時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』の偽造事件から・・・・・

2019年12月03日 | 午後のティールーム

 


絵画作品では偽作 imitation, fake は、珍しくない。本ブログで取り上げているラ・トゥールにしても《イレーヌに介抱される聖セバスティアヌス》(横型)のように、画家の真作は未発見だが、工房作などの模写、コピーは多数発見されている。これらは贋作というよりは、この作品主題の愛好者、顧客が工房作品でもよいと納得した上で発注していることが多い。一般に贋作とはいわないが、なかには明らかに贋作の範疇に入る場合もある。

偽造されていた『星界の報告』
今回取り上げるのは、それとは異なり、書籍(学術書)の贋作者の話だが、今日よくある海賊版のことではない。古い時代の書籍を初版本の時代にまで遡り、紙、活字、インク、装丁などを専門家にも見破られないように再現、制作するのだ。こうして作られた書物はいかに初版本に似ていようとも偽造本であり、それが市場に出回り高額な価格で取引される対象となると、明らかに犯罪行為となる。このたび、ガリレオ・ガリレイの歴史的名著 _『星界の報告』Sudereus Nunclus_ *1を偽造した犯人をめぐるドキュメンタリー・サスペンスがTVで放映されていたのを見る機会があった。

*1 世界のドキュメンタリー『偽りのガリレオ:世紀を超えた古書詐欺事件』NHKBS、ドイツ 国際共同制作 Ventana Film/rbb/ARTE/NHK 11月27日(水)23:00放送
 
邦訳
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告他一篇』山田慶児・谷泰訳、岩波書店、1979年
ガリレオ・ガリレイ『星界の報告』講談社(講談社学術文庫) 2017年

偽造の犯人マッシモ・デカルロは、勤め先だったイタリアのジロラミーニ図書館(ナポリ最古の図書館)から数々の古書を盗み、その紙やインクを使って、ガリレオ・ガリレイの『星界の報告』の複製を行った。後に地動説を唱える根拠となった月の観察記録だ。2005年に鑑定団が「本物」(真作)と認めるが、後にイギリスの若手研究者が贋作と看破した。デカルロは自宅で懲役7年の禁固刑となるが、ドキュメンタリーの取材班に対して「次は見破れない傑作を作る」と自慢のコレクションを披露する。ガリレオ・ガリレイの真の初版本であれば、オークションなどで数億円(推定10億円)はするといわれる。こうした行為は明らかに犯罪であり、刑罰の対象なのだが、贋作者は、専門の鑑定家を嘲笑するかのように、見破られない作品の制作に生きがいを感じているかのようだ。贋作者の異常な心理でもある。デカルロは少しも悪びれることなく、「次は見破れない傑作を作る」と偽造本のコレクションを披露する。

画材、紙質、顔料、活字などあらゆる面について、贋作者、鑑定家が持てる技量の最大限を尽くす。アイロニカルではあるが、こうした偽造本の鑑定をめぐって、鑑定技術も進化する。“史上最高の贋作”を作った犯人と、専門家の攻防は今も続く。決して好ましいことではないが、17世紀の印刷・製本技術の粋を見ることができ、ドキュメンタリーとしては興味深い。

思い出したこと
ガリレオ・ガリレイの名で思い出したことがある。このブログでは既にガリレオ・ガリレイに関わるテーマを2009年、2013年に取り上げている。今回はガリレオ・ガリレイの時代に立ち戻り、これまで指摘しなかった側面を展望してみよう。

ブログ筆者は、恩師の影響もあり、かねてから30年戦争などを題材としたドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの作品に関心を抱いてきたが、そのひとつに1947年刊行の戯曲『ガリレイの生涯』(岩淵達治訳、岩波文庫)がある。この戯曲は2013年に文学座によって上演された。ブログ筆者も微力ながらその過程に関わる機会があった。

ブログ筆者の関心はブレヒトの作品と生涯への探索から始まった。その過程で、ガリレイの裁判にも関心を呼び起こされた。ガリレイは地動説を唱えて以降、ローマの異端審問所から有罪判決を受け、 1633年、第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、終身刑を言い渡される(直後にトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑)。その後、シエナ のピッコロミーニ大司教宅に身柄を移される。さらに、ガリレイは視力を失い、アルチェトリの別荘へ戻ることを許される(ただし、フィレンツェに行くことは禁じられた)。

17世紀天文学者、科学者、知 識人のネットワーク
『ガリレイの生涯』などを読んでいると、17世紀というITは言うまでもなく、電話すらなかった時代にもかかわらず、かなり迅速に情報が伝達されていたことに驚かされる。とりわけ、知識人の間にはかなり濃密な連絡のネットが存在した。ガリレイの裁判なども、迅速に伝わったことだろう。

ケプラー、ガリレオ・ガリレイ、メディチ家コシモII世、グロティウス、リシュリュー、ハーヴェイ、フランシス・ベーコン、ルーベンス 、デカルトなど、この時代の知識人の間にはりめぐらされたネットワークの存在と役割に気づかされる。今日ではネットワークは、IT技術を駆使して構成されているが、17世紀においては主として書簡の交信によるものであり、時には構成メンバーが旅をすることで、情報が伝達されていた。こうしたネットワークの中心にいた人物の一人が、ニコラ=クロード・ファブリ・ド・ペイレスク(Nicolas-Claude Fabri de Peiresc 1580-1637) である。日本ではあまり知られていない人物だが、もっと見直されていい知識人だ。

ペイレスクはフランスの天文学者 、博物学者、美術品・骨董品収集家、そして役人であった。1611年に オリオン大星雲を発見した。北アフリカを含む、地中海周辺の各地で 月食]の観測者を組織して、その観測結果から各地の経度の差を計算し地中海の正確な大きさを求めた。ペイレスくが送った書簡は残っている限りでも1万通に及び、ヨーロッパ全域の知識人のほとんど全てをカヴァーしたといわれている。骨董品の収集でも知られていただけに、骨董屋ともいわれたようだが、今日に残る人物の活動領域を見る限り、この時代の文化人を取り持つ中心的人物のひとりであったことが分かる。

ペイレスクのパン屋の息子ラ・トゥールの隠れた才能を見出した代官ランベルヴィリエも、この画家の将来性について、ペイレスクとの間で書簡を交わしている。美術品へのペイレスクの関心が窺われる。

ガリレオ・ガリレイには多数の支持者がいたことも分かっている。有罪判決を受け、収監されているガリレイが、ペイレスクに宛てた書簡が残っている。書簡は1635年5月12日付で、内容は異端審問裁判における厳重な尋問、ガリレイの収監状況などが記されている。

ガリレオ・ガリレイの『星界の報告』の偽造に関わる者を追求することはそれなりにサスペンス・ドラマのような関心を生み出すが、400年近い昔において、人間の英知と文化の所産を守り抜こうとするネットワークが形成されていたことにも、注意しておくことも大切と思う。ペイレスクはガリレイやケプラーのような時代を代表するような天文学者、科学者にはなり得なかったが、政治や教会と科学研究を隔離、独立させることに貢献した。そして、可能な限りで、研究のために支援を惜しまなかった稀有な人物だった。

P. N. Miller,Peiresc’s Europe. Learning and Virtue in the Seventeenth Century, Yale U. Pr. 2000

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