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子どもでもわかる世界論へ Q&A  Q30

2021年04月24日 | 子どもでもわかる世界論 Q&A
子どもでもわかる世界論へ Q&A  Q30


Q30 わたしたちが昔のことを調べる時に注意すべきことは何ですか。(Q27再び)

A30

 これは、現在でも十分に自覚されているようには見えませんが、過去のことを調べようとする時にどうしても現在の自分のものの感じ方や考え方の自然さから過去のことを見てしまうということです。もちろん、例えば代々受け継がれてきている日本人の精神的な遺伝子のようにいくらか形を変えながらも過去と現在を通して共通する部分もあるでしょうが、社会の仕組みや産業の構造などが違う以上ものの感じ方や考え方が違っています。だから、現在の自分のものの感じ方や考え方が絶えずすべり込んでこようとしますが、それを脇に置いて、できるだけ過去の出来事や遺物や記録などを便りに、過去の世界の人々のものの感じ方や考え方そのものに近づくことが大事です。

 それは、現在と過去という時間的なものですが、空間的に隔たっている同じ現在を生きている者同士でも、わたしたちが他者の行動や考え方を理解しようとする場合にも、同様のことが起こります。すなわち、わたしたちは、知らず知らずの内に自分の境遇やものの感じ考え方で他人の行動や心の内を推しはかってしまいがちだということです。

 そんな中にも、過去の姿そのものをていねいに描き出そうという人々もいます。民俗学者に吉野裕子(ひろこ)という人もそんなひとりです。古代の日本人の心や意識の有り様を残された祭りや風習や遺物を通して類推し、いくつかの基軸を設けてそれをていねいに確認し考察していきました。以下に引用する『日本古代呪術―陰陽五行と日本原始信仰』の「序章 古代日本人における世界像と現世生活像」に次のように述べています。入口の部分のごく一部ですが、引用してみます。


 1 古代日本人の特質

 古代日本人は、ものごとを考えるとき、それを日常身の廻りにいつも見ることの出来る現象とか事物にあてはめて考えようとした人々であった。それはつまり「連想豊富な、擬(もど)き好き」な人々ということになろうか。
 彼らにとってもっとも身近なものは、彼ら自身、つまり人間そのものであり、人間以外では太陽、及び地上の動植物であった。そこでこの天象・地象・人象の類推から物事を考えていったのである。
 したがってその信仰も、その信仰から生み出された神話も、祭りも、大洋の運行と人の生死、植物の実りと枯死などからの連想類推にはじまり、その「擬き・なぞらえ」に終っていると私は思う。

 古代日本人における人間
 それではまずその人間とは彼らにとってどういうものだったのだろう。
 生命の始まりについては今日においても判らないことが余りにも多いが、古代の人にとっては更に大きな謎であった。
 しかし人間が生まれてくるまでのおおよそのことと、生まれて来た新しい生命体にしてやらなければならないことは少なくとも判っていた。
 人が生まれるまでの大体のこととは、男女両性の交合したある時点から生命は母の胎内に芽ばえ、定着し、二百七十五日間、狭く暗く、音も光りも届かない締めつけられるような暗処のこもりに耐えて、時が至れば嬰児の形をとり、水にのって誕生する、ということであった。
 そうして裸形で生まれ、しかも休みなく鼓動をつづけるこの生命体に対して、この世で迎え取ったものたちが、まずしてやらなければならないことは、食べさせること、着せることであった。こうして育くまれ、成育して成人するが、成人したその時はまた親と同じように働き、親と同様に子供を残して、いつかは死んでゆく。
 この世にやって来たものはその来た元の所に必ず帰る。来た所に去ってゆく。それが人間というものであり、この世の習いなのだ。彼らによってとらえられた人間像はこのように単純明快なものであったと思う。
 (『日本古代呪術―陰陽五行と日本原始信仰』P15-P16 吉野裕子 講談社学術文庫 2016年)
 ※この単行本は、1974年5月刊。



