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釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで17年6ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

合成クモの糸再び

2015-03-28 19:12:48 | 文化
今朝は13度もあり、最高気温は今年に入って始めて20度にまで達した。とても暖かく、庭の木々や雑草も一斉に芽を出して来た。日中に甲子川の土手を歩くと、汗ばんで来たが、ちょうどいい風が吹き、とても気持ちが良かった。川には渡り遅れて、1羽だけになってしまったキンクロハジロの雌やヒドリガモの雄がいた。庭ではわずかに開いて来た沈丁花がとてもいい香りを漂わせていた。山茱萸(さんしゅゆ)はほぼ満開になり、河津桜の葉も伸びて来て、木蓮の蕾も大きくなって来た。一日青空が広がり、もうほんとうに春がやって来たことを感じさせてくれた。市街地でも紅梅がすっかり満開になったところを何箇所か見かけた。これほど暖かくなると庭でやはり今年になって初めてハエを見かけた。いつものようにシジュウカラたちもやって来て花がたくさん咲いて来た椿の木や地面で何かをついばんでいた。もっと気温が上がってくると庭では何箇所かで毎年ジョロウグモが巣を張る。いつもその巣を見ていて感心していたが、先日書いたように、このジョロウグモやいくつかのクモはとても強靭な糸を出す。それを人工的に合成して大量生産するベンチャー企業が現れたのだ。これはとても画期的なことだ。一種の革命とさえ言えるかも知れない。何が画期的かと言うと、合成ではあるが作られる糸はたんぱく質なのだ。現在多くの繊維や飛行機、自動車、建築などには石油から作られた合成化合物が使われている。本来は地球上にはないものを作り出しているための弊害もある。しかも石油は無尽蔵ではない。しかし、合成ではあっても作られる糸はたんぱく質であり、実際に存在するクモの糸と同じ遺伝子構造を持つ。まさに自然界に存在するものが合成されるのだ。この糸で作られた自動車や飛行機のボディは鋼鉄の4倍もの強度を持ち、同時に伸縮性も保有しており、しかも軽量になる。安全性も一段と高まる。合成健在で出来た現在の家屋は火災では有毒ガスを発生する上、アレルギーの原因ともなっている。しかし、この糸から作られる建材は強度と粘り強さを持ち、しかも自然界と同じ素性であるから、アレルギーも極めて少なくなる。洗濯機やパソコンの筐体もこの糸で作られれば、軽量で頑丈なものになる。まさに夢のような糸だ。それだけに米国の軍やNASAが研究に取り組んで来ていた。それが日本の若者によって大量に作る方法を見つけ出されたのだ。とても画期的で、現代の資材の革命とさえ言えるかも知れない。不要になっても自然界を汚染することもない。
開き始めた沈丁花

