大倉草紙

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【東京・西多摩郡】 奥多摩むかしみち ①

2009年11月09日 21時00分00秒 | 旅 - 東京都
11月7日(土)
奥多摩むかしみち① 

「奥多摩むかしみち」は、旧青梅街道を歩く全長約10キロの遊歩道。
お天気に恵まれた一昨日の土曜日、この道を歩いてみた。


(10:56)
出発はJR青梅線奥多摩駅前。
この日は、新宿駅の跨線橋架替工事のため、中央線は各駅停車しか運転していなかったので、奥多摩駅に着くまでが大変だった。
奥多摩駅前の観光案内所で貰った地図をたよりに歩く。


(10:57)
まずは、駅前の大木戸稲荷で、道中の安全を祈願。


(11:01)
歩き始めてすぐにある氷川大橋から下を眺める。


(11:05)むかしみち入口の地図


(11:06)羽黒坂
「山手の石段七十三段上に古社羽黒三田神社が鎮座して坂の名となりました。
旧青梅街道が明治三十二年に改修されてからは、小河内方面で生産された木炭運びの多数の馬力・大八車・背負い荷の人々と青梅・氷川方面からの上げ荷の人々が苦労した坂です
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


(11:06)
羽黒坂の右手に、羽黒三田神社の鳥居が見える。


(11:07)神門


(11:08)
長いながーい階段が続く。


(11:12)
こちらが社殿なのだろうか?
この先は、登山道へと続いていたので、羽黒坂まで戻る。
階段の上り下りで、膝がガクガク。


(11:25)ダム建設のトロッコが通っていたトンネル


(11:26)トロッコ線の跡が残っている


(11:35)
「槐木(さいかちぎ)
羽黒坂の急坂と桧村からの坂を登りつめた所槐木の巨樹が地名となりました。
馬力・大八車や背負荷の上り荷・下り荷の人々の休み場として賑わった所です。槐木と向きあって、赤松の根元に正徳二年(一七一二)の修業僧木食三世真円唱謁の念仏供養塔・文化十三年、(一八一六)の馬頭観音他があります。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)
槐の木の脇には、現在も、休憩所が設けられていた。
「槐」はふつう、「えんじゅ」と読むが、「さいかち」に刺があることから、木の鬼に見立てた当て字なのだという。


(11:35)槐木のそばの馬頭観音像


(12:08)日露戦役凱旋記念碑
陸軍中将・木越安綱の揮毫。


(12:13)白髭神社
「古代において白髭大神(しらひげのおおかみ)信仰の文化が多摩川をさかのぼり、古代人の思想に一致した神やどる聖地として巨岩のある清浄高顕のこの地に巨岩を御神体として、祭祀が営まれました。大岩は秩父古生層のうち石灰岩層の断層が露頭したもの。層脈は多摩川をはさんで対岸へも続いています。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


(12:16)白髭神社の御神体である巨岩
高さ約30メートル、横幅約40メートルもある。


(12:20)弁慶の腕ぬき岩
「高さ約三メートルの自然石。下の方に腕が入る程の穴があることから、旧道往来の人々に親しまれ、力の強い弁慶に不会されて誰れ言うとなく『弁慶の腕ぬき岩』と呼ばれるようになりました。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


腕を入れてみる。


(12:21)耳神様
「昔は耳だれや耳が痛いときは、お医者様もいないしどうしようもなかったので穴のあいた小石を見つけて、耳神様に供えて御利益を一心に祈りました。
民間信仰のひとつです。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


(12:24)いろは楓
「奥多摩の山々に自生する『山もみじ』の一種。この樹の紅葉は特にすぐれていて『名状すべがたい』といわれています。旧道往来の多くの人々を楽しませた樹です。十一月中・下旬頃が見ごろ。樹齢は約二百年位といわれています。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)
紅葉にはまだ早かったが、緑の葉も美しい。


(12:32)惣岳の成田不動尊
「明治年代、水根の奥平大乗法印と信仰心の篤い惣岳の奥平庄助によって成田不動尊を勧請・祭祀しました。
昭和十年現本殿と覆舎を再建、近郷多くの人々の信仰をあつめています。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


紅葉している木も。


こちらは、もう少し。


(12:36)がんどうの馬頭様
「現旧道以前の旧道にあります。『…一人ゆきかう許(ばか)りなる細道…』(明治三十二年・小河内勝道記・露木敬身)という細い道であったので、多くの馬が谷底にあって死んでいます。その供養のため、沢山の馬頭様が造立されました。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)


(12:37)しだくら橋
「『惣岳の荒』といわれて、多くの巨岩が渓谷美を見せています。
巨岩から巨岩をつなぐように直径二十センチメートル程の杉丸太を四、五本ずつ藤蔓で結び架橋していました。現在は吊り橋となりました。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)
歩くとかなり揺れるが、吊り橋の高さがそれほど高くはないので、掌に汗をかくことはない。
あとになって「5人以上で渡らないように」という掲示を見つけてコワくなったが。
行楽日和の今日、「むかしみち」を歩く人は多く、吊り橋の上にも5人以上はいたはず。


(12:37)しだくら橋から惣岳渓谷を望む
「惣岳渓谷
太古以来の大洪水と、近くは寛保二年(一七四二)明治四十年(一九〇七)の奥多摩一帯を襲った未曾有の大水害によって、多摩川南岸しだくら谷より押し出した多数の巨岩が累々として、『惣岳の荒』と呼ばれ渓谷美となっています。
   奥多摩町教育委員会」(案内板より)

つづく

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