釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

潜在的な核抑止力としての原発

2015-08-21 19:18:50 | 社会
安倍晋三首相の祖父、岸信介は戦中のいわゆる「革新官僚」であり、統制経済を推進した実力者である。皮肉なことに統制経済をやり抜くために、岸たち「革新官僚」はソ連の計画経済を学び、マルクス主義を研究した。満州で統制経済の実績を上げた岸は大東亜共栄圏の実現に向けて侵略した国家の方針を担う人物であった。極東軍事裁判ではA級戦犯被疑者であったが、ソ連の台頭で、米国に許され、政界へ進出した。自主憲法制定、自主防衛、大東亜共栄圏を引き継いだアジアへの経済進出、反共親米を抱いて、再軍備された日本での核武装の下地を用意しようとした。1957年2月に首相となって、国民の反対を押し切って安保条約を成立させた1960年7月まで続けた。その間の1957年5月の参議院内閣委員会で「名前が核兵器とつけばすべて憲法違反だということは、憲法の解釈として正しくないのじゃないか、自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力であれば、私はたとえ核兵器と名がつくものであっても持ちうるということを憲法解釈としてもっております」と発言している。また1958年1月に茨城県東海村に完成させた研究用原子炉の視察に触れて、「原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。  日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器は持たないが、潜在的可能性を強めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を強めることができる」としている。そして1960年には安保闘争の陰に隠れて、東京大学工学部に日本で初めて原子力工学科が新設された。現在は福島原発事故の影響でシステム量子工学科に改名されているが。日本に原発が国策として導入された裏にはこうした原発の「核兵器としての潜在的な可能性」が担保されていた。祖父からのこうした遺伝子を受け継いだ安倍首相は例え原発が安全ではないと暴露された現在であっても、「核兵器としての潜在的な可能性」だけは維持しなければならい。また同じく祖父の抱いた自主憲法制定、自主防衛も自分が実現しなければならないと思っており、祖父ほどの能力も実力もないが故に、強権的な手法で進めていかざるを得なくなっている。2011年の福島第一原発事故のあった直後に防衛大臣も歴任した石破茂大臣は雑誌で「核 の潜在的抑止力を維持するために、原発をやめるべきとは思いません」と明言している。事実上政府広報紙である読売新聞も同年9月7日の社説で「日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現 状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ」「高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきでは ない」と述べて政府の姿勢を代弁している。1955年11月に保守合同で成立した自由民主党の初代幹事長となった岸信介が内包した「潜在的な核抑止力としての原発」は結党以来自由民主党の遺伝子でもある。
早くも色付いたナナカマド