大倉草紙

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【京都】 桓武天皇柏原陵・明治天皇伏見桃山陵・昭憲皇太后伏見桃山東陵

2009年01月12日 20時00分00秒 | 旅 - 京都府
7月26日(土)
当日の行程:(京阪電車・伏見稲荷駅) → 【伏見稲荷大社】 … (自転車) → 【鳥羽伏見戦跡石碑】【城南宮】【鳥羽離宮跡公園】 → 【戊辰戦争東軍戦死者之墓(悲願寺墓地)】【寺田屋】【月桂冠大蔵記念館】【鳥羽伏見戦の弾痕】 → 【伏見奉行所跡】【伏見桃山城】【桓武天皇柏原陵】 → 【明治天皇伏見桃山陵】 → 【昭憲皇太后伏見桃山東陵】


【桓武天皇柏原陵】




桓武天皇は、延暦25年(806)に崩御する。
桓武天皇の遺志により、山城国葛野郡宇太野(現・京都市右京区宇多野)に葬る予定だったが、京の周辺で不審火が相次ぐ等、たびたび異変が起こったため、天皇の陵は山城国紀伊郡(現・京都市伏見区)柏原山陵(柏原陵)に改められたらしい。
南北朝~室町時代の争乱では、桓武天皇陵の所在地が分からなくなってしまう。
江戸時代後期の陵墓探索では、桓武天皇陵の所在地について諸々の説があったようだが、幕末に紀伊郡堀内村字三人屋敷(伏見区桃山町永井久太郎)を桓武天皇陵と定め、現在に至るという。


【明治天皇伏見桃山陵】



東西127m、南北155mもある広い陵墓。
上円下方墳で、墳丘はさざれ石に覆われているという。
驚くほどの大きさで、まるで森のようだ。
人が多い。
お参りをしているのではなく、皆、ジョギングをしたり、ストレッチをしたり。



振り返ると、町が一望できる。
急な階段は230段もあるそうだ。


【昭憲皇太后伏見桃山東陵】



明治天皇陵の東に、明治天皇稜と同じ形の昭憲皇太后伏見桃山東陵がある。
こちらも巨大だ。