釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

久方の遠野

2012-04-07 23:31:25 | 文化
今日は最近では少し寒むかった。天候も変わりやすく、日が射したと思えば、小雪がちらついたりもした。庭では山茱萸 (さんしゅゆ)の黄金色の花も開き始めている。昼過ぎから犬たちの餌の買い出しに遠野に出かけた。釜石自動車道から見える近くの山にはまだ雪が残っていた。遠野の本郷地区の産直へ行ってみたが、生憎、引っ越しで休みになっていた。今月29日からすぐ近くの新しい建物で再開するらしい。そろそろ山野草が出ているのではないかと思ったのだが。娘の運転で遠野のホームセンターへ行き、その後、風の丘へも行ってみた。翁草と福寿草が出ていた。翁草は白と紫の両方が置いてあった。家の庭にも紫の翁草があるので、息子が先のホームセンターで買ったライラックとモクレンだけにすることにした。釜石には以前2軒だけいわゆるカラオケの店があった。そのうちの1軒は震災直前に閉店してしまった。残った1軒もまともに津波の被害を受けたために営業を止めてしまった。震災後は釜石にはカラオケはなくなった。我が家は私以外はみんな歌が大好きで、北海道でも、愛知県でも1ヶ月に1度はカラオケに出かけていた。釜石へ来て驚いたのはこのカラオケの値段だ。驚くほど安いのだ。それまでの半分以下の値段だった。震災後は娘と2度ほど遠野のカラオケに行ったことがあった。今日も久しくカラオケに行っていなかった息子のために買い出しを終えた後、遠野のカラオケに行くことになった。時間制限がなく、飲み物が付いていて、ほんとうにこんな金額で利益があるのだろうかと心配になるような金額だった。時間制限がないため、娘も息子も存分に歌い込み、こちらはいつも通り、いつのまにか眠っていた。若い頃の仕事の関係で、いつでも、どんな場面でも、わずかな時間を見つけて眠る技を身に付けている。そばでうるさい音が鳴っていても平気で眠ることが出来る。カラオケが終わると、外はすでに真っ暗であった。近くの居酒屋でお腹を満たして帰路は息子の運転で釜石へ向かった。遠野は内陸の盆地にあるため、今日は日中でも-3度になっていて釜石よりも寒かった。遠野で昼に食べたラーメンも釜石とはかなり違っている。味はやはり釜石のラーメンの方がいい。麺も出汁も釜石のものが洗練されている。江戸時代は釜石は遠野南部氏の下にあった。遠野南部氏は盛岡南部氏が20万石であるのに対して、わずか1万2700石しかない。盛岡南部氏の分家だと思っていたが、調べてみると違っていた。むしろかっては遠野南部氏の方が南部氏宗家であったようだ。南北朝時代の14世紀に後醍醐天皇についていた北畠親房の長男、北畠顕家が陸奥守として東北へ下った際に、甲斐に所領を持っていた南部師行(もろゆき)が随行したことで、八戸根城を根拠地とするようになり、根城南部氏とか八戸南部氏と称されるようになったが、北畠氏が南朝方であったことが、後に災いし、三戸に根拠を置いた三戸南部氏が北朝を支持していたことから格上げされ、その後、盛岡南部氏となり、根城南部氏は江戸時代に遠野に配置換えとなる。宗家と分家が逆転したようだ。
遠野三山の一つ六角牛山(ろっこうしさん)標高1294m 遠野小富士とも言われる

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