大倉草紙

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【東京・港区】 芝丸山古墳

2010年10月22日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
10月2日(土)







「所在地 港区芝公園四丁目 都立芝公園内
 指定  昭和五四年三月三一日

 全長一〇六メートル前後、後円部径約六四メートル、前方部前端幅約四〇メートル、くびれ部幅約二二メートルほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約一六メートルの台地端に位置し、前方部を南々西に向けている。
 江戸時代以降、原形はかなり損じられており、とくに墳頂部や後円部西側は削られてしまっている。明治三一年に、日本考古学の先駆者坪井正五郎博士によって調査されたが、すでに後円部中央に位置したと考えられる主体部(埋葬施設)は失われており、遺体や副葬品なども不明である。なお、埴輪を伴うことは知られている。
 前方部が狭く低い形態や、占地状態などから五世紀代の築造とみられており、そのころ、附近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。
 平成二年一二月二七日 再建   東京都教育委員会」(案内板より)