釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

春先

2018-04-03 19:16:01 | 自然
東北の春先の天候は不安定だ。日中の気温が上がったかと思えば、翌日には極端に下がる。毎日天気予報を確認して、服装を決めなければならない。とは言え、やはり冬はもう確実に去った。毎朝のウォーキング時に、家々の庭先で花が咲いて来ているのが目に入るようになった。川の水鳥たちもほとんどいなくなった。北へ旅立ったのだろう。白いカルガモは、しかし1羽とり残されたのか、まだいたが。職場周辺の山の藪椿もたくさん咲いて来た。家の庭では昨年手に入れた黄色い沈丁花が咲き、白のショウジョウバカマも咲いて来た。桜の蕾も日増しに膨らんで来ており、おそらく今月半ばには咲いて来るだろう。北上市の桜の名所、展勝地では10日から桜祭りが始まる。10日ではまだ開き始めだろうと思うが。東北の冬は長いだけに、花が咲き始めるのを見ると、気持ちまで春めいて来る。それでも毎年、用心のために連休明けまではスタッドレスタイヤのままで、夏タイヤへの交換はいつも連休が明けてからにしている。先日、紫波町の産直で、希少な山野草が見られる「峠の駅」紫波ふる里センターに、山野草が出ていないか、行ってみたが、やはりまだごくわずかで、山野草は来月にならないと本格的には出て来ないのだろう。出かける時は必ず標準レンズと望遠レンズを持って出かけてはいるが、最近は重い望遠レンズが煩わしくなり、軽い望遠レンズ付きのデジカメも携帯して、どちらかと言うとそれで撮ることが多くなった。これだといつもポケットに入れて持ち歩ける。レンズもとりあえずはLEICAではある。おそらくLEICAが設計し、Panasonicが生産しているものなのだろう。花や景色はデジタル一眼でもいいが、鳥は、特に小鳥は偶然出くわすため、いつも持ち歩けるカメラでなければ難しい。先日、出会ったキレンジャクなどはまさにそうだ。歩道を歩いていると、目の前に飛び込んで来た。歩道の並木として植えられたナナカマドの実がたくさん歩道に落ちていて、それを食べにやって来た。動きを止めて、ポケットのデジカメを取り出し、レンズを向けたが、あまり警戒しないでせっせとついばんでいた。川の砂州に並んだ葉のまだ出ていない木にアカゲラが飛んで来た時も同じだ。目の前を飛んだ鳥が近くの木に止まり、こちらがゆっくり動くと、この時はアカゲラが警戒したのか、むしろアカゲラの方が動きを止めた。水辺の宝石と呼ばれるカワセミは普段も甲子川で見られるが、ヤマセミは市街地ではまず見ることがない。しかし、釜石へ来てすぐ、犬の散歩で川の土手を歩いている時に偶然ヤマセミを見つけた。対岸の木の枝に止まり、川の小魚を狙っていた。その後も何度か同じ木に止まっているのを見たが、今は自動車道の工事のために、その木もすでに切られてしまった。川沿いに道路工事が行われているので、もうヤマセミがやって来ることはないだろう。
たくさん咲いて来た藪椿