満開の山茱萸

蕾が膨らんで来た木蓮

豊かな自然と癌

2015-03-27 19:19:01 | 文化
今朝は8度もあった。昨日と同じく良く晴れ渡って、昨日以上に春めいてきて、最高気温も17度まで上がった。昼休みに八幡神社横へ行くと、枝垂れ紅梅がさらに開いて来ていた。そばの白梅はもうほとんど満開だ。青空が大きく広がり、とても気持ちのいい春日和だ。神社のある山の斜面に八重咲きの水仙がたくさん咲いて来ていた。明日も今日と同じように晴れた春日和になるようだ。 先日、人と話していて、北海道にも住んでいたことを話すと、北海道には美味しい食べ物があっていいですね、と言われた。この方は北海道には行かれたことがない。何か観光雑誌でも見たのだろうか。北海道より岩手の方がはるかに美味しいものがたくさんある。北海道は広大であるため、自然に溢れていることは確かだが、やはりその冬の寒さは極端であり、そのためにその寒さに適応できる動植物はむしろ限られてしまう。そのために口に出来るものも限られるのだ。その点ではむしろ岩手は圧倒的に動植物が豊かであり、口に出来るものもとても豊富だ。しかもそれらを健康的で美味しく食べられる調理法を古人たちがしっかりと身につけ、伝えられている。恐らく、岩手に限らず、東北全体がこうした豊かさを持っているのだろう。気候が植物にとても適しており、そのために植物の種類がとても多い。さらにはそれを食する動物たちも豊かだ。こうしたほんとうの自然の豊かさを見ていて、ふと、日本の年々増えて行く癌の死亡率について思った。癌は明らかに食生活を含む環境の変化によって増えている。日本の場合は高齢化もむろん関係している。少し調べてみると、近年は以前は最も多かった胃癌だけが減少し、他の癌は増え続けている。そして、問題は癌による死亡が増え続けていることだ。癌になることと癌で亡くなることは別に考える必要がある。日本の問題は欧米先進国に比べて、癌による死亡率が抜きん出て高いのだ。癌になっても早期に発見出来れば、癌は治せる。にもかかわらず、日本では癌による死亡率が高い。これは癌検診の受診率に大いに関係している。日本の癌検診受診率は欧米先進国の半分以下である。米国は現大統領も率先して国をあげて、癌検診受診率を高めている。受診率は50%を超える。癌にならないように予防することと癌になっても早期に発見することに努めれば、癌で亡くなる人はずっと少なく出来る。にもかかわらず日本の国はいずれも熱心ではない。自己責任を強く問う米国ですら、国をあげての癌検診に取り組んでいる。そして日本の医学も伝統的に予防医学には不熱心だ。なった病気を治すことが中心だ。病気にならないようにすることは医学の役割ではないと考えている節がある。今や遺伝子レベルの研究がとても進んで来た。食生活や環境因子と細胞の遺伝子の変化の研究は取り組むことが可能なはずだが、こうした研究には積極的には研究資金が回されない。かえって米国などの方がこうした分野の研究者がいる。一度癌になり、早期発見出来なければ、せいぜい抗癌剤を使うしかないが、その抗癌剤も良く効くものでさえ、せいぜいが3割だと言われる。早期を逃せば、現状は医学もお手上げなのだ。一定年令になれば、癌細胞は毎日のように体内で発生すると言われる。それが癌としてすべてが成長しないのは身体に備わる免疫力によるからだ。免疫力が初期の癌細胞を抑えてくれる。したがって、何らかの要因でその免疫力が低下すると癌細胞は体内で増殖し始める。人間が岩手のような自然と接することが少なくなることで、免疫力を低下させて来たのではないだろうか。春めいて来た日射しを受けた、最近の山の木々を見ていてそんなことを思ってしまった。
2分ほど咲いて来た枝垂れ紅梅

ほぼ満開を迎えた白梅

八重の水仙

動物であることを忘れた人間

2015-02-27 19:11:53 | 文化
今朝は朝から6度もあったが、日中も気温は変わらず、夕方に向かう頃には少し下がって来た。東北や北陸、北海道にかけてかなり強い低気圧が来ているようで、風が強く、JR釜石線はいつものように早々と止まってしまった。小雪も時々舞って来た。そんな中でも昼休みには甲子川へ出て、カモたちの様子を見ていた。何度も水に潜っては餌を採るものもいれば、昼寝をしているのか、身体を休めているものもいた。 愛知県の岡崎市に住んでいた時、職場が豊橋市にあったこともあって、よく豊橋近辺の川や池、港湾などに冬の渡りの水鳥たちを撮りに行った。その限りでは、岩手もカモ類では愛知県とさほど違いは見られない。白鳥を除いてだが。しかし、こうした渡り鳥以外の山野に棲む動物では圧倒的に岩手の方が豊かだ。その岩手でもここのところ動物たちの数が増えていると言う。かっては日本の各地にオオカミがいた。そのオオカミが絶滅したことで、山野の動物たちには天敵がいなくなった。岩手の山野には豊かな植物もあり、動物たちの餌になるものも豊富にある。無論、冬場に餌がなくなる山野から市街地へ近づく動物たちもいる。山野に近い農家は一年を通してよくそうした動物たちの被害を受ける。岩手には県内各地に狩猟を目的とする猟銃会もあるが、若手の後継者に不足しており、狩猟期間に狩猟を行っても、駆除できる動物の数には限りがある。それもあってか、現在は動物たちの数が増えている。歴史を振り返るまでもなく、自然界のバランスを崩して来たのは、常に人間だ。都会はとても便利だし、こうしてネットを利用出来るのも技術進歩のおかげではある。しかし、それと引き換えに人間は自分たちが動物であることを忘れてしまっている。寿命が伸びれば伸びるほど、病を抱えた人が増えて来る。その一因にはやはり動物であることを忘れたことがあるように思う。動物は動く物と書く。動く物であることを忘れて、身体を使って動くかなくなったために多くの病を抱えることになった。同じ動物でも山野の動物たちはとても健康だ。それに引き換え人間に飼われた動物はにはやはり病が発生する。そこにも動物であることを忘れられた動物の存在がある。人間は動物である以上自然を相手にして始めて動物としての人間らしさを取り戻せると思う。自然に触れて育つ環境が失われ、自然界には本来存在しない物質に囲まれて暮らすようになるとさまざまのアレルギー反応を引き起こして来た。人間も他の動物と同じく、自らの病を防ぐ機能が本来備わっている。いわゆる免疫機能だ。その免疫力は子供のこのろに形成される。その時期に自然に触れることで、自然界を受け入れられる身体が出来る。しかし、現在の環境はそれを子供達に許さない。地球と言うまさに自然そのもに人間は住みながら、その中に異世界を作り出してしまった。ひ弱な子供、ひ弱な大人が生まれ続けている。長寿そのもは決して喜べるものではない。健康が維持されて始めて喜べるものになる。ほんとうに世界で長寿を果たしている地域はほとんどが自然と触れ合って育つ環境の中にあることが分かる。病を抱えた長寿は喜べる長寿ではない。自然と触れ合い、動物たちとも共生出来る環境を取り戻さなければ、人間はますます新たな病を抱えて行くことになるように思う。
ダイビングするオオバン

