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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

参考に

2021-05-12 19:15:31 | 文化
4月3日の日本経済新聞は、「コロナ治療薬、年内にも 米メルクなど治験終盤に」なる記事で、米国製薬会社メルク社などが新型コロナウイルスの新しい治療薬の開発を行なっており、「ワクチンに比べ難航してきたが、病態の解明が進み、新薬開発が加速してきた。」と報じている。この記事のメルク社は、2015年にノーベル生理学・医学賞受賞を受賞した北里大学大村智特別栄誉教授が開発した寄生虫薬を、イベルメクチンとして生産・販売した製薬会社である。新型コロナウイルス感染が世界中に拡大した昨年、世界の研究者は、ワクチンではなく治療薬を既存の薬の中から探しだす研究に取り組んだ。早く安く入手出来ることで、貧しい国でも治療が多くの人に可能となる。世界の研究者たちはイベルメクチンの有効性を報告したが、コロンビアで行われたイベルメクチンの有効性を否定する研究論文をもとに、大勢はイベルメクチンの有効性を否定する方向に傾いた。北里大学の研究者たちはイベルメクチンの有効性をむしろ世界の多くの論文で再確認し、コロンビアでの研究論文のずさんさを指摘し、メルク社にイベルメクチンを大量生産するよう申し入れたが、メルク社は拒否した。ジェネリック製品まで出ていて、薬価がわずか3mg錠1錠が652.6円でしかない薬では、とても製薬会社の利益は薄くなる。日本政府が早々と承認した新型コロナウイルス感染症治療薬レムデシビルは、米国陸軍感染症医学研究所(USAMRIID)がエボラ出血熱の治療薬として開発し、ギリアド・サイエンシズが生産・販売していた薬で、新型コロナウイルス感染者1人を治療するためのレムデシビルの費用は3100ドル、つまり日本円だと33万7000円ほどになる。いかに治療に有効であっても、製薬企業にとっては利益のない薬には関心がなく、そんな薬が普及することは困るのである。米国ワシントンD.C.に拠点を置く、世界的に有名な救命救急医および学者のグループで組織されたFront Line COVID-19 Critical Care Alliance (FLCCC)は、イベルメクチンを新型コロナウイルスの治療薬の一つに含めたことを4月29日に公表している。昨日、THE TIMES OF INDIAに掲載された「Existing affordable drugs could rapidly reduce Covid-19 cases and deaths in India(既存の手頃な価格の薬は、インドでのCovid-19の症例と死亡を急速に減らすことが出来る)」と題する米国エモリー大学ヴィカス P.スーカトゥミVikas P. Sukhatme医学部長の記事で、この教授は治療薬として、既にジェネリック薬品が出ている2剤をインドが使用することを勧めている。1剤は抗ウイルス薬としてのイベルメクチンで、もう1剤は後遺症を避けるためのフルボキサミンである。この新型コロナウイルス感染症では、LONG COVID-19と呼ばれる後遺症が様々に報告されているが、フルボキサミンを使うことで多くの人が、その後遺症を避けられると言う。使用法は、イベルメクチンは1日あたり0.4mg / kgを7日間、フルボキサミンは50mgを1日2回14日間となっている。また、イベルメクチンについては予防のための使い方も書かれており、その場合は、0.2mg/kgを週1回服用する。フルボキサミンは抗精神病薬である。英国の研究では感染者の3分の1で脳・神経系の障害が残るとされている。スーカトゥミ教授の経歴を見ると、教授はインドで生まれ、イタリアのローマで育ち、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)で理論物理学の博士号を取得した後、ハーバード大学医学部で博士号を取得し、マサチューセッツ総合病院勤務を経て、スタンフォード大学で免疫学の研究に従事し、シカゴ大学やハワードヒューズ医学研究所で過ごした後、ハーバード大学に戻り、学術プログラム学部長を経て、エモリー大学に移っている。教授の研究は基礎科学と臨床ケアの両方の医学の多くの分野にまたがり、40,000回以上引用された200を超える科学出版物があり、腫瘍代謝と腫瘍免疫学、および進行癌を治療するための「すぐに使える」アプローチに関心があると言う。研究室での発見に基づいていくつかのバイオテクノロジー企業を共同設立しており、教授の妻とともに非営利団体GlobalCuresの共同設立者であり、収益性がないために追求されていない癌の有望な治療法に関する臨床試験を実施している。 GlobalCuresのビジョンはエモリー大学で拡大され、教授が創設ディレクターを務める革新的で「手頃な価格」で治療を受けられる医療センターが設立されている。
参考:イベルメクチンはジェネリック名のストロメクトールとして、ストロメクトールジェネリック12mgでベストケンコーBESTKENKO.comで1箱50錠9360円となっています。シンガポールか台湾から発送されるようです。
フルボキサミンはオオサカ堂で、1錠50mg1箱20錠1964円で販売されています。こちらは香港からの発送のようです。
イベルメクチンは現在配送に時間がかかっているようです。