巨大地震後の巨大噴火

2018-03-24 19:15:29 | 自然
今朝は久しぶりに雲一つない釜石ブルーの広がる朝になった。放射冷却で、薄っすらと氷が張るところもあった。家の裏の空き家の庭には鹿の糞がたくさん落ちている。芽吹きはじめた草を食べに夜にやって来ているようだ。今朝のウォーキング時に今年初めてウグイスの声を聴いた。まだまだ未熟な声であったが。 立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学教授は、世界で発生したプレート型の巨大地震の後には、必ずと言っていいほど火山の巨大噴火が起きていると言われる。2011年の東日本大震災後、各地で火山噴火は見られているが、今までのところは巨大噴火と言えるほどの噴火は見られていない。日本での有史以来最大の火山噴火は915年の十和田火山平安噴火だとされる。十和田湖は5万5000年前以後の3回の大規模噴火によって形成された二重のカルデラ火山である。直径約9km、水深100m前後の平たい盆型の十和田湖を成している十和田カルデラと、その内部の直径約3km、最大水深327mの鋭い頂角をもつ楕円錐台型の中湖(なかのうみ)カルデラである。この915年の十和田火山平安噴火では、火砕流は約20Km先まで到達し、その後の雨で大規模な泥流が発生し、日本海まで達している。十和田火山は過去1万1000年間で少なくとも8回の爆発的噴火が確認されている。十和田火山の平安噴火は確かに高橋教授が言われるように、2011年の東北地方太平洋沖地震に対比される869年の貞観地震の前後に864年の富士山の噴火とともに発生している。今年、1月青森県や秋田県などでつくる十和田火山防災協議会は、十和田湖の火山噴火を想定したハザードマップを公表している。大規模噴火時は火砕流が火口から30Km地点まで到達し、特に青森県の下北半島に集中し、いずれも30Km圏外にある原発などの原子力施設には、火山灰が積もる恐れがあるとしている。火山灰は風により青森県は全域、秋田県は北半部、岩手県は南部を除く8割の地域に火山灰が積もる。日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ケ所村)や東北電力東通原発(同東通村)などがある下北半島に火砕流は達しないが、風向きによって火山灰や軽石などの降下物が10cm以上積もるとされる。2002年に医師でもある作家石黒耀氏が『死都日本』を出した。「地震は怖いけど、火山はそうでもないよね」と言う妻の言葉に驚き、1998年から書き始めたという。当時、宮崎県中部の清武という町に住んでいて、その町では古くから「清武石」という石材が切り出されており、古い家の基礎や石垣に使われている。この石材は、遥か離れた鹿児島県姶良火山の巨大火砕流噴火で出来た溶結凝灰岩であった。破局的な巨大噴火を起こすメカニズムは解明されていないため、明日いきなり大噴火しても不思議はない危険な火山だが、大部分が海面下にあるせいか地図にも記載されておらず、地元民の話題に上ることもなく、火口縁の姶良町に住む人に尋ねるチャンスがあったが、「一応、学校では習うんですが、特に危険な場所に住んでると意識してる人はいないと思いますよ」と笑われてしまったと言う。小説では、宮崎県沖で大きな地震が発生した後、霧島山の地下にある加久藤火山(加久藤カルデラ)が巨大噴火を起こす設定になっている。そして、政府は火砕流にのまれそうな原発から燃料棒を運び出す。現実を考えると、やはり小説の中だけのこととしか思えないのが残念だ。
早朝の愛染山

超巨大火山(スーパーボルケーノ)

2018-03-17 19:11:39 | 自然
紀元前70000年頃から紀元前14000年頃までをヴュルム氷河期と言い、海面が現在より100mも低くなっていたため、現在のタイ、ベトナム、ラオス、カンボジアなどが位置するインドシナ半島やマレーシアが位置するマレー半島はインドネシアのスマトラ島やボルネオ島と陸続きとなり、スンダランドと呼ばれる陸地を形成していた。現在のオーストラリア大陸もニューギニアと一体となり、サフルランドと呼ばれる。この氷河期を通じてアフリカを出た人類はスンダランドを経由して、サフルランドへ至ったと考えられる。これらの地域、特にスンダランド付近は環太平洋火山帯Ring of Fireであり、ユーラシアプレートやオーストラリアプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートなどがせめぎあっており、日本と同じく、地震と火山噴火が太古から頻発して来た。以前にも書いたが世界には7つの超巨大噴火を起こしたカルデラがある。そのうち一つだけが欧州にあるが、他は全てこのRing of Fireに属している。インドネシアのスマトラ島には過去200万年で最大規模とされる超巨大噴火を起こしたトバ火山がある。人類がまだアフリカにいた7万4000年前のトバ火山の超巨大噴火は、一瞬のうちに2500Km3(立方キロメートル)の塵や岩を吐き出し、堆積物を数Km上空にまで噴き上げ、直径100Kmものカルデラを生み出し、地球の気温を急低下させ、気候の寒冷化に拍車をかけた。これまで、この超巨大噴火により、アフリカをようやく出ようとしていた現生人類を絶滅寸前まで追い込んだと考えられて来た。しかし、近年の米国ネバダ大学ラスベガス校の地質学者とアリゾナ州立大学の考古学者によって、アフリカの南端、ケープタウンに近いピナクルポイント遺跡が調査され、トバ火山の噴火によって積もった火山灰の上下の層から熱処理された石器や動物の骨など40万点を超える人類の遺物と、火が使われた痕跡を発見した。アフリカの南端の海岸にいた現生人類は噴火の時も生き延び、後に繁栄し、数千年間その土地に住み続け、さらには革新的な道具まで作り出したと研究者は結論付けている。世界にある7つの超巨大火山(スーパーボルケーノ)の中で、最も規模が小さいのが日本の7300年前の薩摩硫黄島の鬼界カルデラ噴火である。噴出したマグマは170km3であった。トバ火山噴火の15分の1である。それでも九州の縄文人を壊滅状態に追い込み、火山灰は北海道にまで堆積している。そして過去2億年で最大最強の噴火を起こしたのが、ニューギニアの東の海底にあるオトンジャワ海台での1億2000年前の超巨大噴火である。噴出したマグマの量は1億km3と言う途方も無い量で、地球の面積の1%を覆った。現在、驚くべきスピードでマグマが蓄積しているのが米国の国立公園になっているイエローストーンである。地下のマグマ溜まりには9000km3ものマグマが蓄積されている。これが噴出すると、広大な国土を持つ米国も、そのほとんどが火山の噴出物で覆われ、人が住める土地ではなくなる。地球を覆いつくす火山灰によって、地球の年平均気温は10度も下がると研究者は考えている。
内陸の雪の畑地で数羽の白鳥が餌を採り、2羽の白鳥が飛んでいた