昼寝なのか休んでいるヒドリガモ 

映画『アメリカン・スナイパーAmerican Sniper』

2015-02-23 19:18:13 | 文化
昨夜はみぞれ混じりの雨が降った。今朝は曇天だが、そよ風のようなとても気持ちのいい風が頬をなぜた。気温は朝からもう12度にもなっていた。日中もほとんど曇天が続いたが、最高気温は13度で気温だけが早くも春の到来のようであった。昼には少し薄日もでていたので、職場から少し離れたところまで、また蝋梅を見に行った。とてもいい香りを漂わせており、しばらくはその香りに酔いしれていた。我が家の蝋梅よりも木が大きくて花もたくさん咲いている。いつもの空き家にも行ってみたが、ちょうど蜜蜂が福寿草の蜜を取りにやって来ていた。次から次へと花を移り飛んでいた。 クリント・イーストウッドと言えば、米国のかってのカーボーイスタイルの人気俳優だったが、政治的にも活発な活動をして来ており、1986年にはカリフォルニア州のカーメル市市長も務めている。共和党員であり、個人や経済の自由を訴えるが、一方では朝鮮戦争やヴェトナム戦争、テロとの戦い、イラク戦争などには反対して来ており、後年には映画監督としても精力的に映画を作っており、最近15年間で監督作は13本にもなっている。中でも2006年には『父親たちの星条旗 Flags of Our Fathers』、『硫黄島からの手紙 Letters from Iwo Jima』で太平洋戦争における日米双方の兵士たちの姿を描き、国家が引き起こす戦争に巻き込まれた兵士は米国人であろうと日本人であろうと同じ人間で何も変わるところがないことを浮き彫りにして、個人を犠牲にする戦争への強い批判を描き出した。2013年にはスティーブン・スピルバーグ監督に代わって彼が『アメリカン・スナイパーAmerican Sniper』を監督することになり、昨年、米国で公開されるやたちまち記録的な興行成績を収めた。それまで戦争映画史上最高の興行収入を収めた『プライベート・ライアン』を軽く超えてしまった。米国史上最高の実在した狙撃手であるクリス・カイルの自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』(原題: American Sniper)を原作としている。クリス・カイルはイラク戦争に4度従軍し、イラク側からは「ラマディの悪魔(シャイターン・アル・ラマディ)」と呼ばれるほどの狙撃手であった。戦争の英雄は心に傷を負い、家族関係へも影を落とした。そして、2013年2月米国の射撃場でやはり戦争で心に傷を負った25歳の元海兵隊員に突然乱射されて、若干38才で命を落としている。イラク戦争は作り上げられた「大量破壊兵器」が理由で始められた「大義なき戦争」であり、その戦争で子供を含めた160人を射殺した狙撃手。クリント・イーストウッド監督はその狙撃手の心をも蝕んだ戦争をこの映画で再び描き出そうとしているようだ。84才になる彼の精力的な活動の原動力は「スシ」なのだと言う。現在この映画は日本でも公開が始まっている。
とてもいい香りを漂わせていた蝋梅

