時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

今に生きるか:「クリスマス・キャロル」の心

2018年12月03日 | 午後のティールーム

 

William Powell Frith, Charles Dickens in his Study, 1859, Victoria and Albert Museum, London, details

ウイリアム・P. フリス《書斎のチャールズ・ディケンズ 》部分


いつの間にかクリスマス・シーズンとなっている。しかし、はるか以前から宗教色はすっかり後退し、特別セールの広告など、年末の一つの風物詩のようになってしまっている。目ぬきの場所にはイルミネーションが輝き、クリスマス商戦といわれる華やかさを演出する。そこには宗教色はなく、厳しく言えば、物欲や金欲を追い求める風潮でみなぎっている。

世界も平和とは程遠く、騒然となるばかりだ。世界の指導者と称する人たちが、はるばるアルゼンチンまで出かけて解決策を話し合ったようだが、何が改善されるのだろう。一段と先の見えない時代になっている。

現代のクリスマスとは一体何なのだろう。濃霧に汚れたような状態の頭を多少なりと、クリアにしたいと、「映画館」に入る。チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」を題材とした映画を見る。毎年、この喧騒に街が溢れるころ、クリスマスの映画と聞いて思い出すのは『マッチ売りの少女』か『戦場のメリークリスマス』か。今年は少し別の世界に浸りたい。

時は1843年のロンドン。清教徒の批判もあって、クリスマスは小さな祝祭に過ぎなかった。主人公は零落の作家チャールズ・ディケンズ(1812~1870)。ポーツマスに生まれたが、間もなくロンドンを経て、ケント州チャタムへ移り住む。ロンドンで借金を返済できず債務者監獄へ収監された父親を助けるため、チャールズは極貧の生活で学校もほとんど行けない。1824 年に生家が破産し、靴墨の工場で働く。ここでの悲惨な仕事はディケンズに深い心の傷を残した。街中でも「煙突掃除人」はいらないかと、子供を売りつけるような社会環境だ。児童労働など当たり前の世界だった。しかし、ディケンズの時代から200年近くを隔てた現代の世界から児童労働は消えていない。


Sir Samuel Lake Fildes, Applicants for Admission to a Casual Ward, 1874, oil on canvas, Royal Holloway, University of London, details.

サミュエル・レーク・フィルダース卿、《救貧院への応募者》部分


その後、世界的文豪の名をほしいままにしたディケンズは、時代をどのように生きたのだろうか。貧窮の時代、彼は弁護士事務所の書記などをしながら、文筆仕事を続け、なんとか生活を立てなおそうと努力する。編集者の娘と結婚し、10人の子供をもうけた。その後紆余曲折あり、作家として有名になったディケンズは、訪れたアメリカでは一大文豪と歓待されたが、なんとなく馴染めなかったようだ(『アメリカ日記』)。

ロンドンに戻ったディケンズだが、一転、本は売れなくなり、何度目かの借金漬けの生活になる。1843年には構想中の『クリスマス・キャロル」が出版に成功しなければ、家族共々に破滅の極地に落ち込むことになる。いや、すでに破滅していたのだ。この辺の描写は映画でも史実に沿って描かれているようだ。かなりのディケンズ・フリークのブログ筆者にとっては大変興味ふかいところだ。

かくして、ディケンズが世俗の名声や金にとらわれて、新作の構想に奔走していたある日、アイルランドのメイド、タラが子供たちに聞かせていたクリスマスのストーリーが印象的だ。ディケンズの心にも響く。「クリスマス・イヴの日にはあの世との境目が薄くなって精霊たちがこの世にくる」と祖母が語ってくれた話だ。

さて、映画ではここで『クリスマス・キャロル』の主要登場人物である三人の亡霊が現れ、実生活と混合してディケンズを翻弄する興味ふかいファンタジーが展開する。『クリスマス・キャロルズ』の一人目の主人公は、エベネーゼ・スクルージ、著名な守銭奴だ。「過去」の亡霊は、スクルージに昔の思い出を語らせる。ディケンズにとっては極貧の時代、苦しくも甘美な思い出も残る時だ。

そして「現在」の亡霊はスクルージの助手ボブ・クラチットの家族や甥たちが祝うクリスマスを見せる。さらに「未来」の亡霊は無言で前方を指差し、クラチット家の末っ子のタイニー・ティムが死んだことを知らせる。それを知ったスクルージは「夜明け」とともにすっかり改心する。改心するには最後の瞬間といわれる。スクルージにはディケンズ自身の生活と心が投影されているのだ。

ディケンズは『クリスマス・キャロル』の出版に成功、サッカレー(William M. Thackeray, 1811~1863, ディケンズと並ぶ小説家)などから大きな賞賛を受ける。最後には父親を許し、家族皆でクリスマスを祝う。奇跡は最後に残っていたのだ。ややメロドラマ的ではあるが、ディケンズ・ファンにはお勧めの映画だ。ディケンズを読んだことがない世代には、われわれ人類がこうした時代をたどり、今に至ったこと、そしてディケンズの時代は未だ終わってはいないことを知らせてくれる。そして、世塵に汚れた脳細胞も少し綺麗になるかもしれない。

 

 映画:暗闇に光を『メリー・クリスマス!ロンドンに奇跡を起こした男』

コメント
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