オリンピック

2021-03-27 19:12:59 | 文化
オリンピックの聖火リレーは25日に福島県楢葉町のサッカー施設であるJヴィレッジからのスタートで始まった。この日のために1月8日から続いていた「緊急事態宣言」が3月21日に解除された。2日目の相馬中村神社で行われた聖火リレーの出発式で、全国市長会会長で、医療法人、老人保健施設理事長でもある相馬市の立谷秀清市長は、「原発事故は熾烈なものでしたが、放射能によって病気になった福島県民はおりません」と述べている。200人を超える福島県の小児甲状腺癌は何が原因だと言うのだろう。聖火リレーがスタートした25日付けで、東京でのオリンピックの放映権を有する米国三大ネットワークの一つであるNBCは、「THINK」欄で、「Amid Covid fears, Tokyo Olympic Games' torch relay kicks off. It should be extinguished.(新型コロナウイルスの恐れの中で、東京オリンピックのトーチリレーが始まった。 その火は消す必要がある。)」と題する記事を出した。執筆は元プロサッカー選手で米国パシフィック大学政治学のジュールズ・ボイコフJules Boykoff教授である。『オリンピック秘史 120年の覇権と利権』と言う本も和訳で出されている。聖火リレーはナチスが始め、プロパガンダなどに悪用されてしまった歴史があり、公衆衛生も犠牲にして感染拡大を誘発するリスクがあると指摘し、不完全な感染症対策で東京オリンピックを実施しようとしていると疑問を呈している。NBCは親会社がユニバーサルスタジオもその傘下にある巨大組織で、昨年の東京オリンピック延期にも大きな影響を与えたと言われれている。オリンピックのTVの実質的な放映権を握っているのがNBCなのだ。そのNBCがコロナ禍で行われようとしている東京オリンピックに否定的なのだ。もっとも、このNBCの姿勢にはさらに奥があるとの見方もある。それは、来年の冬季北京オリンピックである。米国は、そしてNBCは北京での冬季オリンピックを中止させたいのだと言う。そのためにも東京オリンピックを中止させたいのだ。東京オリンピックを開催しておいて、北京での冬季オリンピックを中止させるわけにはいかなくなる。米欧の中国包囲網が厳しくなりつつある現在であればなおさらである。とわ言え、ボイコフ教授が言う通り、オリンピックの聖火リレーなど、本来古代オリンピックにはなかったわけで、1936年のベルリンオリンピックで、アドルフ・ヒトラーが政治的利用を目的に始めたものである。古代オリンピックでは競技場に火が灯されたのだ。東京オリンピック自体も、そして、聖火リレー自体も政治による利権優先に利用されているだけである。東京オリンピック開催のために福島県初め復興工事は大きく遅れることになってしまった。スポーツは本来、どんなに稚拙であっても、自らが行うものであり、競技としてのスポーツも人の持てる力を伸ばすためには大事だと思うが、現代のオリンピックはあまりに金まみれになっており、古代オリンピックの精神などもはやどこにも見られなくなってしまっている。裕福な国ほどメダリストも出やすくなっている。
レンギョウ(連翹)

