8月4日(水)
(東京都港区芝大門2-7)
「港区指定文化財
旧跡 尾崎紅葉生誕の地
『金色夜叉』などの小説で有名な作家、尾崎紅葉(本名徳太郎)は、慶応三年(一八六七)十二月十六日、芝中門前二丁目二十五番地(現在港区芝大門二丁目七番四号)にあった首尾稲荷社のそばの家で、伊勢屋こと牙彫(けぼ)り師の尾崎谷斎(惣蔵)の長男として生まれました。四歳のとき母を失い、芝神明町八番地(現在港区浜松町一丁目十八番十四号)母の実家荒木家に養われることになるまでこの地に住みました。
十七歳の時、日本最初の文学団体『硯友社』を結成して近代文学の先駆けとなり、十八歳の夏からは増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人と号しました。明治三十六年(一九〇三)十月三十日没。三十五歳。小説集には『芝肴(しばざかな)』の題をつけ、また『男心は増上寺』と題する短編もあり、終生出身地の気風をよく現わした人物でした。墓も港区の青山墓地にあります。
囀(さえず)りの下に小さき祠かな 紅葉
昭和五十七年十月三十日指定 港区教育委員会」(案内板より)
この白い建物は何だろう?と思って回り込んでみると、案内板に記されていた「首尾稲荷社」だった。
首尾稲荷社
芝公園方面へ向かう。
青空に東京タワーが映えている。
えらく暑いなあ……そしてこの後、私は熱中症でダウンしたのであった。
(東京都港区芝大門2-7)
「港区指定文化財
旧跡 尾崎紅葉生誕の地
『金色夜叉』などの小説で有名な作家、尾崎紅葉(本名徳太郎)は、慶応三年(一八六七)十二月十六日、芝中門前二丁目二十五番地(現在港区芝大門二丁目七番四号)にあった首尾稲荷社のそばの家で、伊勢屋こと牙彫(けぼ)り師の尾崎谷斎(惣蔵)の長男として生まれました。四歳のとき母を失い、芝神明町八番地(現在港区浜松町一丁目十八番十四号)母の実家荒木家に養われることになるまでこの地に住みました。
十七歳の時、日本最初の文学団体『硯友社』を結成して近代文学の先駆けとなり、十八歳の夏からは増上寺境内の紅葉山からとって紅葉山人と号しました。明治三十六年(一九〇三)十月三十日没。三十五歳。小説集には『芝肴(しばざかな)』の題をつけ、また『男心は増上寺』と題する短編もあり、終生出身地の気風をよく現わした人物でした。墓も港区の青山墓地にあります。
囀(さえず)りの下に小さき祠かな 紅葉
昭和五十七年十月三十日指定 港区教育委員会」(案内板より)
この白い建物は何だろう?と思って回り込んでみると、案内板に記されていた「首尾稲荷社」だった。
首尾稲荷社
芝公園方面へ向かう。
青空に東京タワーが映えている。
えらく暑いなあ……そしてこの後、私は熱中症でダウンしたのであった。