釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

落花生の豆まき

2011-02-09 12:47:09 | 文化
今日は午前中からまた雪が降り続いている。せっかく先日の南風で庭の雪も半分以上が融けたのだが、また一面が真っ白になっている。甲子川の二組の白鳥家族がまだ留まって今日も雪の中をのんびりと過ごしている。大型の白鳥がのんびりしているせいか他のカモ類までが白鳥たちのそばに寄り集まっている。こうした光景を見ているとほんとうに川が豊かなのだと思う。匠の方に言わせれば甲子川などに比べたら支流である小川(こがわ)の方がよほどきれいだと言われるが。先週職場のいつも使っている自分用の机の上に殻の付いた落花生がいくつか置いてあった。職場の誰かがお裾分けしてくれたのだろうぐらいに考えていた。今週に入り、職場のある方から「落花生、分かりました?」「節分でしたので・・・」と、言われてこちらは?マークになった。いったい何を言っているのか意味がよく分からない。落花生と節分がどう関係あるのか。良く聞いてみると釜石では昔から節分には落花生を「豆まき」に使っていると言う。それで思い出した、そう言えばそのころスーパーでいやにたくさん落花生を置いているな、と感じたことがあった。「鬼は外、福は内」の「鬼」を以前調べたことがあった。この「鬼」はどうも東北起源のようで異国から流れ着いて、山野に隠れ住んだ白人や山にこもってたたら製鉄に従事していた人たちを鬼と称した可能性があると言うことだった。とすれば落花生を撒くというのも東北で広く行われているのでは、と考え、調べてみた。どうやら東北だけでなく、北海道も落花生を使っていた。さらには鹿児島県や宮崎県の一部でも使われていた。そう言えば北海道に住んでいた頃、札幌の中学に通っていた子供が友だちが「豆まき」に落花生を使っているんだよ、と言っていたような気がする。全国落花生協会によると昭和三十年代からの風習だと言うのだが、職場の方の話ではもっと昔からだと言う。雪国では雪の多い中で大豆は「鬼は外」と投げても分かりにくいために落花生に変わったのだと言う話もあるようだ。しかし、どうもそんな簡単な話なのか疑問もある。地域としては大半がまさに古代に蝦夷と呼ばれたところではないか。節分の豆まきの風習は奈良時代に中国から伝わった宮廷の「鬼やらい=追儺(ついな)」の儀式に始まると言われる。都の東北を鬼門とも言う。まさしくこの時代の東北地方は宮廷にとっての鬼門であったであろう。蝦夷そのものが「鬼」だったのだ。ちょっと脱線したが、節分に落花生を撒くのは北海道や東北のかなり古い風習なのではないだろうか。そしてそれはかっての「蝦夷」と関係がないのだろうか。民俗的に興味が惹かれる。職場の方からは節分ついでに関西発祥の「恵方巻き」なるものについてもお聞きした。通常太巻きと呼ばれるものを節分の日にその年の吉方位=恵方に向いて丸かぶりするのだと言う。四国に生まれ、母が大阪生まれだったが記憶にはない。ただ太巻きは「巻き寿司」と呼んでいた。今ではメディアによってこうした一定地域の風習が他地域へも拡散して行っているようだ。
せっかく融けた庭の雪がまた積もり始めた

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