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ぽぉぽぉたんのお部屋

季節の移ろい、道ばたの草花、美味しい食べ物、映画や友人のこと、想いがいっぱいの毎日をお話します

今年もあとわずか

2015-12-29 | きょうのできごと
あっという間に今年も残すところ数日となった。

木曜日は雨が雪になり、早朝にはぼたん雪も舞った
それが吹雪となり
そうしてまた晴れあがった。

冷たい風に冬を感じるこの頃だが
仙台の平年の気温よりだいぶ高く推移していたようだ
この頃 やっと平年並みに
そうしてまたぬくい日がやってくるらしい
お正月前後はやはり晴れるのはうれしい

あまり温かすぎるとそれからやってくる2月が怖い
恐いくらいだ
またどか雪にならないように祈るばかりだが・・・
来年の事をとやかく案じていても仕様がない

しっかりと今この時を生きねば
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「秋の日に」

2015-10-31 | きょうのできごと
ランチパスポートなるものを初めて買ってから1か月余り
今日もひとりランパスをもって食べ歩いた帰り
近くにあった朝市を久しぶりに訪れた

よく訪れていたなじみの鮮魚店はもうない

顔ぶれもずいぶん変わったように思う
いつの頃からか、
ちょっとしたイートインコーナーができていたりと
店の形態も今風になった

小鯵を探して歩いたがどこにも見当たらず
野菜や果物を買い
業務スーパーでまた買い足して
両手にいっぱいの袋をぶら下げて
帰る羽目になってしまっていた。

買いすぎたかなと後悔しながら
重くなった荷物を下げて帰る道すがら
路地でふと着ぶくれて夏帽子をかぶった男性を見かけた

重ねすぎているのでこけしのようで憐れだった
ちらりと見た顔がひどく整っていた・・・

ホームレスにはこれからの季節は堪えるだろう
年齢も重ねているようだ

そうして、ふっと明日は我が身という言葉が浮かんだ

珍しく今月はホテルでのパーティが重なり
私はちょっと浮かれた秋を味わっていたのだ。


先日、生活相談の現場からの講演を聞いたとき
聞きなれない言葉と現実の厳しさを知った

自己破産と債務整理と個人再生の違いを聴いた。
そうして、明日は我が身と思ったのだ。

心が重くなったり、軽くなったり
何だかこの秋は浮き沈みが激しい気がする



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「気配りの日本人?」

2015-08-18 | きょうのできごと
おもてなしの日本がオリンピックを前にあたふたしているこの頃


お中元をいただくと礼状を書く。

「いつもながらお心配りいただきまして」と書こうか
「お心遣いありがとうございます」としようか
「お気づかいに心から御礼申し上げます」
としようかと悩みながら
前年と同じ文章にならないようにそれなりに配慮するのだ。

この頃思うこと・・・

~日本語が通じない~

いつもお寿司を買う駅地下のお店で
「本日のお勧めの○○はいつ頃出るのですか」と聞くと
「さあ~まだ出てないようですね」と答えて
忙しそうに品物を並べている・・・

まだ出ていないからいつ頃になるのかと聞いているのに
まるで人ごとだ。自分のお店のことなのにね~
時給が決まっているから決まった仕事以外のことは関係ないのだろう

すまなさそうに「あと○○分はかかります」とか
「○時頃になります」とは返って来ないのだ。

「何個お入りようですか?
お急ぎならすぐ作りますので○○分ほどお待ちいただけますか?」
などと気のきいた返事は期待していないけれど
もしそんな風に返ってきたら絶対お店をかえないもんね


「日本語の通じる方をお願いします」と、今度はお願いしてみようか?
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「つゆしぐれ 梅雨時雨」

2015-08-17 | きょうのできごと
4月あたりからいきなり暑い日があったりとおかしかったが
5月6月と気温は高めに経過して
7月から8月にかけての猛暑や熱帯夜にはもううんざり

