本日の行程:(車) → 【叡福寺】 → 【大聖勝軍寺】 → 【長曽我部盛親物見の松】 → 【常光寺】 → 【高塚地蔵】 → 【木村重成の墓】 → 【山口伊豆守重信の墓】 → 【蓮城寺(木村重成霊牌所)】 → 【若江鏡神社】 → 【木村重成の銅像】 → 【飯島三郎右衛門の墓】 → 【四條畷神社】 → 【忍陵神社】 → 【徳川家康旗掛け松跡】 → 【徳川家康星田陣営跡】
南大門
叡福寺は、聖徳太子の墓前に営まれた寺院。
寺伝によれば、推古天皇30年(622)、聖徳太子の寮母を守護するために一堂を構えたのが始まり。
神亀元年(724)、聖武天皇の勅願で、伽藍が造営されたという。
四天王寺、法隆寺と並んで、太子信仰の中核をなした寺院であり、大聖勝軍寺の「下の太子」、野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と呼ばれている。
南大門の扁額には、「内閣総理大臣 岸信介謹書」とある。
金堂
享保17年(1732)再建。
本尊は、如意輪観音坐像。
多宝塔(重要文化財)
承応元年(1652)再建。
本尊は、釈迦・文殊・普賢の三尊像。
寺宝館は、残念ながら休館中。
聖光明院
本尊は、大日如来像。
聖徳太子に仕えていた調子麿呂は、聖徳太子の葬儀の後、ここで太子の菩提を弔っていたという。
聖霊殿(重要文化財)
聖徳太子16歳植髪等身像と南無仏太子2歳像が祀られている。
二天門
二天門には、二天が祀られている。
上の御堂
聖徳太子35歳像が祀られている。
御廟
浄土堂
慶長2年(1597)再建。
本尊は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊。
弘法大師が参籠の際に、九十九夜にわたって御廟の中から音楽が聞こえ、三尊が来迎したという話が残っている。
通元帥宮御遺髪塔
見真大師堂
明治45年(1912)建立。
本尊は、親鸞聖人坐像。
経堂
弘法大師堂
念仏堂
本尊は、阿弥陀如来像。
隔夜堂
本尊は、阿弥陀如来坐像。
南大門の前の道を隔てたところにある。
こんなところにも聖徳太子が!
叡福寺の御朱印
今日の歩数:14,479歩
南大門
叡福寺は、聖徳太子の墓前に営まれた寺院。
寺伝によれば、推古天皇30年(622)、聖徳太子の寮母を守護するために一堂を構えたのが始まり。
神亀元年(724)、聖武天皇の勅願で、伽藍が造営されたという。
四天王寺、法隆寺と並んで、太子信仰の中核をなした寺院であり、大聖勝軍寺の「下の太子」、野中寺の「中の太子」に対し、「上の太子」と呼ばれている。
南大門の扁額には、「内閣総理大臣 岸信介謹書」とある。
金堂
享保17年(1732)再建。
本尊は、如意輪観音坐像。
多宝塔(重要文化財)
承応元年(1652)再建。
本尊は、釈迦・文殊・普賢の三尊像。
寺宝館は、残念ながら休館中。
聖光明院
本尊は、大日如来像。
聖徳太子に仕えていた調子麿呂は、聖徳太子の葬儀の後、ここで太子の菩提を弔っていたという。
聖霊殿(重要文化財)
聖徳太子16歳植髪等身像と南無仏太子2歳像が祀られている。
二天門
二天門には、二天が祀られている。
上の御堂
聖徳太子35歳像が祀られている。
御廟
浄土堂
慶長2年(1597)再建。
本尊は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊。
弘法大師が参籠の際に、九十九夜にわたって御廟の中から音楽が聞こえ、三尊が来迎したという話が残っている。
通元帥宮御遺髪塔
見真大師堂
明治45年(1912)建立。
本尊は、親鸞聖人坐像。
経堂
弘法大師堂
念仏堂
本尊は、阿弥陀如来像。
隔夜堂
本尊は、阿弥陀如来坐像。
南大門の前の道を隔てたところにある。
こんなところにも聖徳太子が!
叡福寺の御朱印
今日の歩数:14,479歩