人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

銀林みのる『鉄塔武蔵野線』をいま、書き換える

2014-03-11 14:32:30 | 書評の試み
 少し古い話題となりますが、2013年12月に、25回続いた日本ファンタジーノベル大賞の休止が発表されました。
 第1回の酒見賢一『後宮小説』(1989年)、第3回佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』(1991年)、最近では第15回の森見登美彦『太陽の塔』(2003年)など、ファンタジーの概念を拡張するような硬質な、あるいは実験的な作品を世に出してきました。また、賞のレヴェルが高く、小野不由美『東亰異聞』、恩田陸『球形の季節』『六番目の小夜子』など、最終選考に残った作品が刊行されることもありました。

 銀林みのる『鉄塔 武蔵野線』も大賞受賞作のひとつ(第6回、1994年)。とりわけ異彩を放つ作品です。あらすじは極めて単純。
 「199☓年の夏」、郊外に引っ越すことになっていた小学5年生の「わたし」は、

〈この鉄塔を最後の最後まで行くと、秘密の原子力発電所があって、そこから鉄塔は電気を貰ってるんだ〉(27頁)

と思い、仲良しの「アキラ」と鉄塔をたどる旅に出る。瓶の王冠で作ったメダルを、鉄塔の「結界」に埋めるという儀式を行いながら。途中で自転車がパンクしたアキラが引き返し、「わたし」も二日目の夕方、4号鉄塔まで辿ったところで保護される(捜索願が出ていた)。
 ところが後日、「日向丘変電所」の所長が二人を招待し、すばらしい風景を見せてくれる。
 大量の鉄塔の写真が添えられていることも、特徴です。

 地方と都会の、エネルギーをめぐるつながりが、鉄塔の美しさや鉄塔への郷愁とともに、鉄塔を汗みずくになって辿るという、「わたし」の身体感覚によって描かれます。そしてまる二日間、汗みずくになって自転車を漕いでも、「原子力発電所」どころか、1号鉄塔の変電所にすらたどり着けない。

 設定は個性的ながら、ノスタルジアを感じさせる上質なファンタジー。
 であることは変わらないのですが、福島第二原子力発電所の事故があった今や、この小説がかつてとは違った、異様な意味を持ちはじめていることに気づきます。

 なぜ、「水力発電所」ではなく「きっと原子力発電所だ」ということ、「秘密の原子力発電所」であることが、「衝撃的な発見」(27頁)であり、鉄塔を辿る旅に導くようなファンタジーとなりうるのでしょうか。そこには、「原子力発電所」が、なにか異様なものであるというイマジネーションがあるように思われます。

 鉄塔を辿っていった先、「秘密の原子力発電所」がどうなったのか、今では誰もが知っている。事故処理の作業員以外「秘密の原子力発電所」に近づくことなんかできないことを、今では誰もが知っている。そこから電気を貰っているのではなく、いまだに放射性物質が拡散され続けているのだということを、誰もが知っている。

 いま、鉄塔を辿りなおすとしたら、いったいどんなファンタジーが可能なのか。結界には何を埋めなければならないのか。
 残念ながらファンタジーノベル大賞は休止してしまいましたが、『鉄塔 武蔵野線』の続きが、書かれなければならないように思います。

*銀林みのる『鉄塔 武蔵野線』新潮社、1994年。