蜜蜂がやって来た福寿草

薬師公園の山茶花

ツグミと人麻呂

2015-02-16 19:18:19 | 文化
今日は春のような陽気になった。朝でも気温は5度もあり、日中は10度まで上がった。風もあるが冷たい風ではない。青空が広がる釜石ブルーの空で、コートがなくとも寒さを感じない日中の陽気だ。昼休みに甲子川へ行ってみたが、今日も白鳥の姿はない。川にはオオバンやヒドリガモ、キンクロハジロ、マガモ、ホシハジロなどが見えた。川の河川敷には今日もツグミがいた。ツグミは秋にシベリア中部や南部から日本全国に渡って来る。渡って来る時には群れを作ってやって来るが、日本へたどり着くと、そこで個体ごとに分かれてしまう。冬が去る頃には再び群れを作って、シベリアに帰って行く。万葉集にはツグミの仲間のトラツグミが鵺鳥(ぬえどり)として詠まれている。 柿本人麻呂の歌に「よしゑやし、直ならずとも、ぬえ鳥の、うら嘆げ居りと、告げむ子もがも」(じかに逢えなくてもぬえ鳥のように嘆いていると告げてくれる使いの子でもいてほしい)がある。万葉の7世紀にもツグミたちはやはりシベリアから日本へ渡って来ていたのだろう。人麻呂は万葉集を代表する歌人であるにもかかわらず、古事記、日本書紀では詳述されていない。それもそのはずで、人麻呂は近畿の王朝の宮廷人ではなく、九州の王朝の歌人であった。古田武彦氏の『人麿の運命』で詳しく論じられている。万葉集二百三十五番歌「皇は 神にし座せば 天雲の 雷の上に 廬せるかも (すめろぎは かみにしませば あまぐもの いかずちの うえに いほり せるかも)」の「雷の上」は奈良県飛鳥のわずか十数メートルの雷丘(いかづちのおか)とされている。しかし、古田氏は実際に自分で足を運んで、それほど低い雷丘に雨雲がかかるわけがないとして、やはり自ら歩いて、人麻呂の詠った「雷の上」は福岡県背振(せぶり)山脈の標高955mの雷山(らいさん)であるとされた。上社、中社、下社を持つ雷(いかずち)神社があり、上社は「天の宮(あまのみや)」と言われる。雷山にはいつも雲が立ち込めていると言う。古田氏はこの歌を「白村江の戦いで負けて、家族は夫や子供を失い、民の生活はさんさんたるものになった。民の廬(いほり)は、荒れ果ててしまった。しかし九州王朝代々の方々は、死んで神様になっておられるので社(やしろ)を廬(いほり)として、平穏にお過ごしになられている。」と言う意味で解釈されておられる。一般に解釈されているよりはるかに深い内容を人麻呂は詠っていたのだ。単なる皇への礼賛の歌などではなく、むしろ疲弊した民の姿を見た人麻呂の批判が皇に向けられている。
河川敷のツグミ

体力のいる写真撮影

2015-02-11 19:27:52 | 文化
今朝はー1度であった。曇天で風も少し出ていた。風は昼過ぎには止んで、夕方近くからは小雨が降って来た。釜石で雨が降る時には内陸は雪だ。庭の椿や蝋梅もまだ蕾のままで膨らんでは来ていない。立春は過ぎたがまだまだ東北の春は遠い。しかし、日増しに少しづつ日が延びて来ている。それだけでもありがたい。夕方が真っ暗だと気持ちも何かしっくり来ない。天気が良ければ出かけて写真でも撮ろうかと思っていたが、曇天なのでやめて家でゆっくり過ごすことにした。しかし、先日オークションで落札した、今はソニーに吸収されたミノルタの古いレンズを試したくて、庭の木を少しだけ撮ってみた。400mmと言う望遠レンズだが現代のそのくらいの望遠レンズとは異なりとても小さく軽い。持ち歩くにはとても便利そうなので、落札してみた。ただ写りが気になっていたが、ネットで見る限りは悪くはなさそうだ。何より最近は小さく軽いレンズやカメラに惹かれる。年のせいかもしれない。それなりに体力をつけるようには気をつけているが。何しろ、現代の望遠レンズを抱えて、写真を撮っていると、手にはかなりの重さがかかり、次第に支えきれなくなることもある。写真を撮るには体力が必要だ。先日の北上の大堤での水鳥の撮影も、かなり苦労をした。手に力が入らなければ、レンズを支えられなくなって、振れてしまう。せっかくのチャンスを逃すこともある。気付かずにかなりの距離を歩いていることもある。いい写真を撮るにはそれなりに身体も鍛えなければならない。
左が現在のレンズで右が古いミノルタのレンズ

