大倉草紙

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【岐阜】 問屋場跡・大垣宿本陣跡

2008年08月27日 22時23分36秒 | 旅 - 岐阜県
本日の行程:(車) → 【問屋場跡】 → 【大垣宿本陣跡】【奥の細道むすびの地】 → 【奥の細道むすびの地記念館】【大垣城跡】【中山道赤坂宿本陣跡】【勝山】【南宮大社】【美濃不破関跡・壬申の乱史跡】 → 【関ケ原の戦いゆかりの地①東軍②西軍③傍観軍・反応軍④陣跡以外の史跡】 → (大垣泊)


【問屋場跡】

   
          

問屋場跡の札には、次のようにある。
「宿場において人馬の継立の業務を行った所が問屋場である。ここへ問屋役をはじめ、その助役の年寄、事務担当の帳付、その他、馬指や人馬指が詰めていた。大垣宿の問屋場は本町にあったが寛文の頃にここ竹島に移った。問屋役は飯沼家が本陣役と兼帯して勤めていた」

この札のほかにも、天保十八年(一八四三年)当時の大垣宿と近隣の宿との家数、人口、旅籠の数、本陣の数、脇本陣の数、問屋場の数、助郷村の数、宿並町の数を比較した表などがあり、楽しめる。



【大垣宿本陣跡】

   
   
     昭和初期の本陣表門(大垣宿本陣跡前の案内板より)

大垣宿本陣跡の札には次のようにある。
「本陣は、宿場のほぼ中央に位置し、お大名や宮家・公家・幕府役人などの貴人が利用した休泊施設である。
 大垣宿本陣は、永禄の頃沼波玄古秀実が竹島町を開き、はじめて本陣を創立したと伝えられる。以後、本陣役は、宝暦五年(一七五五年)には玉屋岡田藤兵衛が勤め、天保十四年(一八四三年)には、飯沼定九郎が問屋を兼ねて勤めた」

「明治天皇行在所跡明治11年(1878)10月22日明治天皇は、東海・北陸御巡幸の帰途、美濃路大垣宿の旧本陣飯沼武右衛門邸に泊まられた。
 飯沼邸は往還に沿って南面し、主屋には上段の間・下段次の間・家老の間・台所等の諸室が配され、なかでも明治天皇が泊まられた『上段の間』は、奥庭に面した書院造りの大変風格のある8畳間であった」


今日の歩数:23,864歩

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