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【東京・港区】 明治神宮外苑の記

2010年03月07日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
2月28日(日)



明治神宮外苑造営の由来を記した碑。

「明治神宮外苑の記
(略)
 碑文の大意
 明治四十五年(一九一二)七月三十日に、明治天皇(第一二二代の天皇・今の天皇の曾祖父)、大正三年(一九一四)四月十一日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正九年(一九二〇)十一月一日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
 明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治神宮外苑の造営が進められることになりました。
 これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、また、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正十五年(一九二六)十月に明治神宮外苑は完成しました。
(略)
大正十五年十月 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達」

明治天皇伏見桃山陵と昭憲皇太后伏見桃山東陵についてはこちら


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