時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

謹賀新年

2018年01月01日 | 午後のティールーム

葛飾北斎 富嶽三十六景 神奈川沖波裏
1830-33 (天保元年ー三年)頃 


新年おめでとうございます

 

荒波の彼方に見える富士山、なんとなく、激動避けがたい今年の行方を暗示するようでもある。

北斎の作品は青が大変美しい。しかし、一口に青と言っても様々な色調がある。北斎の作品に使われた青は植物性の藍が多かったと推定されるが、江戸時代後期には「べろ藍」といわれた明るい色調のペルシャ風青 Prusian blue が輸入され、この画家の手元にも届くようになっていた。北斎や広重が好んで使ったといわれる。『富嶽三十六景』の時点では藍が使われていたのではないかと思われるが、画材の化学分析をしてみないと見ただけでは良く分からない。「ベロ藍」の名は、ベルリンの藍色に由来するともいわれる。明治時代になってから使われるようになったようだ。なぜ、ベルリンなのかを少し調べてみると、意外なことが分かってきた。

1704年から1706年くらいの時期に、偶然作り出されたといわれる。ベルリンにいたヨハン・ヤコブ・ディースバッハという絵具屋で錬金術師が、コチニール・レッドといわれる赤の顔料、レーキをなんとか作ろうとしている時に、配合の誤りで偶然出来てしまったという話が伝わっている。コチニールについては、このブログでも取り上げたことがるが、当時はその原料や製法は秘密になっていて、謎だったらしい。この錬金術師がいつも通りの怪しげな手順で、それに近いような色を作っていたところ、強い色調の赤になるはずが、薄いピンクがかった青色になってしまった。鉄硝酸塩と炭酸カリウムとを混合して作っていたらしい。

不審に思って原料を買った錬金術師で薬屋であるヨハン・コンラッド・ディペッル なる男に文句をつけ、作り直している過程で、よく分からない化学反応を起こして、Blutlaugensals 文字通り「血のようなアルカリ塩」という名で今日にも伝わる色になったという。それと併せて青色の塊が出来たらしい。これが、’Prussian blue’ という名の源のようだ。どうやら「ベルリンの青」が「ベル藍」の源らしい。

「藍より青く」
この点の詮索はこのくらいとして、晩年の北斎はこの新しい鮮やかな「べろ藍」を好み、使い分けたようだ。この「藍より青く…….」という語句から連想されることがいくつかある。「出藍の誉れ」(弟子がその師匠を越えてすぐれているという名声;「広辞苑」第6版)という著名な成句、山田太一『藍より青く』という小説で、1972 年にはTVドラマにもなったようだが、ブログ筆者には読んだような記憶はおぼろげにあるが、TVを見た記憶は全くない。元来、連続TV番組はほとんど見たことがない。もう一つは、第二次大戦中に歌われた軍歌の始まりの部分で、メロディーは数少ない音楽的軍歌と言われる。これもブログ筆者は聞いた覚えはあるのだが、残念ながら?初めの部分だけで、歌詞の全文は覚えていない。確か「落下傘部隊」?の歌だったと微かに記憶している。戦後、時々宴会などで軍歌を歌う人がいたので、その残像かもしれない。歌詞は調べればわかることだが、その意欲がない。このブログを訪れてくださる方の中にもしかするとご存知の方がおられるかもしれないが、いずれにしろ少数だろう。

新年、世界が平和であることを祈りながら。


 

 

Reference
『色彩用語事典』東京大学出版会、2003年
Kassia St Ckair, The Secret Lives of Colour, John Murray, 2016. 


 

コメント
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