奥揖斐山荘

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私の宝もの ギター 0717

2020-07-17 00:13:30 | My Back Pages

My Back Pages ギター(gibson SG250)
2020年 7月17日(金)
 長雨で、山にも行けず、私の山荘で、ギターの話などしませんか

 私が初めてギターを手にしたのは中学2年(昭和40年)、3番目の兄貴が就職して(当時高卒初任給12000円程度)3800円のガットギターを買い、ギター教室に通っていた
 学校から帰るとギターが部屋に置いてあり、適当に弦を合わせ、我流で引いて遊んだ
 数ヶ月後、2番目の兄貴(大学生:下宿)が帰ってきて、調弦とコードなど教えてくれた

 高校に入ると2番目の姉も就職して、13000円のフォークギターを買った。そのころPPM、ジョンバエズなどが流行っていたので、姉らにフォークソングを歌って聴かせた
 高校2年の時、卒業生を送る会が久留米市内の石橋文化センターであり、「勝利を我らに(ジョン・バエズ)」を全校生徒の前で歌った(あまり受けなかった)

 大学に入ると、福岡のフォーク喫茶「昭和(※1)」でウェィターのバイトをしている者と仲良しになった
 7月のある日、「俺、オリジナルを持っている」と云うと、オーデション受けろと言われた。歌は、「ひとりぼっちの歌」と「今日の明日は」(作詞は当時文通していた小倉の娘)
  結果、落選
 店長から、「歌は上手いが個性がない」と言われた。自分では「個性はあるが、歌は下手」 と思っていたが、原因は「福岡弁話せず、地方訛り(甘木弁:※2)」だと思った

 落ちたあと、地元バンドに誘われた(※3)、大学4年間で3つバンドを転々とした、写真は、2台目のギター(my 宝もの)

 ギブソンSG250、SGでサンバースト(中心に向かって色が薄くなる)は珍しい




 税関スタンプと契約書

 義兄が船乗りで、お願いし、アメリカから買ってきてくれた、昭和48(1973)年 3月 5日入港のシールと伝票。買った店はテッド・ブラウン・ミュージック・カンパニー。ケース込みで320ドル
 48年3月は、円が変動相場制に変わった翌年ころ、円はだんだん値上がりし、兄がカードで買ったとき300円/ドルくらい、銀行引落とし時260円/ドルくらい。代金は、私が就職したあと8万円兄貴に払った


 ギター弾く、オーナー(ジーパンは軽石でこすりわざと破った)

 映画、ビートルズ「ゲットバック」をまね、地元デパートの屋上で演奏するが、やってきたのは、取り巻きの悪ガキ30人程度だけだった

 レパートリーは、ワイルドで行こう(写真:握ったEコードでわかる)、プラウド・メアリー、スージーQ、雨を見たかい、ストップ・ザ・ミュージック、ホワイト・ルーム、GFRのハートブレーカー、マネー、ジャンピング・ジャック・フラッシュ、幸子(チーク・ダンス専用)など30曲、18番は、マッコーイズの「ハング・オン・スルーピー」、これは今でも歌えます

※1 昭和は福岡ではフォーク系歌手の登龍門
 僕が歌った前年くらいにチューリップが上京。後に、海援隊、甲斐バンド、長淵 剛などが昭和で歌ったのち、上京した

※2 甘木弁(現:朝倉市中心地の方言)
 博多駅前でアメリカ人宣教師?が日本語で私に話しかけた。答えると、意味が通じず、間に入った日本人が「彼は、こう言っています」と通訳してくれた

※3 落選後
 体育系のクラブに入部する予定であったが、地元バンドからボーカルにと誘われた。ボーカルはもてると言われ入ったが、もてたのは一番若いドラムスだった

☆ その他
・この(1972年)ころ、外国タレントが多数来日、小都市「福岡」まで来てくれないので、車(サニークーペ)で、夜行列車で、福岡から大阪フェスティバルホール(前座:プロコム・ハルム、本チャン:テン・イヤーズ・アフター)、大阪難波球場(麻生れい子、GFR)まで見に行った

・バンド始めてエレキギター(中古)を買う金が無く、姉さんのギターを売ったら怒られた

・ 2台目のギター以外の楽器(ギターアンプ、ボーカルアンプは3ヶ月(夏休み含む)大学に行かずバイトなどして自分で買った

・21歳ころ、髪を長くしたので、“ お前はビートルズか ”と、明治生まれのおやじにヤジられた 私の兄弟は昭和10年9月から27年1月生まれ(私)の兄3人、姉2人の6人


 ギターの製造番号の写真

 連れのギター弾きが、このギターは、Gibson社1969年製の11台目、と言っていたが、定かではない

☆ 最後まで聞いてください
 高校時代、国語で欠点をとった。罰に夏休み、教科書の漢字をすべて書いて来いと教師に云われた。別の高校の親友K君、三好達治の詩(桃の花咲く)に曲をつけよと学年の宿題をもらい、宿題を交換した。私が作曲した達治氏の詩が学年一等賞をとり、全校生徒で歌ったという、K君どんな思いで歌ったのか!!!
 テント泊の時、いつもこの話題をし、毎夜、この詩を歌った
(当初、島崎藤村の詩と書きましたが三好達治の詩でした)


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