東北

2021-03-24 19:21:01 | 文化
子供の頃は父の仕事の関係で、四国の企業城下町と言われる街で育った。何百軒と同じような庭付きの一戸建ての家が建ち並んでいた。放課後には近所の子供たちが集まり遊ぶ毎日であったが、小学校の低学年には、ずっと離れた山の中に住む友人がいて、その頃はいつもその友人と一緒に川や池で遊んでいた。山や川、海が子供の遊び場であった。シダが茂る山腹に秘密の通路を作り、通路の先には「棲家」となる場所があった。何日かかけて筏を作って池で遊んだこともある。谷川は釣りや泳ぎの場所であり、今思うとよく命拾いをしたものだと思える時が何度もあった。怪我をすることも日常茶飯事であり、年長者が下のものに危険な場所を教えたり、怪我や体調の不具合の簡単な治し方などを教えた。小学校の大半は、学校よりも放課後の遊びの方がずっと楽しく学ぶものが多かった。四国では毎年のように台風で洪水となり、床下浸水などは頻繁に繰り返されていた。そうした洪水も子供には楽しい遊びですらあった。遊び道具は身の回りのものを工夫して作り出したり、自然の中に見出した。子供の頃にそうした毎日を過ごしていたせいか、長じて東京や大阪の大都市で生活をするようになると、どこか安らぐ気持ちがなかった。山が見えない環境がとても息苦しく感じられた。人は一生に一度しか生きられないのであれば、自分にあった環境で住みたいと言う気持ちが強くなった。家族もいればそうそう自分の都合だけで転居も出来ないが、たまたま一度も訪れたことがなかった東北で話が持ち上がり、いい意味で「騙されて」東北へやって来た。東北のイメージは冬の雪深さで、以前いた北海道よりも雪の量が多い印象があった。今思うと、それは日本海側の秋田県や山形県の印象だろう。釜石は太平洋沿岸にあり、三陸沖の寒流と暖流の交差で、冬も東北では気温は高い方で、雪がほとんど積もらない地域であった。そして、岩手や東北は自然や歴史に奥行きがある。動植物が驚くほど豊かで、山野草や山菜がとても多い。三内丸山遺跡と言う古代の遺跡や稲作遺跡がありながら、あまりにも多くの歴史が謎である。日本列島はかってフォッサマグナ、中央地溝帯で、東西の列島が合体したが、そこを境に西日本と東日本では遺伝子的に、Y染色体の分布も異なっている。西日本はO系統のY染色体の分布が60~100%にも及んでいるが、東日本はそれよりずっと少なくなっている。O系統のY染色体は弥生人由来と言われている。岩手には日本語では解釈しにくい地名が多くある。かって、京の都は東北方向を鬼門とし、東北を蝦夷と称していた。北海道の地名とも確かに似たところがある。コロナ禍や東日本大震災がなければ、こうした自然や歴史に時間をかけて日々を送りたかった。しかし、それらもまた東北の現実であり、そこからまた違った東北も見出せて来るのかも知れない。