新種の桜

2018-03-14 19:10:47 | 自然
今月半ばを過ぎると九州でも桜が咲きはじめて来る。同じ東北でも気温が2度ほど内陸より高い沿岸部は来月半ば過ぎから咲いて来る。現代では各地の桜の名所が江戸時代に作出された染井吉野になっている。染井吉野は江戸彼岸桜と大島桜が交配されたものだ。この二種の他に、日本古来からの野生種には山桜、大山桜、霞桜、丁子桜、豆桜、高嶺桜、深山桜があり、これら9種が原種となり100種以上が自生していると言う。全国で人為的に植えられた染井吉野は原種の桜に比べて寿命が短い。原種の桜では何百年や千年を超える樹齢のものがある。染井吉野が交配種であるためもあるのだろうが、自生ではなく人為的に植えられているために、植えられた土地が桜に適した土地とは言えない可能性もあり、そうした人為的な環境が寿命を短くしている可能性がある。各地の桜並木は時期になると人の目を楽しませてくれるが、そうした並木は桜の1本1本にとっては生育環境としては好ましい環境とは言えないだろう。岩手では北上の展勝地や遠野の猿ヶ石川沿いの堤の桜並木が知られている。いずれの桜も根を見ると、隣接する桜と接し合っている。余裕を持って十分な栄養が吸収出来ているようには思えない。人為的な「美」を作り出したためにかえって寿命を短くしてしまっているのかも知れない。意外にも1本だけ孤立して咲く染井吉野の方が寿命は長いのかも知れない。茨城県つくば市にある森林総合研究所は、今年に入り、紀伊半島南部に群生している桜が野生種としての新種であると発表した。三重県熊野市、奈良県十津川村、和歌山県田辺市など、熊野川流域を中心に南北約90Km、東西約60Kmの範囲で自生しているのが確認された。新種が判明したのは1910年代の大島桜以来、100年ぶりだそうだ。。鮮やかなピンク色の花が咲き、熊野地方にちなんで「熊野桜」と名付けられた。和歌山県の古座川町の山では年に2回桜が咲くそうで、研究所が調べたところ、3月中旬から熊野桜が咲き、4月中旬から山桜が開花することが分かった。熊野桜は山桜や霞桜に似ているが、葉の形や花の根元にある花序柄が大きく異なっている。古座川町では霞桜は4月下旬に咲き、開花時期でも同じ地方で異なっていた。新種の熊野桜にとっての脅威は栽培品種である染井吉野だそうだ。熊野桜と交雑して、雑種が増える可能性が危惧されると言う。
白梅がようやく咲いて来た

