時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

苛酷な時代を生きた人々:17世紀農民の小説

2007年06月20日 | 書棚の片隅から

 30年戦争という名の戦争は、1618年に始まり1648年まで、地理的には現在のドイツに相当する中欧を主たる戦場として展開した。しかし、そればかりでなくアルザス・ロレーヌなど、ドイツ・フランスの国境地帯などへも拡大し、これらの地域も激しい戦場となった。このブログでもしばしば取り上げているカロやラ・トゥールの生涯も、この戦争で大きく揺り動かされた。 17世紀のヨーロッパの方向を定めた重要な意味を持つ政治的・宗教的戦争である。 

 宗教改革を背景とするカトリックとプロテスタントという新旧両派の軍事的衝突でもあり、ヨーロッパの宗教界は大激震を受けた。この戦争で、ドイツを中心とする地域は外国軍の度重なる侵略によって、荒廃、衰亡し、その後の回復に大きな遅れをとった。戦死者だけでも少なくも1000万人を下らないといわれる。

  さらに、この戦争の大きな特徴として多くの傭兵がスエーデン、スペイン、フランス、オランダ、ドイツの皇帝領などの軍隊に参加した。彼らは軍隊としての訓練をほとんど受けておらず、ならず者の集団のようなもの多く、侵攻した町や村々で略奪、殺傷、暴行など暴虐のかぎりを尽くした。ヨーロッパが広範囲にわたり戦場となったことで、ペストなどの悪疫も軍隊によって運び込まれ、蔓延し、飢饉も広がった。  

  しかし、この戦争の実態がいかなるものであったかという点は、思いのほか解明されていないようだ。シラーの「30年戦争」もブログに記したように、この重要な戦争のほんの一部分しか語っていない。

    実際の戦争の有様、そしてなによりも度重なる戦争の舞台となった地域の人々がいかなる対応と生活をしていたのか。単に皇帝軍と新教軍との狭間で軍隊に蹂躙されるだけだったのだろうか。ラ・トゥールなどの場合は、戦火を避けて安全な地へ逃れる選択もできたようである。しかし、土地に縛られた農民や一般市民などはどうしていたのだろうか。17世紀ロレーヌの歴史書などを見ている間にいくつかの疑問が湧いてきた。  

  疑問に駆られるままに文献を見ていると、いくつかの興味ある作品に出会った。そのひとつを紹介してみよう。

Hermann Löns. The Warwolf: A Peasant Chronicle of the Thirty Year War, Translated by Kvinnesland. Yardley:Westholme, 2006.
  
 
  実は、今回手にしたこの版は、ドイツ語からの翻訳版であり、ドイツ語の原著は Der Wehrwolf, Eine Bauernchronik のタイトルで1910年に刊行されている。この書名、なんとなく記憶に残っていた。若い頃ドイツ語を教えていただいた恩師が、17世紀の大詩人・小説家グリンメルスハウゼンJohann Grimmelshausen)『ジンプリチシムス』Simplicissimusの研究を専門にされており、関連して30年戦争を含むこの時代の話をお聞きしたことがあった。その中で本書に言及されたのが、どこか頭の片隅に残っていた。実際に読む機会があるとは思わず、すっかり忘れていたが、思いがけないことで記憶がよみがえり、手にすることになった。  

  表題からすると、一見30年戦争の間におけるドイツの一農民の日記か記録のような印象である。ところが、実際に手にとってみて、その推測は裏切られた。記録の体裁をとった歴史小説だった。著者のHerman Lons (1866-1914)は自然描写に秀でた小説家、詩人として知られている。英語版の翻訳に当たったRobert Kvinneslandは、1955年ニューヨーク生まれだが、親たちはノルウエー系ドイツ移民らしい。そしてドイツ文学、歴史の研究者である。経歴その他から見て、この著作を翻訳するにきわめて適切な人物と思われる。  

  この歴史小説は、著者の地道な調査、研究の成果の上に、北ドイツの荒野の自営農民ハーム・ウルフ Harm Wulf の人生を描いている。隣人や自分の家族が略奪目的の軍に殺害されたのを目のあたりにして、自己防衛に立ち上がる。いかんともしがたい冷酷・無残な現実と自らの道徳心との間に挟まれ苦悩しながらも、隣人たちと力を併せて外部からの容赦ない侵略者に対抗する姿が描かれている。

  ウルフ自身は平和な生活を望みながらも、戦争という現実の前に、隣人の農民たちと共に砦を築き、妻子を守り、「殺すか、殺されるか」という現実の中で、強靭に生きていこうとする農民群像が展開する。強い独立心と自衛意識を持ったたくましい農民の姿がそこにある。  

  この時代、多くの農民や市民たちは暴虐無比な軍隊を前に為すすべもなかった。しかし、中には数少ないながらも、こうして強い意志をもって過酷な時代を生き抜いた人たちがいたことも事実であろう。淡々とした叙述ではあるが、いつの間にか読み通していた。ドイツでは原著は今でも一定の読者があり、読み続けられているという。現代も30年戦争の時代ほどではないにせよ、厳しい時代であることに違いはない。読後、なんとなく力を与えられたような一冊である。


Hermann Löns. The Warwolf: A Peasant Chronicle of the Thirty Year War, Translated by Kvinnesland. Yardley:Westholme, 2006.
本書の表紙(上掲)は、ドイツ語初版(1910年)と同じものが採用されている。

 

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