中国の米国人教授

2021-03-08 19:10:20 | 文化
米国人ウィリアムN.ブラウンWilliam N·Brownは、父親が米国軍人であったため、スイスのチューリッヒで生まれてた。大学で経営学の博士号を取得したが、自分も米国空軍に勤務し、パイロットとなった。台湾に駐留中に台湾生まれの米国女性と結婚し、退役後スイスの航空会社のパイロットも務めた。しかし、証券会社に転職し、副社長を務めていた。しかし、1989年1月、彼は厦門大学のMBAセンターに雇われ、家族と一緒に中国に移った。32歳の若い教授であった。中国に初めて赴任した時、6ヶ月と3歳の男児がいた。彼は子供に中国の教育を与えながら、一方で、後にインターネットを使って、米国人教師による教育の機会も与えた。いつも子供には公共の福祉と社会的責任を教え、自らも給与の一部を福建省西部の学校に通っていない子供たちに寄付をし、14年後には、「ホーププロジェクト」を立ち上げ、チベットに資金を贈った。また彼は、貧困と​​後進を見せ、彼らの社会的責任と使命感を育むことを願って子供たちと共に、休暇のたびに、南の海南から北の内モンゴル、そして西のチベットまで、中国の土地を車で5万Km以上旅した。そして行く先々で環境保護を進めた。子供を含めて自分たちで庭を作り、子供が大きくなると帆船まで一緒に建造し、航海の危険を体験させもしている。1992年には福建省で初めて永住権を申請し、グリーンカードを取得した。その動機は厦門大学の学生たちのためであった。1990年代初頭の中国の大学では学生たちは、海外へ行きたがった。そこで彼は学生たちに将来は中国にあることを示すために、中国に長く滞在する決意をした。彼は、世界経済の中心はアジア・アフリカ、に戻り、改革と開放は中国に無限の機会をもたらすだろうと確信していたと言う。中国に定住してから、彼は今では米国の知人数百人に、機知に富んだユーモラスな言葉と漫画のイラストを入れた、彼の中国での「冒険」や家族の生活を手紙で知らせてる。「こうして、彼らの中国に対する固定観念を打ち破り、本当の中国と私が愛する中国人がどのようなものかを彼らに理解してもらいたいと思っています。」と語っている。彼は福建省で最初の「グリーンカード」を獲得したことで有名になり、多くの映画やテレビのクルーからの招待されたが、テレビシリーズ「林則徐」の97年版に参加した時、脚本を読んで、阿片戦争の描写は間違っていると思った。「この歴史はわかりませんが、西側がそうするなんて信じられない。」と思った。そして、改めて、アジアやアフリカの歴史を学び、「歴史を研究すればするほど、西側がアジア、アフリカ、ラテンアメリカで何百年もの間行ってきたことは、文明でも貿易でもなく、海賊の略奪であると感じた」と言う。歴史を学ぶために、19世紀から20世紀初頭にかけて、中国に関する何百冊もの本や画像資料を収集するために数十万ドルを費やした。そして、外国人向けの中国や福建省、厦門市の歴史を含めたガイドとなる書籍を10冊以上書いた。1999年に結腸癌が明らかになり、香港の病院で手術を受けた。その際、米国の友人が訪ねて来て、米国に帰るか、と尋ねられたが、米国ではなく、厦門の家に帰ると答えたと言う。引退後は、「「改革開放の40年間、中国は世界を理解しているが、世界は中国を十分に理解していない。本を書き続け、中国の物語を語り続けるのは私の責任だ。」と述べている。最近、中国日報の取材を受けた教授は、ここ数十年の中国の変化を一言で表現すると「以前、中国人はお金を持っていなかった。そして今もやはりお金を『持って』いない」と答えた。今は全てスマホで決済できるため。教授の中国名は潘维廉である。なお、米国は中国語では美国と書く。
庭で咲いて来た別の蝋梅

緑茶に救われている日本

2020-12-09 19:10:49 | 文化
世界の新型コロナウイルス感染者が6856万人を超え、死者が156万人を超えたが、増加率が下がったとは言え、まだ連日増え続けている。米国が最も多いが、欧州も5番目にフランス、6番目にイタリア、7番目に英国、8番目にスペインと続き、11番目にドイツと主要国が並んでいる。感染者が36万人に迫ろうとしているスイスでは、公共の場でマスクを着用していない場合、250スイスフラン(2万9300円)の罰金が科せられ、隔離対象の人や自己隔離を行っている人が、その措置に違反した場合は、罰金として最大1500スイスフラン(17万5500円)を払わなければならないことが決まった。昨日の米国THE WALL STREET JOURNALは「Long a Holdout From Covid-19 Restrictions, Sweden Ends Its Pandemic Experiment」と題して、スウェーデンの新型コロナウイルス対策としての集団免疫作戦が失敗したことを伝えている。感染者数が30万人を目前にして、スウェーデン政府は、国民の自主的な措置でコロナ流行に対抗すると言う、欧米では特異な取り組みを断念した。冬を向かえるにあたり大規模集会の禁止からアルコール販売の制限、学校閉鎖に至るまで幅広い制限措置を、他の欧州諸国同様に行うことになった。首都ストックホルムにあるカロリンスカ大学病院で新型コロナ感染患者を担当するピオトル・ノバク医師は「当局は他の欧州諸国と完全に異なる戦略を選択した。そのせいで国は(感染)第1波で大いに苦しんだ」「彼らがなぜ第2波を予測できなかったのか全く理解出来ない」と言い、スウェーデンの公衆衛生当局は「集団免疫」作戦に楽観的だったが、医療従事者の見解は決して同じではなく、自主的な措置だけではコロナウイルスは制御出来ないと繰り返し警告していたと述べている。当初より欧米に比べ、東アジアは感染者数や死者数はずっと少なく、その背景として、東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦名誉教授は既感染のウイルス「SARS-X」の可能性を、また、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥教授は、未知の要因「ファクターX」を考えておられた。「SARS-X」は日本を含めたアジアに生息するコウモリのコロナウイルスの可能性もあり、コウモリ以外の動物を中間宿主としてすでに感染していた可能性もあるのかも知れない。山中教授の「ファクターX」として、新たに「緑茶」が浮かび上がって来た。緑茶は中国でも飲まれている。新型コロナウイルスが増殖するためにはメインプロテアーゼMproなる酵素の存在が必須であり、そこに目を付けて、日本を含めた世界中の研究者たちが3月以来、その酵素を阻害する成分を治療薬とするために真剣に日夜研究に勤しんでいる。日本では理化学研究所や東京薬科大学なども取り組んでおり、中国では上海薬物研究所, 上海科技大学ならびに武漢ウイルス研究所による共同研究で開発された薬剤がラットとビーグル犬でこの酵素の活性を阻害することが既に4月に示されている。治療薬としての研究とともに、今年3月にはインドのエラ大学の研究者たちは「Identification of Dietary Molecules as Therapeutic Agents to Combat COVID-19 Using Molecular Docking Studies」と題する論文で、18種類の食品成分中、カテキンの一種でエピガロカテキンガレートと言う緑茶にのみ含まれる成分が新型コロナウイルスへの最大の抗ウイルス作用を示したことが発表されていた。11月30日付けで米国ノースカロライナ州立大学の植物微生物学部の研究者たちによる「Docking Characterization and in vitro Inhibitory Activity of Flavan-3-ols and Dimeric Proanthocyanidins Against the Main Protease Activity of SARS-Cov-2」と題する論文が公表された。新型コロナウイルスが増殖するために欠かせないメインプロテアーゼMproは、強い抗炎症作用および抗酸化作用を持つ様々な植物性化合物により阻害されることが分かっていたが、研究者たちはそのような化合物について食品や薬草を調べた。その結果、緑茶とブドウに含まれる物質がMpro機能を非常に効果的に抑制し、次いで、ココアパウダーとダークチョコレートがMproの活性をおよそ半分に低下させた。さらに緑茶にはMproの作用を無力化する5つの成分が含まれていることも明かとなった。緑茶を飲む文化がある日本では、新型コロナウイルが感染しても、緑茶により、ウイルスの増殖に欠かせない酵素の作用が抑えられ、ウイルスが増殖出来なくなり、欧米ほどの感染拡大にはならないのかも知れない。緑茶だけが要因ではないだろうが、緑茶は新型コロナウイルス感染の下では、重要な飲み物と言えるだろう。日本の緑茶は奈良時代に中国から伝わったようだが、その当時の製法を日本ではそのまま続けて来た。現在、日本の緑茶は蒸して作られ、5000年の歴史のある中国の緑茶は明の時代に炒って作られるようになった。ともに加熱することで酸化酵素による発酵を止めている。世界の緑茶の8割は中国から提供されている。しかし、製法の違いで、抗酸化成分の含有量は日本の緑茶の方が、中国の緑茶の4〜5倍にもなる。日本の緑茶は味を、中国の緑茶は香りを楽しむのだそうだ。

75回目の敗戦の日に

2020-08-15 19:23:03 | 文化
昨日は曇天で、一時的にわずかに小雨も降り、最高気温は26度で凌ぎやすかったが、今日は青空が広がり気温は34度まで上がった。また内陸より気温が高かった。いつもの釜石だと夏は内陸より涼しく、冬は暖かいはずなのだが。まだ強い夏の日射しの中で、ススキの穂が風に揺れ、隣家の紅葉の葉の一部がもう赤く染まって来ている。午後3時前にはまたSL銀河の汽笛が聴こえて来た。しばらく前から花巻〜釜石間の運行が始まっている。今日は釜石へやって来て、明日、午前中に花巻へ向かう。夕方、日が西の山陰に入り空の雲が朱に染まり始める頃、いつもの川沿いのウォーキングに出かけた。ヒグラシやエゾゼミが山裾で鳴き、今日も河川敷には鹿たちがいた。歩き終えて家に着く頃には、早くも送り火を焚く家があった。あの世で安穏に暮らしていた先祖も、今年はこの世のコロナ禍の喧騒に驚いていたかも知れない。 日本での感染症では結核とスペイン風邪が歴史的に知られる。日本で分かっている最古の結核は2000年前の弥生時代の鳥取市の青谷上寺地遺跡で発掘された100人以上の人骨の中から見つかった脊椎カリエス痕である。この遺跡には水田跡が当然ある。昨年2月、鳥取大学などの研究者が2010年に発掘調査した、中国・長江流域の広富林遺跡(上海市)から、5000年前の東アジアで最古の女性の結核痕が見つかったことが報じられた。300基ほどあった新石器時代の墓の一つからやはり脊椎カリエス痕が見出された。長江のデルタ地帯はこの広富林遺跡や近くの良渚遺跡など、同時期に盛んに稲作を行っていた遺跡が集中している。研究者は、日本の結核は稲作と共に日本へもたらされたと考えている。六国史と呼ばれる正史の一つに「日本三代実録」と言う歴史書があり856年から887年までの3代の天皇の記録を綴っている。貞観地震の3年後の862年に「一月自去冬末、多患、咳逆、死者甚衆」とあり、「咳逆」が日本で最初に記述されたインフルエンザだと考えられている。世界では紀元前412年の医学の父と呼ばれるヒポクラテスの記録がインフルエンザの最初の記録だとされる。現在のようなマスクの日本での始まりは、明治初期の工場での粉塵対策として使用されたのが最初と言われる。1918年の日本でのスペイン風邪の拡大で、予防用に使用が一般に広がったそうだ。日本の長い歴史では、感染症は何度も発生しているが、国家としての本格的な予防策が取られたのは、まさに軍事目的からであった。明治の殖産興業で製糸工場の若い女工たちの間に結核が広がって行ったが、国としての対策は取られなかった。スペイン風邪で結核も拡大し1918年には10万人あたり257人と言う最高値となり、1919年に結核予防法なる法律だけはとりあえず整えられた。1930年代に入り,日中戦争が本格化した後、男子青壮年の体力低下と結核死亡が誰の目にも明らかになり,兵力低下が歴然となると、結核対策として小泉親彦陸軍省医務局長ら陸軍主導で1938年に厚生省が設立された。それまでは国家の衛生業務は内務省下の警察の管轄であった。1940年5月には3ヶ月をかけた大規模な全国の健康診断を実施する。1941年には小泉親彦自身が厚生大臣となり、対策を強化した。一方、軍医学校時代の部下であった石井四郎陸軍軍医中将は、満洲の731部隊で、「マルタ」を使った結核撲滅試験も実施していた。敗戦後、1947年に設立された国立予防衛生研究所は731部隊出身の研究者が歴代所長となり、1997年に現在の国立感染症研究所に改名された。今年1月から日本で広がっている新型コロナウイルス感染症は、こうした歴史のある厚生労働省と国立感染症研究所により、真っ先に「第二類相当の指定感染症」に指定された。これにより、全てPCR検査は「行政」検査となり、保健所・衛生研究所系列でしか検査が出来なくなり、検査数が当初から制限せざるを得なくなった。とても保健所・衛生研究所系列だけでは検査に対応し切れなくなると、医療機関との面倒な「委託契約」を交わして、少しは検査を拡大したが、全ては国立感染症研究所がデータとして把握可能な範囲でである。今後、万が一欧米のように手が付けられないほどの感染拡大に見舞われれば、この体制自体が崩壊するだろう。検査も隔離も治療も全てが機能不全となる。「検査を増やせば医療崩壊する」と言わざるを得なかったのは、厚生労働省医務技監や国立感染症研究所が主導権を握る以上、検査数に制限があったからである。しかも、「第二類相当の指定感染症」としながら「自宅待機」などと言う「第二類相当の指定感染症」としてはあり得ない処置を導入している。仮に「自宅待機」であっても、容態観察を慎重に行わなければならない。突然の急変がある。この医療ではなく現在の「行政」主導の対策の大きな欠点は、感染力のある無症状・軽症者をいつまでも把握出来ないことだ。単純な自宅待機で家族内感染も引き起こしている。病気の大原則である早期発見・早期治療を無視する「研究者」と称する人たちの言説がいかに非科学的であるか。いまだにまともな医学論文が他国に比べて出て来ない日本の現状である。
アメリカ芙蓉