カワアイサ

2018-02-24 19:12:16 | 自然
先週末くらいから、いつものウォーキングルートの氷が溶けて、歩きやすくなって来たので、ウォーキングを再開している。このウォーキング時には甲子川の流れやそこにいる水辺の鳥や小鳥たち、周辺の山々の様子などを見るのが楽しみになっている。この冬は異常に気温が低いが、それでも釜石は連日雪が降る内陸とは違って、ほとんどがいつもの冬と同じく晴れていることが多い。晴れるだけ、朝の気温も低くなるが。釜石へ来てから、毎年冬は花が見られないので、渡の水鳥や小鳥たち、特に白鳥が来た時には白鳥を見るのが楽しみである。白鳥の他に、カモ類ではキンクロハジロ、オナガガモ、ヒドリガモ、ホシハジロが主に毎年やって来る。マガモやカルガモは留鳥として1年を通して見ることも出来る。年によってやって来ることもあるのがホオジロガモやカワアイサである。釜石に来る前に住んでいた愛知県はちょうど本州の中程になるためか、渡りの鳥の種類もたくさん見かけた。おそらく岩手もたくさん来ているのだろうが、広いためになかなか出かけて確認出来ていないところが多い。先週末に川のそばを歩いていると、他の水鳥とは全く違った動きをするカモを認めた。多くのカモは餌を摂るのに、頭を水に潜らせ、逆立ちするような態勢になる。しかし、この時のカモは首を前に長く伸ばして、何かを追いかけるように素早く移動していた。ただ頭は水の中に入ったままであった。ひょっとすると、と考えたが、距離があり確信は持てなかった。その後またウォーキング中にこのカモに出会った。くちばしの先端が下に折れ曲がっていたり、冠羽が後ろに飛び跳ねたようになっていたり、まさにカワアイサの特徴であった。ウミアイサも良く似ているが、カワアイサの方が色彩がはっきりしていて、オスは東部から背中にかけて深い緑色で、胴体は純白であるため、目立つ。メスは頭部や体が茶系で、胸のあたりに少し白がある程度で、オスに比べると地味だ。毎年見られるわけではないので、今年は貴重である。餌は魚類なので、素早く動く小魚を追って、獲らえる。川の中でも段差があって、流れが落下したあたりに小魚も餌を求めて集まっているので、そうしたところにカワアイサもいることが多い。カワアイサは主にユーラシア大陸で繁殖し、ごく一部は北海道でも留鳥として過ごしているようだが、大半は冬に日本列島にやって来る。ある程度の間隔をおいて、シラサギやアオサギもいて、時々、飛び立って小川町の山の斜面あたりに消えて行く。多分、その辺りに営巣しているのだろう。
カワアイサ(左のオスのいる辺りに少し落差のある流れがある)

水槽の金魚

2018-02-19 19:14:33 | 自然
内陸では連日の雪のようだが、釜石ではほぼ晴天が続いている。気温だけはやはり例年より低い状態が続く。今朝も出勤前にウォーキングに出かけたが、川沿いを歩くと、いくつかの野鳥たちに出会った。いくら気温が低くてもカモ類は冷たい水の中で、せっせと餌取りに励んでいる。頭から水の中に入り込むように、逆立ちした格好で、何度も餌取りを繰り返す。時々、川面に沿ってカワガラスが飛び交う。縄張りがあるのか、ある程度の間隔をおいて、オオサギを見かける。 愛知県に住んでいた頃、県下の何ヶ所かでハスの花を見ることが出来た。ハスの花は香りもいいが、何と言っても淡い色合いの花が美しい。初夏になるとハスの花を求めて出かけて行った。岩手に引っ越してからは、しばらくハスの花と出会うことが出来ず、色々調べて見た。紫波町の五郎沼と平泉の毛越寺に800年前のハスを蘇らせたものがあることを知った。愛知県よりはハスの花の季節が少し遅れるが、いずれのハスも訪ねて行った。旧居では2000年前の大賀ハスを育てて見た。素人のろくな手入れもない状態で、それでも1シーズンだけは花が咲いてくれた。新居に移って、大賀ハスだけでなく、睡蓮やホテイアオイのための水槽を用意した。その水槽には金魚とメダカも入れておいた。しかし、気がつくといつの間にかメダカの姿が見えなくなった。今冬の厳しい寒さの中で、金魚のいる水槽はすっかり表面を氷で覆われてしまった。睡蓮やホテイアオイも枯れてしまったようだ。昨日の日中にようやく氷が溶けた。日中に水槽近くで、しばらく水槽の中を見ていると、2匹の金魚の姿が確認出来た。こちらが少し体を動かしただけで、素早く姿を消してしまったが。長く氷に覆われていたので、諦めていたが、金魚の姿を見て嬉しくなった。調べて見ると、金魚は池などでは、寒い冬には冬眠するそうだ。庭の水槽の水は薄い緑色になっているが、これは植物性プランクトンのせいのようで、金魚にとっての餌だそうだ。氷が張って、水温も下がると、金魚は「冬眠」して動かなくなり、エネルギー消費を抑える。気温が上がり、氷が溶け、水温も上がると、少し泳ぐようになり、餌の植物性プランクトンを食べる。水槽に金魚を入れて半年ほどになるが、やはり当時よりも大きくなって来ている。尾の部分も長くなっている。氷が張ると、厚みがあるため、金魚の姿は全く確認出来なくなる。今朝は−7度になったために再び水槽には氷が張っていた。
氷の張った水槽

