大倉草紙

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【大阪】 大坂の陣ゆかりの地⑨ 長曽我部盛親物見の松

2009年06月05日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
1月31日(土)
当日の行程:(車) → 【叡福寺】【大聖勝軍寺】【長曽我部盛親物見の松】【常光寺】【高塚地蔵】 → 【木村重成の墓】 → 【山口伊豆守重信の墓】 → 【蓮城寺(木村重成霊牌所)】【若江鏡神社】【木村重成の銅像】 → 【飯島三郎右衛門の墓】【四條畷神社】【忍陵神社】 → 【徳川家康旗掛け松跡】 → 【徳川家康星田陣営跡】


長曽我部盛親物見の松は、八尾市立久宝寺小学校のすぐ近くにある。
「長曽我部盛親物見の松
 ここを今口といゝ、古く久宝寺々内の今口門があって東口とともに八尾に通ずる道筋であった。
 大阪夏の陣に大阪城から天王寺平野を経て進出して来た長曽我部盛親の軍は、この地にあった大きな松の木の上から、東方八尾方面の敵情をてい察したと伝えられ、昭和の初め坂本春湖ここに碑を建てゝ記念とした。
八尾市教育委員会」
長曽我部盛親が物見をした松は残っていないが、小さな松が植えられていた。

写真の左側に小さな五輪塔が写っている。
これに関しては、次のような説明があった。
「慶春五輪塔
 昭和二十七年六月、大阪-八尾線道路改修のさい、字樋上から出土したものである。この地は久宝寺寺内町の今口門のあったところである。
 材質は花崗岩で、五輪塔の高さは六五センチメートル 地輪正面には
 明応二年癸丑
 慶春禅門
  四月二十二日
と刻まれており、その年号から推して正覚寺合戦のさいの戦死者の墓ではなかろうか。
 大阪夏の陣のさい、激戦のあったところで、東軍は東口とこの今口両道から久宝寺へ攻め入った。
八尾市教育委員会」


長瀬川
カーナビを頼りに、長瀬川を探した。
長曽我部盛親の軍は、この川の堤に陣を構えていたという。