7月20日(月)
当日の行程:(車) → 【高山神社】 → 【津城】 → 【伊勢上野城跡】 → 【神戸城】 → 【大黒屋光太夫記念館】 → 【心海寺(磯吉の菩提寺・大黒屋家の菩提寺)】 → 【大黒屋光太夫らの供養碑】 → 【宝祥寺(小市の供養碑)】 → 【白子新港(大黒屋光太夫出帆の地)】 → 【伊賀亀山城】 → 【関宿旅籠玉屋歴史資料館】 → 【関まちなみ資料館】 → 【芭蕉翁生家】 → 【芭蕉翁記念館】 → 【伊賀流忍者博物館】 → 【伊賀上野城】 → 【蓑虫庵】 → 【鍵屋ノ辻】 → 【御斎峠】 → 【多羅尾陣屋跡】
「多羅尾代官は、寛永15年(1638)に多羅尾光好が代官に任命され、信楽の多羅尾村にある代官信楽陣屋という近畿地方の天領を治めるための役所を設けたことに始まり、明治維新まで200年以上世襲代官として続きました。
この陣屋を『多羅尾代官所』・『信楽御役所』と呼び、歴代の代官は近江・伊勢・播磨国を中心に5~6万石を治めていました。
代官陣屋の敷地は個人の住宅です。
無断で立ち入ることはかたく禁じます。 甲賀市教育委員会」(案内板より)
よくあることなのだけれど、カーナビに「多羅尾陣屋跡」と表示されているのを見て、行ってみたくなった。
甲賀市信楽町多良尾、山の間に長閑な田園風景が広がる。
これまたよくあることなのだけれど、「目的地周辺です 音声案内を終了します」とカーナビ。
親切な方々が行き方を教えて下さった。
けれど、目印の少ない道は、説明をする側にとっても受ける側にとっても厄介なもので、互いのイメージの擦り合わせがなかなかできず、やっとのことで辿り着いた。
現在も住宅として使用されているようで、見学や敷地内に入ることはできない。
当日の行程:(車) → 【高山神社】 → 【津城】 → 【伊勢上野城跡】 → 【神戸城】 → 【大黒屋光太夫記念館】 → 【心海寺(磯吉の菩提寺・大黒屋家の菩提寺)】 → 【大黒屋光太夫らの供養碑】 → 【宝祥寺(小市の供養碑)】 → 【白子新港(大黒屋光太夫出帆の地)】 → 【伊賀亀山城】 → 【関宿旅籠玉屋歴史資料館】 → 【関まちなみ資料館】 → 【芭蕉翁生家】 → 【芭蕉翁記念館】 → 【伊賀流忍者博物館】 → 【伊賀上野城】 → 【蓑虫庵】 → 【鍵屋ノ辻】 → 【御斎峠】 → 【多羅尾陣屋跡】
「多羅尾代官は、寛永15年(1638)に多羅尾光好が代官に任命され、信楽の多羅尾村にある代官信楽陣屋という近畿地方の天領を治めるための役所を設けたことに始まり、明治維新まで200年以上世襲代官として続きました。
この陣屋を『多羅尾代官所』・『信楽御役所』と呼び、歴代の代官は近江・伊勢・播磨国を中心に5~6万石を治めていました。
代官陣屋の敷地は個人の住宅です。
無断で立ち入ることはかたく禁じます。 甲賀市教育委員会」(案内板より)
よくあることなのだけれど、カーナビに「多羅尾陣屋跡」と表示されているのを見て、行ってみたくなった。
甲賀市信楽町多良尾、山の間に長閑な田園風景が広がる。
これまたよくあることなのだけれど、「目的地周辺です 音声案内を終了します」とカーナビ。
親切な方々が行き方を教えて下さった。
けれど、目印の少ない道は、説明をする側にとっても受ける側にとっても厄介なもので、互いのイメージの擦り合わせがなかなかできず、やっとのことで辿り着いた。
現在も住宅として使用されているようで、見学や敷地内に入ることはできない。