準備されているカルデラ噴火

2018-02-16 19:17:34 | 自然
今月9日、神戸大学海洋底探査センターが英国科学誌「サイエンティフィック・リポーツScientific Reports」(電子版)に論文を載せた。鹿児島県の薩摩半島の南約50Kmにある海底火山「鬼界カルデラ」(直径20Km)に、世界最大級の溶岩ドーム(直径10Km、高さ600m、体積32立方キロ超)を確認したと言う内容だ。鬼界カルデラは7300年前に大噴火により形成され、この噴火により九州の縄文人は壊滅状態となり、難を逃れた縄文人が太平洋を流され、南米エクアドルへたどり着いた可能性が指摘されている。同センターはカルデラ内部の海底を調査し、その中にドーム状の地形があることを確認し、この地形が鬼界カルデラ形成以降の噴出でできた溶岩ドームであることを突き止めた。ドームの上部には、熱水が噴出して煙のようにたなびく「熱水プルーム」も既に確認されており、直下で活発な火山活動が続いていると推測されている。日本列島では体積40立方キロ以上のマグマを噴出する巨大カルデラ噴火が、過去12万年に10回起きている。同センター長の巽好幸教授は、日本列島で巨大カルデラ噴火が起きた場合、「最悪の場合、約1億人の犠牲者が出るとされる」と言われている。武蔵野学院大学の島村英紀特任教授によると、記録が残っている17世紀以降だけでも日本のどこかで各世紀に4~6回の「大噴火」が起きて来たが、20世紀以後は、初めに2回の「大噴火」があった後、現在に至る100年近くはこの「大噴火」がないのだと言う。1914年に起きた鹿児島県の桜島と1929年の北海道の駒ケ岳の大噴火を最後に、以後大噴火は途絶えている。世界で発生した過去50年間のM6以上の地震の数をみると、2000年以前は毎年10回未満であったものが、以後は20回以上に増え、50回に迫っている。東北のカルデラでは915年の十和田湖の大噴火が最後である。この時の噴火では、時速100kmを超えるスピードの火砕流が半径20kmの範囲を焼き尽くしたとされる。また、1万3000年前のカルデラ噴火では青森県の大半が火砕流で焼き尽くされている。九州には他にもカルデラがあり、8万7000年前の阿蘇山のカルデラ噴火は7300年前の鬼界カルデラ噴火の3倍近い規模で、火砕流は九州から山口県まで達している。2011年の日本海溝に沿った東北地方太平洋沖地震と津波はあり得ないと思っていたことが起き得ることを知らしめた。漠然とした不安ではなく、今日本列島では何が起きているのか、確かな知識を持っておくことが重要であると、改めて考えさせられた。
シベリアからの冬の使者ツグミ