屋内にいても肌がピリピリと焼けるような感覚があり
気温が高いとはこういうことかと納得する

自分のかいた汗に負けるような生ぬるい夏ではなく
汗などどんどん蒸発していく感じだった

それが、七夕の最終日に雨が降って
ひと息つけたと思うように
いけいけの夏模様にようやく落ち着きがでてきた

そうしてこの頃は雨にうんざりである
少しは晴れてもいいのではないかと思うくらいだ

空梅雨だったのを思い出したように毎日雨が落ちてくる
しとしとと時には思いきりざあっーと
うっとうしく、湿度が高くて蒸し暑さに辟易する

おそ梅雨なのか、時雨のはしりか
お盆も過ぎたので梅雨しぐれとでも名付けようかな
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「夏の夜のできごと」

2015-07-18 | きょうのできごと
「きゃぁ~きゃぁ~きゃぁ~ 
  助けて、助けて、誰か助けて~
    きゃぁ~きゃぁ~きゃぁ~」

突然若い女性の悲鳴が響いた。長い長い悲鳴だった。
遠くなってゆくように途切れたような気がするから
車で連れ去られたのかしら…
それとも・・・と思って時計を見ると
午前2時20分

どうしたんだろう、何があったのかしら?

それにしても長すぎる・・・
恐怖の中、あんなにも長く悲鳴って出せるものだろうか?
尋常でないことは確かだが・・・
(聞いたのだから、確認して通報しないと)
と起き上がり、窓を開けた。

もやもやした室内よりは少しはましな外気が入り込む

見ると、タクシーが止まっていて
歩道には人だかりがあるようだった。

間もなく向こうの方から警官らしい姿が
3人小走りにやってきた。

人だかりの中にいた女がさっきとは別人のように
威嚇するようなドスの利いた声を張り上げては
3人を抗う
逃げる女を3人が追いかけ、とり囲むようにすると
今度は「サワラナイデヨ」と騒ぎ始めた。

それでも足がふらついているのか
転んだり、座り込んだりするのを
3人がしゃがみこんでただ囲むようにしている。

離れたタクシーのそばに呆然と立っているのは
運転手だろうか・・・

とりまきの数人の男性達がすぐ前のアパートに
戻っていく
他の数人も帰り始めた。

やがてもう一台黒っぽい車がやってきた。
そこに女はのりこんだようだ。

運転手が何度も頭を下げるとタクシーに乗り込み去ってゆく。
警官も戻っていく。
二人しかいないようだ。

暗くてよくわからないけれど
少し置いてから、ゆっくりと後からの車も何とか動き出して
騒ぎは収まったようだ。

でも私はそれから朝までずっと眠れなかった。

6時頃新聞をとりに行くと
向かいのマンションにもう布団が干してあった。
(私と同じような被害者かしら・・・)

出かける時にそのあたりを通った。

もう随分と経っていたが
ところどころに香水のにおいが残っていた。

夢ではなく、身体にこたえた夏の夜のできごとだった。


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「キャッシュコーナーにて」

2015-06-23 | きょうのできごと
ちょこちょこおろしは家計の敵なのだが
残念ながら私のお金ではないので
なくなってはちょこちょこおろしている。

当然、名義も私のものではないので
カードを忘れては大変と
記帳した通帳と一緒にそそくさとしまって
離れた・・・
すると、今まで聞いたこともないような
「リンゴーン」「リンゴーン」と
繰り返し濁った重く淀んだ大きな音がして
何事かと振り返って
そして、思い出した!

