設住宅を出始めている。ここでも、仮設住宅に残されている人たちは、自分たちだけが取り残されていると言う意識に落ち込んでしまうようだ。高齢や津波で職場を失った人たちには経済的な余裕がない。カウンセリングは確かに個人の心の持ち方の支えを与えてくれるのかも知れないが、結局は、最後に経済的な問題が残ってしまう。国は個人への支援はやらない。生活保護を受けている人以下の生活を強いられている人たちがたくさんいる。それでも仮設住宅に住んでいられる間は何とかはなる。しかし、いずれそこを出なければならない。先の見通しはまったく立たない。こうした人たちは他との接触ももとうとせず、内に引きこもってしまう傾向がある。NPOがこうした人たちの情報をつかもうとしているが、これもそう簡単ではない。仮設住宅に関係する様々の支援団体が互いに情報交換もしているが、すべてを掴み切れているわけではない。時には不幸な最期を迎える人も出て来る。世間は時の経過とともに震災など忘れて行く。昨日のように皇太子が訪問などすれば、その時だけは思い出したようにニュースを流すだけだ。長くフォローすることは決してない。
庭の貴船菊

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