子どもでもわかる世界論 Q&A Q28
Q28 生涯現役の人はどんな生活をしているのでしょうか。
A28
のんびり暮らしていても、生きていること自体が「生涯現役」と見ていいとわたしは思いますが、何かに専門的に打ち込んでいるという普通の意味で考えてみます。
若いあなたでも途中で亡くならなければ、誰でもいつかは老人になります。現在はおじいちゃんやおばあさんとは別居して生活している核家族も多いようですが、あなたがおじいちゃんやおばあちやんと同居した生活をしているなら、その生活の様子もいくらかはわかるかもしれません。あなたと同世代でも老人世代でも、人それぞれ違った生活の様子があるでしょうが、人は世代によってある程度の共通性はあるように思われます。子どもであれば、学校の時間や勉強内容やクラブ活動などに大きく左右されている生活でしょう。子育て世代の若い夫婦の世代であれば、日々の生活は仕事と子育てで慌ただしく、幼稚園などの送り迎えなど子どもの世話が大きいでしょう。
ところで、老人の福祉増進とその社会参加を促進することを目的として1963年に制定されたという「老人福祉法」は、65歳以上を「老人」としているそうです。それによればわたしも「老人」に入りますが、あんまりそんな意識がありません。現在では、「老人」の定義自体があいまいになっているような気がします。昔なら、仕事を引退した60歳位を「老人」と見なし始めていたような気がしますが、寿命も延びてきた現在では、退職しても仕事をする、あるいはせざるを得ない「老人」も多く、あるいは、趣味やボランティアに力を入れている人もいるでしょう。こういう人も普通の意味での「生涯現役」に入ると思います。体がいうことを聞かなくなったとか、病気になって寝たきりになると、普通の意味の「生涯現役」からはずれることになるのでしょう。
65歳以上を「老人」と見なせば、ろうじんは昔より多様な生活のあり方を取るようになりましたが、その老人の生活の共通性として想像できることは、仕事を引退している人であれば特に、その生活を流れる時間はゆったりしたものであろうということです。仕事に就いている人なら、ゆったり流れる生活時間とは十分に言えないでしょう。だから、老人の生活としてひとくくりにすることはできません。
ここで、前回も取り上げましたが、「老人」となった白川静さんの場合をその本から紹介して、学者としての生涯現役の姿を見てみます。
白川でございます。今日は天気予報では天気のほどもどうかと案じておりましたが、しばらく持ちこたえてくれまして、幸いに非常にたくさんの方にお越しいただきまして、たいへんうれしく存じております。
文字講話を始めてからちょうど六年半になります。私が八十八歳のときに、二十回五箇年の文字講話の構想を研究所でお話ししましたときに、皆さんから大丈夫かということでございましたけれども、幸いに二十回を無事に終えました。なお余力がありそうだというので、会員の方から動議を出されまして、もう一年継続せよということでございまして、私もちょっと年をとっておりましたから、神様にご相談をして、もう一年ということでお許しを得まして、今日がその最後でございます。
この「続文字講話」一年四回のテーマとしまして、私は「甲骨文と金文」という主題を出しました。「甲骨文について」では、殷王朝のことをお話したい。「金文について」では、西周三百年の歴史をお話したいという予定をいたしました。第一回は「甲骨文について」、殷王朝、神聖王朝としての殷王朝のお話をいたしました。それからあと二回「金文について」、西周期に入りまして、草創期における初期の金文、中期の礼楽制度の備わった時代の金文。そして今日は後期の西周の社会が、大土地所有的にも非常に発展をし、非常な盛運を示すとともに、内部矛盾が増大してついに滅びるという、その最後の段階についてお話するつもりでいたのです。しかし本日は、随分たくさんの新たにおいでになりました方もございますので、この「続文字講話」前三回分の概括をお話しながら、本日の主題に入るというふうにいたしたいと思います。