東日本の火山も要注意

2018-01-31 19:14:26 | 自然
今月23日に標高2171mの、群馬県と長野県の県境にある本白根山が噴火したが、昨日、気象庁は宮城、山形両県にまたがる蔵王山で火山性微動を観測したと発表した。山頂の南方向が隆起した。蔵王山には馬の背カルデラがあり、噴気や火山ガスの噴出がみられている。2011年の東日本大震災後、中部日本の御嶽山や九州の桜島、阿蘇山などの火山活動が活発になっているが、東北や北海道でも八甲田山、十和田、有珠山で火山性微動や膨張が観測されている。これらの近くには青森県六ヶ所村の再処理工場や大間、東通原発があり、有珠山は泊原発に影響を与える距離にある。四国の伊方原発、九州の川内原発は活断層が真近であり、直下型地震や阿蘇山の大規模噴火があれば、大きな災害が発生する。日本には111の活火山がある。それらのうちの37の火山が16ヶ所の原発に影響を与える範囲にある。火山の噴火は原発を直撃することはないが、噴火で発生する大量の火山灰が原発の電気・通信システムを麻痺させ、原発はコントロール不能に陥る。核燃料の核分裂で発生する熱を冷却し続けなければならない原発にとって、冷却不能に陥ることは致命的な事故になる。福島第一原発事故や震災後の原発の再稼働に見られるように、国の安全審査などとても甘い。再稼働ありきが大前提であるからだ。2万を超える活断層と100を超える活火山がある日本列島に54基もの原発や多数の使用済み核燃料棒が集積する再処理工場がある。東日本大震災は多くの研究者たちに日本は今、地殻の大変動期に入ったと気付かさせた。平安時代と江戸時代には大地震や富士山をはじめとする各地の火山の噴火が連動して発生している。NHKも報じたように震度1以上の地震の数はいまだに震災以前に比べて多い。釜石でもしばらく減っていた地震がここ何ヶ月か増えて来ている。まるで震災前を思わせるような頻度だ。揺れがさほど大きくないために、忘れてしまうが、数だけは確かに増えている。立命館大学環太平洋文明研究センターの高橋学教授によれば、「2011年の東日本大震災以降、太平洋プレートと北米プレートの摩擦が強まり、このためプレートが溶けてマグマが生産され、関東から北海道にかけての火山が活発になっている。火山性の微動が起きていたり、マグマの熱から生じるガスや水蒸気で山全体が膨らんでいる火山は要注意です」と言う。
氷柱

本白根山の噴火

2018-01-25 19:14:23 | 自然
今朝も−7度で、昨日に続いて一日中氷点下の真冬日が続いた。最低気温は−8度であった。同じ釜石でも市街地周辺部の地域では−12度のところもあった。例年の北海道並みの気温である。しかし、さすがに釜石は内陸とは違い雪はずっと少なく、主な路面の雪はなくなっている。残念ながら先日の4羽の白鳥はいつも川の位置では姿が見えなくなっていた。 23日、米国アラスカ州アンカレジから南におよそ580Km離れた太平洋を震源とするM7.9の地震があった。ファンデフカJuan De Fuca・プレート が突然東の方向に移動し、北米North Americaプレートの下に滑り込んで起きた。カスカディアCascadia断層帯である。ここでは1700年にM9の巨大地震が発生し、日本へも津波が押し寄せている。この断層帯もやはりRing of Fire環太平洋火山帯に属し、地震と火山噴火の地帯である。同じ日、日本では群馬県にある本白根山という火山が突然噴火した。有史以来、噴火の歴史はなかった山だ。1979年と2014年に噴火した御嶽山も同じく、有史以来噴火していない山である。過去の噴火は本白根山は3000年前、御嶽山は5000年前である。本白根山は北米プレート上に、御嶽山はユーラシアプレート上にある。そして、両火山からほぼ等距離にある富士山は北米プレート上ではあるが、ユーラシアプレートとフィリピン海プレートが接近しており、フィリピン海プレートは富士山直下に潜り込む形になっている。太平洋プレートは北米プレートの下に潜り込んで、北米プレートに圧力をかけているが、同時にフィリピン海プレートプレート下にも潜り込み、圧力をかけている。距離から考えると、フィリピン海プレートにかかった圧力が御嶽山や本白根山の噴火に影響した可能性が強い。琉球大学の木村政昭名誉教授が予想する2019年までの富士山の噴火は、このフィリピン海プレートの圧力を最も受けやすい富士山の位置を考えると、大いにあり得ると思われる。富士山直下には巨大なマグマ溜まりがあり、数年前から富士山での隆起や亀裂が報告されており、満を辞した形で突然噴火に至る可能性がある。富士山の最後の噴火は1707年の宝永大噴火である。そして、この噴火は49日前に起きた南海トラフのほぼ全域にわたって断層破壊が起きた宝永巨大地震に続く噴火であった。同じ江戸時代には1611年の慶長三陸巨大地震が起きている。津波は最高20mに及んだと推測されている。江戸期と同様に平安時代にもこの東北の巨大地震、南海トラフ地震、富士山噴火がそれぞれ発生している。もともと日本列島は東西の島二つが合体して構成された。その合体地帯がフォッサマグナと呼ばれる。東の新潟県から千葉県に至る柏崎ー千葉構造線と糸魚川ー静岡構造線に挟まれた地域である。そこには新潟焼山、妙高山、草津白根山、本白根山、浅間山、八ヶ岳、富士山、箱根山、天城山がある。本来この地帯は地殻的に不安定な地域である。しかし、この地帯に東京電力の柏崎原発と中部電力の浜岡原発がある。富士山噴火や南海トラフの地震は間違いなく直接浜岡原発を機能不全に追い込むだろう。2011年の東北の巨大地震は、誰もが想像さえしていなかった。
近所の旧家の軒先のツララ