ミノルタレンズの写り

映画

2015-02-10 19:22:38 | 文化
今朝は-5度で今冬一番の寒さになった。庭で水をこぼすと瞬く間に凍ってしまった。当然水落としをした庭の水道もお湯をかけなければ出ない。犬の水入れはこの冬一番の氷の厚さになった。内陸は雪のようだが、釜石は午前中は晴れていて、昼頃から空を薄い雲が多い、小雪も一時舞ったが、また青空が戻って来た。しかし、日中も気温は1度にしかならず、コートを着ていても寒い。今日も川には白鳥の姿を見ることが出来なかった。昼休みに職場近くの空き家の前を通ると黄色い花が目に入った。福寿草が今年も咲いて来ていた。我が家の庭では蝋梅の黄色い蕾が見えたまま、まだ膨らんで来ない。これだけ寒いとさすがに開くのは遅くなってしまうだろう。 子供の頃から映画が好きで、これまでもたくさんんの映画を見て来た。以前は映画館へも出かけてスクリーンで見ていたが、釜石には映画館がない。宮古市や北上市まで出かけるしかない。しかも最近の映画館はずっと以前に比べてスクリーンもかなり小さい。映画を見たい時には仕方がないので、少し遅れるがレンタルのDVDで見ることになる。以前はそうしたDVDをパソコンに入れて、そのパソコンを家庭としては大きなスクリーンに画像を投影出来るプロジェクターに接続して、映画を見ようとした。実際にスクリーンやプロジェクターも購入したが、考えると、音響もそれなりに臨場感のあるものにしたくなる。いわゆるホームシアターだ。そうなると今度はそれなりの部屋が欲しくなってしまった。そこで行き詰まって、結局は中途半端にやめてしまった。現在は単純にプレーヤーとテレビモニターで見て過ごしている。洋画も見るが、前にも記したように韓国や中国の時代ものを見ることが多く、特に最近の中国の映画はハリウッドの技術がふんだんに取り入れられ、とてもレベルの高い映画になった。世界の映画市場でも米国に次いで2012年には日本を追い越してしまった。中国の映画作品が国際的な賞を獲得している。ハリウッド映画にも中国の資金が投入されるようにもなっている。こうした中国の映画の急速な進展はやはり香港の存在が大きい。中国映画は香港が発信地と言っても過言ではないだろう。日本の映画は久しく斜陽産業と化しており、資金や俳優に枯渇が見られる。かっては国際的な評価を受けた監督や俳優がいたが、今の日本の風土はそうした人たちを生み出せる風土ではなくなってしまった。あまりにも短期の結果だけが求められるようになったため、優秀な監督や俳優を育てる余裕をなくしてしまった。これは今の日本の芸能一般にも言えるのではないだろうか。次々に現れては消えて行く。芸能に関係する企業がまさに使い捨てによってコスト削減を図っているように思う。現代はコンピューターによる映画作りは不可欠で、その面でも日本は遅れをとっている。ハリウッド映画はコンピューター技術を縦横に駆使しており、コンピューター・グラフィック、いわゆるCGがふんだんに取り入れられている。現実にはあり得ないことがスクリーンではいとも簡単に実現されている。そこに未来の予想も加わって、楽しみを与えてくれる。中国はいち早くそのCGをハリウッドから取り入れ、ハリウッドに比肩し得る映画を作り上げている。こうした技術面だけではなく作品として深みのあるものにも一方で中国はとても熱心に取り組んでいる。それだけ監督の層も厚くなって来ているのだろう。2013年には21世紀フォックス傘下の英国のTV放送局ブリティッシュ・スカイ・ブロードキャスティング(British Sky Broadcasting)は2020年までに中国映画市場がハリウッドを抜いて世界最大になると予測している。中国にはすでにユニバーサルやパラマウントを合わせた以上の世界最大規模の映画村、横店がある。
今年も寒さの中で咲いて来てくれた福寿草