そうだ!お金を取るのを忘れていた。

恥ずかしさでいっぱいになって
機械からお金を受け取ると逃げるように離れた。

カードをなくしたら手続きが面倒なことになる
そんなことばかり頭にあるので、
肝心のお金を忘れてしまっていたのだ。

いつだったか他のことに気持ちが移っていたのか
郵便局の機械でめいっぱいの金額をおろして
通帳を受け取り
場所を離れたことがあった。

次の順番の女性がお金をみて
声を出しそうなくらいびっくりしていたのを
(あら、わすれてた、ごめんなさい)と
あわてて取り出したことがあった。

お金に縁がないからか
あまりこだわりもないのだろうか
でも忘れては困るのに・・・


いつもポーカーフェイスなので
おっちょこちょいには見えないらしいが
とんでもないことを繰り返している。

心ここにあらずという木曜日が一番危ないようだ。



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「カンベンガ・マリールイズさんのこと」

2015-06-02 | きょうのできごと
桑山さんとの30分ほどの対談で、マリールイズさんのことを知った。
と思っていたが、エピソードは私の記憶に残っていた。
神がついていると思えるほどの幸運が重なって今日本にいること。
笑顔のとても素敵なルワンダ人
首都キガリの専門学校で洋裁の先生をしている時に
海外青年協力隊カウンターパートナーとして来日し
福島で10カ月ほど洋裁の研修を受けた。
帰国して間もなく内戦が勃発。
普通に生活していたのが急に街は騒がしくなり
停電し、日本のホームステイ先からの電話で
初めて内戦状態にあることを知ったと言う。

これには大変驚いた。

アフリカの中ほどにある小さなルワンダという国。
日本からは果てしなく遠い国のように思う。
それが、その国にいて何が起こったのかわからないのに
わずか10カ月いた日本からの電話で戦争を知ったとは・・・

そうして2歳と4歳と6歳の子どもを連れて
コンゴに逃れることを決意する
何カ月もかかっての逃避行
コンゴに入る直前に
ずっと会えなかった夫とも偶然に出会い難民キャンプへ

無事を福島の知り合いに知らせたいと書いた
ひらがなのメモが目に止まって
日本人医師の通訳になり12月には再来日を果たしたという。
なんと運の強い人
一昨年、日本に帰化し
永遠にルワンダを忘れないという思いを込めて
「トワリ」と姓を決めた。
永遠と瑠璃色の璃 素敵な漢字がきらりと光る

ルワンダの教育を考える会理事長として
故郷に学校を建設、
いのちの尊さ、教育の大切さを講演し全国を駆け巡っているという

震災と原発事故も体験し、避難所や仮設でボランティアもしているそうだ

彼女のエネルギーもたくましい
日本語はペラペラ、

突然に家族を失ったキャンプと被災地は同じ
自分の体験した苦労や思いはまず置いておいて
仮設を訪れルワンダカフェを開く

ルワンダのコーヒーや紅茶を入れてみんなで一緒に飲む
温かい飲み物で心もほぐれる
カラオケでは「翼を下さい」を歌うそうだ

難民キャンプにいて
福島の人から手紙をもらった時
世界が見守ってくれている、考えていてくれていると
とても励まされたという

日本の子どもたちは「ちゃんと宿題したか」「何やっているのか」と
言われてばかり、そうして怒られることも多い。

でも、子どもに「あなたに支えられて私は生きています」と
声をかけたことがありますか?

日本に着いた時に4人目の子どもを妊娠していたが
役所で手続きをするように言われたそうだ。

「まだ生まれていないのにどうして」と驚いたという
生まれる前から母子手帳を貰って
検診をきちんと受けて、
その都度、子どもの成長も書き入れて
そんな母子手帳のこと
子どもと話していますか?