1羽の白鳥

2018-01-06 19:11:31 | 自然
釜石での花が少ない冬の楽しみは北からやって来る渡り鳥たちを見ることだ。中でもやはり白鳥の姿が見られると、毎年のことだが、感動する。昨年末に夜空を鉤型に並んで内陸方向へ飛んで行く白鳥たちのシルエットを見ただけで、日中の甲子川ではその姿を見かけることがなかった。年が明けて、仕事始めの4日の朝、出勤時に1羽だけの白鳥が職場近くの川にいるのを認めた。昼休みに出かけて見ると、まだ、ほぼ同じ位置で寝ていた。昨日の朝もやはり同じところにいたので、昼休みにパンを買って、川に出た。岸辺からパンのカケラを投げてやると、たくさんのカラスが群がって来たが、白鳥は上手くパンをとらえて食べてくれた。しかし、そのうち通りがかったウォーキング中の初老の方から、注意を受けた。「野鳥の餌付けは禁止されているから、やめて」と言われた。一頃鳥インフルエンザが騒がれ、遠野でも野鳥へのエサやりは禁じられたと聞いた。環境省も人為的なエサは、野鳥の生態を乱すため、エサやりはしないよう呼びかけている。それを承知の上で、ただ1羽やって来た白鳥に何がしかのエサをやりたくなった。少しでも長く川にいてもらいたいと思ったからだ。震災前には鵜住居川が野鳥の観察地として知られ、たくさんの野鳥が見られた。その鵜住居川が津波で、すっかり様相が変わり、野鳥が以前のようには来なくなった。その後の鳥インフルエンザの騒ぎで、一層人の野鳥への関心が薄れてしまった。内陸ではずっと以前から、白鳥の飛来地には表示があり、観察用の施設なども簡単だが整備している。市街地を流れる甲子川には通年でたくさんの野鳥が生息している。青い宝石、飛ぶ宝石、川の宝石などと呼ばれるカワセミもいて、また、滅多に見ることのないヤマセミ、オシドリなども来る。川にはアユやヤマメもいて、今のように鮭もやって来る。10年前に初めて釜石へ来て、この自然のあり方にとても感動したが、地元の人には、当たり前過ぎて、釜石の自然の豊かさにほとんど意識がなく、そのため、あえてその豊かさを大事にしようとはしない。自分たちの住む風土を大切にしようとする釜石近隣の遠野や住田町、大槌町などを見ルト、尚、それを強く感じる。亡くなられた高齢の識者の方も同意見であったが、釜石は製鉄の街として、他地域から来た人たちが多いために、どうしても郷土意識が薄いのでは、と考えてしまう。また、製鉄所の城下町であったことが、自分たちで何かをしようとするより、製鉄所に何かをしてもらおうとする姿勢が植え付けられてしまったのではないか、と考えてしまう。震災後の「復興」はまさにその最たるもののように見える。何れにしても、このとても豊かな自然がいつまでもそこにあって欲しいと願うばかりだ。