オールドレンズ

2015-02-06 19:20:26 | 文化
今朝は-1度で最高気温も3度にしかならなかった。朝再び白鳥の姿を見かけたが、昼休みに川へ行くと、もう姿がなかった。しかし、午後に関連施設へ出かける時に見てみると白鳥たちは戻っていた。とても嬉しくなってしまった。このまま川に残っていてくれると嬉しいのだが。昼休みに八幡神社付近へも出かけた。白梅がさらに開いて来ており、近くには藪椿も何輪か開いていた。 冬場はどうしても写真を撮る機会が限られて来る。花が咲かないからだ。代わりに冬の渡り鳥たちが北からやって来る。現代のレンズは使いやすく、よく映るので、普段はこうした現代のレンズを使っている。しかし、現代のレンズを使い続けていると、どこか物足りなさを感じてしまう。まとまったいい写真は確かに撮れる。しかし、一言で言えば個性がない。もう何年か前に、ふとしたことから、古いレンズで撮った写真を見て驚かされた。現代のレンズのように誰が見ても綺麗に見える写真ではない。現代光学から言えば欠点のあるレンズだ。写真の周辺部が暗い。しかし、中心部の解像感は素晴らしく、色乗りも濃く、独特の写真になっている。それ以来、古いレンズに興味が出始め、少しずつ古いレンズを集めるようになった。当然のごとく、古いレンズを調べていて、古いカメラも目にするようになり、その形に惹かれ、古いカメラも集めるようになってしまった。冬のあまり出かける機会も少ない時期は、ついオークションでそうした古いレンズを眺めてしまう。欧州や日本にはたくさんのレンズメーカーがあった。旧ソ連に連行されたドイツ技術者が伝えた技術で生産されたレンズにも秀逸なレンズがある。倒産や吸収を経て現在に至っている。日本の家電メーカーであるソニーはもともとカメラやレンズは作っていなかった。ちょうど業績不振であったコニカとミノルタが合併したコニカミノルタを吸収してソニーブランドのカメラとレンズを作るようになった。その技術の大半はミノルタのものだ。ミノルタは技術の上では秀でていたが、販売面で業績を上げられなかった。欧州では戦前からライカとカールツアイスが高級カメラで有名であった。素晴らしいが値段も素晴らしいカメラやレンズである。その秀でているライカがミノルタの優秀な技術力に白羽の矢を当てて、カメラとレンズをミノルタが作ったりしたこともある。そのミノルタのレンズは今でもとてもいい絵を作ってくれる。後発であるソニーブランドになってからのレンズはミノルタの血が流れているため、個性のあるいい絵を作り出してはくれるが、他社のレンズに比べて割高なものが多い。むろん現代のデジタルカメラで使えるようになってはいるのだが。そこで、最近はミノルタの残したレンズに興味を惹かれている。「鷹の目」レンズと呼ばれる知る人ぞ知るレンズをミノルタは作っている。鷹の目のように鋭く、被写体を捉えると言う意味なのだろう。現代のレンズに比べれば格安と言っていい値段で手に入る。しかし、このレンズは放射線を出す。レンズにトリウムと言う物質を混入させることで、一時解像度の高いレンズが作られた。そのトリウムが放射線を出す。ミノルタのこのレンズだけでなく、現在のペンタックスの前身であるタクマーもやはりトリウムの混入したレンズを作っている。キャノンんでも同様だ。以前、そのタクマーのトリウムレンズを入手したが、他のレンズとは分けて保管している。放射線によってレンズが黄色く変色してしまうからだ。そんなこともあり、現在はミノルタの「鷹の目」レンズを入手するかどうかためらっている。その絵を見ると、とても惹かれてしまうのだが。
少し古いレンズで撮った藪椿