生きていることをまず喜ぶ、あとはついてくる
人の命があって守られる
だから夢ができる
と流ちょうな日本語が続く

「つながっている」とここでもふと感じた。
私は親として、今の時代の人間として、何を伝えていけるだろうか



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「地球のステージ」

2015-06-02 | きょうのできごと
ユニセフのつどいが福祉プラザであった。

日曜の昼過ぎの喧騒の人込みの中を自転車でかき分けるように
何とか たどり着いた。
陽射しは夏、海からの東風がさわやかに流れている。

平和な街、大勢の人々が信号待ちをして
青に変わるとあふれるように横断歩道を渡っていく。
話題の店や美味しい物には楽しげに行列して
催し物があればみな集う。

会場の300席はほとんど埋まっていた。

地球のステージ代表の桑山紀彦さん

彼が国際支援活動を始めて四半世紀が過ぎたが
今もパレスチナ、ガザ地区での心理ケアや
東ティモールでの妊産婦や新生児にかかわって活動している。

東日本大震災では自らも被災したそうだが
彼の活動を通しての映像やお話し、
自作の曲を歌ったり、ギターを弾いたり
時にはバイオリンも奏でる

精神科医とはいえ、このエネルギーはいったいどこからくるのだろう
日本の人たちに「いのちの大切さ」や「ほんとうのしあわせ」を伝えている。

ルワンダ…ツチ族とフツ族との殺し合いがあってからもう20年余だろうか

ブータン…幸せの国とマスコミで取り上げられたが、
英語だけの学校の授業、子供二人政策、
決まった給料の公務員は積極的に働こうとしないなど問題もあるらしい

パレスチナガザ地区…学校までもが爆撃対象になっていると報道で取り上げられていたが
実際はこちらも学校から爆撃しているので狙われているだけのことだという

東ティモール…インドネシアからの独立妨害や武力制圧があり
家族を連れ去られ、取り残された子供たちの笑顔がまぶしい

目の前で家族を殺された子供たちは
現実と向き合わざるを得なかったのかもしれない。
現実と向き合い、まっすぐ未来を見る子供たち
だからあんな風に笑顔が輝いているのかしら

折り合いをつけざるを得ない厳しい現実
希望や夢がなければ生きていく力は持てないだろう
子供たちには未来があるからあんな風にできるのかしら
そうして、大人たちはそんな子供たちを支えにして生きていける


大川小学校の生き残った生徒の
「大人たちは現実と向き合わない」という言葉が重かった。






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「お坊さんのお話を聴いて」

2015-05-31 | きょうのできごと
薬師寺の大谷徹奘さんの講演会でお話を聴いた

「死んだらおしまい」ではない
敬われるような自分に
子供や孫たちが戦争していないような先祖にならなくてはいけない

敬上慈下 

敗戦から70年

今さえよければいい  
自分さえよければいいという考えが多くなった。
今の教育は「我」の教育 戦後アメリカの影響で変わってきてしまったのだろう
そのうえ、今の日本人はがんばりが足りない

人の一番の欲望は「人から評価されたい」ということだそうだ。
今一番不足しているのは慈下
私たちには子や孫の下の世代を慈しむ心が足りない
だから
ほめないお前が悪いと逆恨みして
数々の事件が起こるのだという・・・

そうして人は自分が生き残ってきたおごりから
年をとると一人よがりになる 人の話を聞かない
人間とは人の間 一人では生きていけない
1300年もまえの昔の人たちは
今現在のことを「中今 なかいま」ということばで表した。
今には先と後があることを知っていたのだ。


いずれ私たちは死んでいく。そうして先祖になる

だが、タスキを渡す前の人の走り方によって
次の時代は変わってしまう
上手にバトンを渡していかなければ
うまく走りだせないのだから


自分の命は私たちだけのものではない
それはつないでいくもの

死んだ時に残された人々は何と言うのだろう
生き方への気づき
気づいたら今すぐ変えていくことが大切

どんな姿を子どもに見せるか
子どもは親を見ている
死んだ後も思い出してもらえる人に
親の生きざまをしっかり
思い出してもらえるように生きよう

こうして坊さんの話を聴きに出かけてこられる日本は平和なのだ

出がけにざーざー雨が降っていたとしても

鉄砲玉が飛んでいるわけではないのだから

出たくても出られない人
日常の当たり前の生活を奪われた人々が世界にはたくさんいる

今の生活を、この平和を私たちがきちんと守っていかなければ
次の世代はどうなるのだろう。
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「母からの電話」

2015-05-02 | きょうのできごと
9時半ごろ、電話が鳴った
番号を見ると実家のナンバーだ

何事かと一瞬不安が走るが出てみると
「今日じゃなかったっけ?」

主語がないのだが
「病院?」と聞いてみる

「カレンダーに書き込んであるでしょ。来週だよぉ~」
と言うと
「えっ?明日」と返ってきた。

明日は日曜なのに・・・
「来週の土曜日だよ、カレンダー見てみて」
「もしかしてご飯食べなかったの?」

問いに母は笑いながら答えていたが
やはり今日だと思い込んで私を今まで待っていたようだった。
病院に行く日は8時半ごろには着いている

カレンダーにいくら書き込んでいても
今日がいつかわからないなら意味もないのだと思う。

日めくりを探そうか?
でもきっと面倒だと嫌がられそうだ。

母は一人暮らしではないのに

普段から頭はしっかりしているとアピールしている父は
何をする人ぞ

二人して一週間ずれ込んでいるのだろうか

まんずね・・・

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