釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「豊かさ」を再考する時

2012-04-08 19:14:15 | 文化
春めいたいい天気になったが、風が少し冷たい。昨年震災直前に大阪から釜石へやって来た娘は、震災に出会うとそのまま釜石に残り、人員の少なくなっていた職場を手伝ってくれた。職場が一段落して、電気も通るようになってから、ようやく被害のほとんどなかった我が家に帰れた。釜石でも内陸方向にある我が家に戻ると、ちょうど山菜が店に出始めた。休日に近辺の産直へ立寄ってみると、東北の豊かな山の幸である山菜が溢れていた。日が変わるとまた新しい種類の山菜が並べられる。この時、初めて娘は山菜の美味しさを知った。以来、山菜の虜になってしまった。福島第一原発は釜石へも放射性物質を拡散させた。山菜にも放射性物質が含まれていることは覚悟しなければならない。娘とはこのこともよく話し合った。放射性物質が含まれるのは山菜に限らない。東北の自然が豊かなだけに、その自然のすべてが放射性物質を何らかの形で取り込まざるを得ない状態になってしまった。あまりにも、原発に対して無知であった。それ故に、この事故による結果は引き受けざるを得ない。しかし、こうした事態は今後再び起きることがないようにしなければならない。震災から1年が過ぎ、春を迎えると、また山菜の時期がやって来た。現代では地元で採れたものをその日にすぐに口にできることはとてもすばらしいことだ。そして、まさにそのこと自体が現代の食生活が歪んでいることを物語っている。季節に関わりなくいつでも口に出来ることはほんとうに豊かさなのだろうか。かって日本が貧しかった頃、人々はみんなその日に採れた食材を口にし、季節が変わればその季節に獲れるものだけを得ていた。そこでは食材の新鮮な味を噛み締め、季節を感じることが出来た。豊かさに溺れた人々はやがて食材への関心をなくし、口に入った芳醇な味だけを楽しむ生活に慣れて行く。そんな消費者を見て、生産者も際限なく食材に手を加えて行くようになる。化学肥料をふんだんに使って生育をコントロールし、遺伝子操作も次々に導入させて行った。本来は廃棄させていた「くず肉」と呼ばれるものまで化学処理した後に、ひき肉にしてハンバーガーとして安く供給し、米国では子供たちの学校給食にまで供されるようになった。「ピンクスライム」だ。安くてカロリーがあるため、貧しい人ほどこれに頼った結果、貧しい家庭の子供ほど肥満になるという悲しい結果まで生まれてしまった。米国のフード産業は世界に市場を持つ、いわゆる、グローバルな企業だ。その経済力は米国の政治家をも動かす。どんな加工や処理が施されたものも一切の表示をしないことが許される、世界一規制の緩やかな国が米国である。3月14日の米国ニューズウィーク誌では「犬でさえ食べない」と書かれ、同国農務省の科学者であるカール・クラスターとジェラルド・ザーンスタインでさえ、農務省のピンクスライム購入を公然と批判し、自然な肉と栄養学的に同等ではなく、この添加物は「経済的な詐欺」だと断じている。マクドナル社はピンクスライムの使用を中止したと発表した。こうした事態は日本ももはや無縁ではない。穀物メジャーの一つであるカーギル社の幹部はTPPによって撤廃すべき問題として、各国の独自の食料安全基準があるとしているという。TPPは安全基準の撤廃を前面に掲げて来るだろう。原発事故やTPPを契機に我々はもう一度「豊かさ」とは何なのか、我々自身に問い直す必要があるだろう。
開き始めた山茱萸 (さんしゅゆ)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