大倉草紙

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【東京・港区】 浄土寺

2010年01月03日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
11月15日(日)
当日の行程:【旧乃木邸】【高橋是清翁記念公園】【豊川稲荷東京別院】【「虎屋・寅年・虎づくし」展(虎屋ギャラリー)】【圓通寺】【鈴降稲荷神社】【浄土寺】【激動の明治国家建設〔特別展〕(衆議院憲政記念館)】【藤本能道 命の残照のなかで(菊池寛実記念 智美術館)】【特別展 根来(大倉集古館)】【特別展 幻の京焼 京都瓢池園(泉屋博古館分館)】


赤坂の一ツ木通りに面している。
文亀3年(1503)、明蓮社教誉聖光によって開山。
開山当初は平河口にあり、その後麹町平河町に移り、慶長年間に現在地に移転。


本堂


銅造地蔵菩薩坐像
「東京都港区指定文化財
 有形民俗文化財 銅造地蔵菩薩坐像
 左手に宝珠を、右手に錫丈を持ち、趺坐している。
ひとびとはこの世で犯した罪業により、六道を輪廻して地獄におちると信じられていた。地蔵菩薩は、その地獄道にあって、衆生を教え導き、救済するといわれ、広く民間に信仰された。一般には六道に合わせて『六地蔵』の名が親しまれたが、六体で一具という限定はあるわけではない。
 本像には、像身・台座に数多くの刻銘がある、それによれば享保四(一七一九)年二月二十三日に、勧進僧地蔵坊正元・赤坂一木浄土寺の住持観誉らを中心に、九四五名の信者合力を得て作成され、鋳物師は、太田駿河守正義である。正元は、同様の形のいわゆる『江戸六地蔵』を、各所につくっているが、本像はその中には含まれていない。
 江戸時代中期における地蔵信仰のあり方を伝える資料として、また、港区における民間信仰の実態を知る資料として貴重である。
 平成五年九月二十八日
     東京都港区教育委員会」(案内板より)


本堂の前に、地蔵菩薩坐像と対になるような位置に閻魔王坐像が置かれている。
江戸時代には、閻魔詣でで賑わったのだという。


この閻魔王坐像、眼鏡をかけているように見える。


本堂脇の奥のほうには、お地蔵様が並んでいる。

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