豊かな自然を楽しむ

2015-01-27 19:14:49 | 文化
今朝は気温が4度もあり、昼には10度まで上がり、春のような暖かさを感じた。午前中は雲が多く流れていたが、午後には青空も見えて来た。昼休みはコートがなくとも外へ出られた。また甲子川へ出てみると、満潮時なのか水量が多く、川からは潮風も漂って来た。川面見るとさすがにもう新たな鮭の遡上する姿はない。遡上を防ぐ柵を上手く越えた鮭が少し見られるだけになって来た。やはり今年はこの下流域には白鳥はもうやって来ないのだろう。 岩手は動植物を含めた自然の豊かなところだ。そしてその自然がとても綺麗だ。地元の人たちは何もないところだと言うが、その何もないところだからこそこれだけの自然が豊かさを保てているのだろう。その綺麗な自然を少しでもそのままに写し撮りたくなって、いつもカメラを持ち歩くようになった。技量やセンスがなくとも被写体が綺麗なので、写してみるとそこそこの写真が撮れてしまう。出来るだけたくさんの自然を写し撮りたくなる。普段の撮影道具は現代のデジタルカメラとレンズを使っているが、素人目にもとても優秀な道具だと分かる。しかし、現代のそれら優秀な道具は欠点が少ない分味や面白味に欠ける。要するに個性がない。一番分かりやすいのは花などを近接撮影した時の背景のボケ方である。優秀な現代のレンズは溶け込むような非の打ち所のない綺麗なボケを見せてくれたり、円形の小さな玉粒のような像を見せてくれる。しかし、古いレンズたちはコンピューターではなく、人間が試行錯誤して設計しており、その設計の段階での何枚かのレンズの組み合わせに設計者の個性が出てくる。当然、出来上がったレンズもとても個性的な写りを見せるレンズとなる。かっては優秀なカメラやレンズの多くが東西分裂以前のドイツで開発された。戦後荒廃した中で復興を始めた日本ではその優秀なドイツのカメラやレンズの模倣から立ち上がって行った。ドイツの各メーカーの定評あるレンズのそっくりさんが日本でも作られ始めた。その中から日本でも優秀なカメラやレンズの設計者が現れるようになって行く。レンズでは伝説的な設計者まで現われて来た。そこに日本の独自性も生まれて来ることになった。メーカー毎の特徴が出て来たのだ。しかし、フィルムからデジタルに変わるにつれ、次第に設計はコンピューターで行われるようになり、レンズに求められるいくつかの要素をあらかじめデータとして入力され、コンピューターがそれを元に最良のものを設計する。カメラメーカー各社が同じように設計するため、最終的にはフィルム時代ほどの各社の相違は見られなくなる。どこのメーカーのものも大差なくそこそこ綺麗な写真が撮れてしまう。そうした状況だから、個性の豊かなフィルムカメラ時代の古いレンズが逆に人気の的になってくる。コントラストや色乗り、ボケ具合などに個性あるレンズがたくさんある。中には現代のレンズ以上に高価な値の付くオールドレンズもある。岩手の自然を時々こうした個性のある古いレンズで撮ることも楽しみの一つになっている。
番いのマガモ

釜石を訪れた人たち

2015-01-09 19:19:11 | 文化
1896年(明治29年)6月15日、午後7時半過ぎに釜石の東方沖200kmを震源とするM8を超える巨大地震が発生し、約30分後に巨大津波が襲った。当時の釜石町は人口が6986人いたがそのうち半数以上の3765人が犠牲となった。この頃は釜石の海岸には3Kmに渡る砂浜が広がっていた。4年後の1900年(明治33年)7月21日、盛岡中学3年であった石川啄木は担任の教師らとともに現在の陸前高田市に来ている。その後三陸沿岸を北上し、4日後には釜石に至り、住んでいたいとこの家で2週間を過ごしている。啄木の歌集『一握の砂』の著名な歌「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」で歌われている「東海の白砂」は具体的にどこを指しているか、現在は定まっていないが、啄木が2週間滞在した釜石の当時の砂浜ではないかと言う考えもあるようだ。釜石はその後急速に製鉄所が拡大し、港湾にも大型船が出入りするようになって行く。釜石へは啄木の他にも『遠野物語』にも収載された釜石の民話を集めるために柳田國男が訪れ、童話『銀河鉄道の夜』の著者宮沢賢治も遠野を経て、徒歩で仙人峠を越えて釜石へやって来た。そして、後に『峠』を書いている。当時も今も北上川に沿った内陸部と太平洋沿岸部は同じ岩手であっても、交通や生活に差が残されたままになっている。自然の豊かな岩手は開発が必ずしもいいものであるとは限らないのだが。
白鳥とユリカモメたち