大倉草紙

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【日光街道】 5日目(南栗橋~古河) その4

2011年02月25日 21時00分00秒 | 街道をあるく
1月1日(土)

5日目(南栗橋~古河)その3の続き


(15:17)
江戸時代、この通りのある中田町は中田の松原と呼ばれていた。
古河の原町入口までの約1里に渡って、松並木が続いていたのだという。
平成6年より3年かけて日光街道松並木の復元工事が実施され、現在は、新しく植えられた黒松71本を見ることができる。


(15:56)
茨城県立古河第二高等学校。


(15:53)
古河第二高等学校の校庭には、古河の一里塚跡がある。


(15:53)
一里塚跡のそばには、このような碑が建っていた。
「贈正四位 熊澤蕃山先生墓所 勝鹿村大堤鮭延寺墓地 右へ約五町踏切ヲ越シテ又右ヘ 紀元二千六百年九月十八日 先生二百五十年祭 爲記念 茨城県立古河高等女学校同窓会 木村伊之助」と刻まれている。
墓所の鮭延寺(古河市大堤1030-1)への案内か。


(16:08)
足下を見ると、凝ったデザインのマンホールが。


(16:10)
古河城御茶屋口門址
御茶屋口門は、歴代徳川将軍の日光社参の折、古河城内への入城に利用された門。
将軍をもてなすための茶屋があったことからこの名が付けられたという。


(16:13)
この奥に、古河文学館がある。


(16:14)
こちらの素敵な建物は、鷹見泉石記念館
鷹見泉石は藩主土井利位に仕えた古河藩士で、「大塩平八郎の乱」の鎮圧をした。
記念館の建物は古河藩が藩士たちのために用意した武家屋敷の一つで、晩年の鷹見泉石はここで蘭学に没頭したという。


(16:15)
鷹見泉石記念館の前に、古河歴史博物館がある。


(16:16)
古河歴史博物館は、古河城の諏訪曲輪(出城)跡地に建っている。
敷地内には、古河城出城諏訪曲輪跡の碑がある。
空調と照明工事のため、博物館は2月末まで休館である。
ほかの博物館や資料館なども、年末年始は休みなので、せっかく訪れたのに見ることができずに残念だ。

つづく

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