 また、本書の末尾には『日本古代呪術―陰陽五行と日本原始信仰』要旨として、以下のように述べています。


 一 私見日本原始信仰
 天象における太陽の運行、地象における植物の枯死再生、人象における人間の生死、等から類推して古代日本人は神の去来もまたそれらになぞらえて考えたと推測される。
 太陽は東から出て西に入る。そうして「太陽の洞窟」をくぐって翌日は再び東から上る。
 植物は秋、結実して枯死するが、その実は冬、穴倉に収蔵され、春、土中に播種(はしゅ)されれば再び発芽する。新生の前には暗黒、狭窄(きょうさく)の穴とか土中のこもりがある。
 人間も東方の種を象徴する男と、西の人間界、畑を象徴する女との交合により、暗黒、凶作の胎(はら)の中に定着した萌芽は、その穴の中に未生(みしょう)の時を過さねばならない。
 太陽にも植物にも人間にも、新生という現象の直前にあるものは、穴であり、この中にある期間、こもることなしに新生は不可能なのである。
 太陽の洞窟からの類推によって、古代日本人は、神にとっても、人にとっても、常世(とこよ)という他界からこの世へ、この世から常世への輪廻(りんね)に欠かせないものは狭く暗い穴と考えた。この穴にこもっては出、出てはこもる、その循環・輪廻が神の去来の本質であり、祭りの原理であろう。輪廻及びその輪廻の中枢にある穴、それが日本原始信仰の中核と私は考える。
 (『同上』P291-P292)



 最初に引用した文章は、『吉野裕子全集 第1巻』(人文書院 2007.1.25)の「祭りの原理」(1972年刊)の第十章「古代日本人における世界像と現世生活像」では以下のようになっています。刊行年からすると、こちらの方が古い文章です。


 1 古代日本人の特質

 古代日本人の特質は何か、と問われれば、私は「連想豊富の擬(もど)き好き」とこたえたい。彼らは抽象的な思惟を苦手とし、ものごとを考えるとき、それを日常身の廻りにいつもみることの出来る現象、事物にあてはめて考えることが好きな人々であった。彼らにとってもっとも身近なものは、彼ら自身、つまり人間そのものであり、人間以外では太陽、及び地上の動植物であった。そこでこの天象・地象・人象の類推から物事を考えていったのである。したがってその信仰も、その信仰から生み出された神話も、祭りも、大洋の運行と人の生死、植物の実りと枯死などからの連想類推にはじまり、その「擬き・なぞらえ」に終っていると私は思う。

 「彼らは抽象的な思惟を苦手とし」という部分が最初の引用文にはありません。これは日本人はものごとを抽象的に考えることが不得意ということで、抽象的な思考は中国やヨーロッパから輸入して活用してきたということを意味しています。著者の『日本古代呪術―陰陽五行と日本原始信仰』という本の題名も、古代日本のものの見方(呪術)は、古くから日本に形作られてきた「日本原始信仰」と古代中国から借りてきた「陰陽五行」が接合されてできているということを示しています。付け加えれば、この日本人は「抽象的な思惟を苦手」ということは、日本を中国や西欧などと比較した上で出て来る言葉だから、この時の著者は外からの眼差しで、わかりやすく言えば反省的な眼差しで日本や日本人を見ていることになります。

 最後に、引用文にわたしの註を付けておきます。

1.最初の引用文中の「生命は母の胎内に芽ばえ、定着し、二百七十五日間、狭く暗く、音も光りも届かない締めつけられるような暗処のこもりに耐えて」ということは、母胎の外から胎児の生活の有り様を窮屈なものとして想像したものでありますが、実際のところはそうだろうかと疑問に思いました。つまり、わたしたちと同じように自由さもあれば窮屈さもあるような生活ではないかと思われます。現在では、母胎の中の胎児の様子を超音波診断装置などで見ることができるようになりました。それで、胎児の生活の様子も次第に分かってくるものと思います。

2.最初の引用文中に、「しかし人間が生まれてくるまでのおおよそのこと・・・は少なくとも判っていた。」とありますが、日本の古代辺りではそのことは言えるかもしれません。しかし、それ以前は、海辺などで霊魂が女性に入り込んで妊娠するというような説話や神話の記述があります。すなわち、後世から見るとまだよくわかっていなかったということになります。説話や神話は、当時の考え方を反映していますから、それらを検討する中から人々の考え方の大まかな変化の足跡をつかめるでしょう。


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