時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「壁」さまざま

2017年06月19日 | 午後のティールーム

 

ジョンパ・ラヒリ(中嶋浩郎訳)『べつの言葉で』In Altre Parole (新潮社、2015年)
表紙(クリックで拡大) 

 

 いつの頃からか、古書や評価の定まった書籍以外は、自分の手にとって確認しないと購入意欲が高まらないようになった。人生の残りの長さが見えて来た頃から、意図して蔵書を整理して来た。その反動からか、手元に残っている書籍の中には、愛おしく長い間の友人のような気がするものもある。

 元来、長く手にする書籍は表紙や紙質まで気になったこともあった。出版社の好みか、名作に「ゾッキ本」(死語かも)のような品のない表紙が付いていると、他の出版社の版はないだろうかと探したこともあった。実際、海外の出版社の場合、とりわけPBの場合など、これはひどいなあと驚くようなデザインの表紙が付いていたりする。

最近読んだ一冊、ジョンパ・ラヒリ(中嶋浩郎訳)『べつの言葉で』 In Altre Parole (新潮社、2015年)について、少し記してみよう。書店でふと手にしたこの本、表紙に目が止まった。顔は判然としないが少女?が一人、数歩は必要と思われる道(線路?)の真ん中を跳ねるように渡っている。後方には屋台のような屋根のある店が写っている。モノクロの表紙で、何を意味しているのか、一見した限りではわからなかった。

ローマでイタリア人のジョンパ・ラヒリという著者も馴染みはなかったが、どこか耳に残っていた。西欧の名前ではない。ひとつだけ、訳者の中嶋浩郎氏の名前は『ルネサンスの画家ポントルモの日記』で、知っていた。手堅い翻訳者という印象で、この珍しいテーマの本は大変興味深く読んだ。

さて、ジョンパ・ラヒリは女性で、ロンドン出身のベンガル人。幼少時に渡米し、ロードアイランド州で育つ。大学、大学院を経て、その後夫と二人の息子(話には娘も出てくるのだが)とともにローマへ移住。この本はイタリア語で書かれた初のエッセイ集とのことだ。これまでに、O.ヘンリー賞、ピュリツアー賞など、著名な文学賞を次々と受賞している。初めて読む作家の本だが、購入した。

暑さ凌ぎに読み始める。エッセイなのでスラスラと入ってくる。しかし、立ち止まり、少し考えることも多い。そこで少し息継ぎをする。

「壁」というエッセイに出会う。主人公がローマに来て2年目のクリスマス過ぎ、家族で旅をしたサレルノで、買い物をする。イタリア語をしっかり勉強し、上手に話す私(主人公)は容貌も影響してか、イタリア人には見られない。本書に著者の小さな顔写真も付されているが、近年は「典型的な」イタリア人とはいかなる容貌なのか、一口には語れない状況だ。それでもイタリア生まれのイタリア育ちとはかんがえにくい。

他方、アメリカ人の夫はスペイン語は話すが、きちんとした文にもなっていないイタリア語で店員に返事をしても、「ご主人はイタリア人でしょう。訛りもなくて、イタリア語を完璧に話しています」と評される。

彼女が長く過ごしたアメリカでは、「英語を母語話者のように話していても、名前と顔かたちのせいで、どうして自分の母語でなく英語で書くのを好むのかと、と聞かれることがたまにある」(92ページ)。

さらに、彼女の母語の町、インドのコルカタでは、ベンガル語は少ししかわからないと思い、英語で話しかけてくる。

かくして、彼女は壁にいたるところで取り囲まれる。そして、壁は彼女自身なのではないかと思う。

そして、コルソ通りの店のショーウインドウを見ていると、店員が May I help you? と話しかけ、彼女の心は粉々に砕けるという。

国境を越えて、母国とは別の国に移住する移民にとって、言葉の問題がいかに微妙で複雑なものであるかを端的に示すエッセイである。



かつて、筆者はある研究誌の依頼で「見える国境・見えない国境」という巻頭論説(2004年)を寄稿したことがあった。その後、一部大学入試の問題にも使われたようだが、ここで論じた“見えない国境” は、ジョンパ・ラヒリの「壁」の概念にも通じることを意図していた。移民問題は、「偏見」、「差別」、「公正」といった概念と切り離しては論じ得ない。




『ルネサンスの画家 ポントルモの手記』(中嶋浩郎訳、宮下孝晴解説)、
白水社、2001年(新装版)表紙





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする