7月26日(土)
当日の行程:(京阪電車・伏見稲荷駅) → 【伏見稲荷大社】 … (自転車) → 【鳥羽伏見戦跡石碑】 → 【城南宮】 → 【鳥羽離宮跡公園】 → 【戊辰戦争東軍戦死者之墓(悲願寺墓地)】 → 【寺田屋】 → 【月桂冠大蔵記念館】 → 【鳥羽伏見戦の弾痕】 → 【伏見奉行所跡】 → 【伏見桃山城】 → 【桓武天皇柏原陵】 → 【明治天皇伏見桃山陵】 → 【昭憲皇太后伏見桃山東陵】
【桓武天皇柏原陵】
桓武天皇は、延暦25年(806)に崩御する。
桓武天皇の遺志により、山城国葛野郡宇太野(現・京都市右京区宇多野)に葬る予定だったが、京の周辺で不審火が相次ぐ等、たびたび異変が起こったため、天皇の陵は山城国紀伊郡(現・京都市伏見区)柏原山陵(柏原陵)に改められたらしい。
南北朝~室町時代の争乱では、桓武天皇陵の所在地が分からなくなってしまう。
江戸時代後期の陵墓探索では、桓武天皇陵の所在地について諸々の説があったようだが、幕末に紀伊郡堀内村字三人屋敷(伏見区桃山町永井久太郎)を桓武天皇陵と定め、現在に至るという。
【明治天皇伏見桃山陵】
東西127m、南北155mもある広い陵墓。
上円下方墳で、墳丘はさざれ石に覆われているという。
驚くほどの大きさで、まるで森のようだ。
人が多い。
お参りをしているのではなく、皆、ジョギングをしたり、ストレッチをしたり。
振り返ると、町が一望できる。
急な階段は230段もあるそうだ。
【昭憲皇太后伏見桃山東陵】
明治天皇陵の東に、明治天皇稜と同じ形の昭憲皇太后伏見桃山東陵がある。
こちらも巨大だ。
当日の行程:(京阪電車・伏見稲荷駅) → 【伏見稲荷大社】 … (自転車) → 【鳥羽伏見戦跡石碑】 → 【城南宮】 → 【鳥羽離宮跡公園】 → 【戊辰戦争東軍戦死者之墓(悲願寺墓地)】 → 【寺田屋】 → 【月桂冠大蔵記念館】 → 【鳥羽伏見戦の弾痕】 → 【伏見奉行所跡】 → 【伏見桃山城】 → 【桓武天皇柏原陵】 → 【明治天皇伏見桃山陵】 → 【昭憲皇太后伏見桃山東陵】
【桓武天皇柏原陵】
桓武天皇は、延暦25年(806)に崩御する。
桓武天皇の遺志により、山城国葛野郡宇太野(現・京都市右京区宇多野)に葬る予定だったが、京の周辺で不審火が相次ぐ等、たびたび異変が起こったため、天皇の陵は山城国紀伊郡(現・京都市伏見区)柏原山陵(柏原陵)に改められたらしい。
南北朝~室町時代の争乱では、桓武天皇陵の所在地が分からなくなってしまう。
江戸時代後期の陵墓探索では、桓武天皇陵の所在地について諸々の説があったようだが、幕末に紀伊郡堀内村字三人屋敷(伏見区桃山町永井久太郎)を桓武天皇陵と定め、現在に至るという。
【明治天皇伏見桃山陵】
東西127m、南北155mもある広い陵墓。
上円下方墳で、墳丘はさざれ石に覆われているという。
驚くほどの大きさで、まるで森のようだ。
人が多い。
お参りをしているのではなく、皆、ジョギングをしたり、ストレッチをしたり。
振り返ると、町が一望できる。
急な階段は230段もあるそうだ。
【昭憲皇太后伏見桃山東陵】
明治天皇陵の東に、明治天皇稜と同じ形の昭憲皇太后伏見桃山東陵がある。
こちらも巨大だ。