「甲骨文について」と題しましては、だいたい殷王朝のお話をしたのですが、古代王朝の条件として、まず天地創造以来の神話をもつこと、その神話の展開のなかに、自らの王統譜を位置づけること、これが二つの大きな条件です。これは古代の神聖王朝の要件であるといってよろしい。したがって、夏(か)の王朝はその神話体系を伝えておりませんし、周の王朝は単なる先祖の説話しか残っておりません。神話としての天地創造の時代から王朝の成立にいたる、そういう壮大な世界を神話化したものはもっていません。それをもっているのは殷王朝だけです。そしてアジアにおいては、おそらくそれに匹敵するほどの規模の神話と王統譜をもつものは、わが国だけです。つまりわが国の神話、古代王朝というものは、神聖王朝としての殷の国家とたいへんよく似ているのです。いろいろの点において共通するところが多い。ただ非常に違うところは、文字をもつか、もたないかということです。文字をもつということは、これは実は容易ならんことであって、世界の各地で文字がそんなにたくさん、いっぺんに出てくるものではありません。・・・中略・・・
中国では甲骨文字というものがある。日本には文字はなかった。文字があるということと、ないこということの間には、非常に大きな落差がある。それは歴史的に確実に記録にとどめるというだけでなくて、文字が本来は神と交通する手段であったということから、そういう神聖王朝の内部構造が全然かわってくるわけです。絶対に神聖な、神権的な国家であるという自覚が、そういうことを通じて生まれてくる。わが国においては、だいたい殷王朝と同じような成立をもつにかかわらず、いわゆる王統譜というものがそれほど神聖化されていないのです。これは[古事記]をご覧になるとよくわかります。
(『文字講話 甲骨文・金文篇』P144-P146 平凡社ライブラリー 2018年)
※第四話「金文について Ⅲ」 2005年7月10日 文字文化研究所主催
白川静さんは、1910年4月9日生まれで2006年10月30日に、つまりこの最後の講話の翌年に96歳で亡くなられています。本人が亡くなられた後からのわたしたちが白川静さんに向ける視線では、亡くなる近くまで学問研究を続けられていたことになります。白川静さんの日常の生活についてはわかりませんが、年に4回程度の「文字講話」を続けられていて、その準備も考えると、白川静さんは生涯現役で学者として生きた人のように見えます。「もう一年継続せよということでございまして、私もちょっと年をとっておりましたから、神様にご相談をして、もう一年ということでお許しを得まして、今日がその最後でございます。」というあいさつの言葉には、自分の寿命もそう長くはないかもしれないという意識が表れています。とは言っても、どんなに歳取っていてもいつ死んじゃうかということは誰にもわかりません。
わたしには、白川静さんの業績の良し悪しを十分に評価することはできないのですが、そのあくことなき漢字の具体的な研究の積み重ねから中国の王朝の構造や特色、文字の持つ意味などを考察し続けてこられたように感じられます。さらに、ずいぶん時間の開きのある殷の国家とわが国の古代国家(大和朝廷)とが、文字を持つか持たないかの違いがありつつも、「古代的な神聖国家として壮大な神話体系をもち、王統譜をその継続の上におくという点において、基本的に同じ」という共通性があったと述べています。また、文字(漢字)は、「本来は神と交通する手段であった」という文字の興味深い起源についても語られています。(このことは、Q26で引用したの『呪の思想―神と人との間』(2002年9月)でも語られています。)
この白川静さんの生涯現役の姿は、Q25で触れた次のような吉本さんの次のような言葉に共鳴するものがあります。
で、ぼくは五十いくつだから、もう幾年生きるのかわかりませんけれど、しかしやっぱり死ぬまではやるでしょう。じぶんの考えを理解してくれる人が一人だっていなくても、やっぱりそうせざるをえないでしょう。人間とはそういう存在ですよ。ある意味じゃひじょうに悲しい存在であるし、逆説的な存在であるし、人間のなしうることといったら、無駄だと思ったら全部無駄なんだよ、でもそうせざるをえないからそうするんだよ、それが人間の存在なんだよ、というのはぼくなんかのいつでもある考え方ですね。
人は、どう生きようと自由だと思います。年老いても、何か気分いいことを探し求めたり、時折は心の深みでこの世界で生きる意味を感じ取るようにして日々を生きていくのではないでしょうか。先に述べたように、わたしはこの世界に生きて在ること自体が、「生涯現役」だと言いたいような気がします。そうでないと、障害を持って寝たきりのような生活をしている人をそれは包み込むことができないような気がします。
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