「皇極2年山背大兄王一族は蘇我入鹿軍に追われ生駒山へ逃亡。母真弓姫は山中で自害、子弓削王のみのがれ丹波へ行く。」との記述を見つける。奥附の年表です。
記述内容に注目して他書を見ると、襲撃した主将格の一人「土師娑婆連」は「奴三成」の箭に当たって亡くなる。 軍勢は恐れて退却するが、軍の衆は一人当千(ひとりひとちなみ)と「三成」と称えた模様。 弓の使い手として名を残した、始めての武将か?
聖徳太子には勿論、多くの妃が居たが母君の真弓姫は馬子の娘、刀自古郎女の別称か? 又は、小野妹子に繋がる一族の姫で別人の真弓姫を誤植したか? (本文にも年表と同様な記述がある。)
記述内容に注目して他書を見ると、襲撃した主将格の一人「土師娑婆連」は「奴三成」の箭に当たって亡くなる。 軍勢は恐れて退却するが、軍の衆は一人当千(ひとりひとちなみ)と「三成」と称えた模様。 弓の使い手として名を残した、始めての武将か?
聖徳太子には勿論、多くの妃が居たが母君の真弓姫は馬子の娘、刀自古郎女の別称か? 又は、小野妹子に繋がる一族の姫で別人の真弓姫を誤植したか? (本文にも年表と同様な記述がある。)