以前、「参考資料―吉本さんの『ほんとうの考え・うその考え』のこと」(「消費を控える活動の記録・その後 2 (2015.6~10)」)の「わたしの註」の末尾で、吉本さんの「対称」という言葉の癖のようなものについて触れたことがある。そんなに重要な問題とは思わなかったけれど、ずいぶん長く気になっていたことである。
最近になって、「短歌味体Ⅳ―吉本さんのおくりもの」を書き進めている関係で、遠い昔に買って若い頃読んだ『吉本隆明全著作集 2 初期詩篇Ⅰ』(勁草書房 昭和46年)を何十年ぶりかで開いて見ていたら、巻末の「解題」(川上春雄)にそのことがちゃんと書き留めてあった。後振り返れば吉本さんの著作の数は膨大で、雑誌に載ったり、本として出版されるものを次第に追っかけて読むようになっていった。傍線が引いてあるから、遠い昔一度は読んだはずのその「解題」のことはわたしの記憶のどこにもなかった。
用字仮名づかいについては、この解題でふれておかねばならないことは、著者の用語、仮名づかい、あるいは修辞の上で甚だ特色に富むことである。ついては、この企画の第一回配本がこの第二巻『初期詩篇Ⅰ』となる関係から、第一巻の刊行を待たずに、ここに一括して用字用語の大概を記しておく。
且てたれもがそうとはおもはなかつた不思儀な対称が視られるでせう。
右の文でたとえば、著者の意識的な好みなり、無意識的な誤謬なり、その混在なりの一端がみられる。しかも、そう(「そう」に傍線)はあるときはさう(「さう」に傍線)となり、対称は、ひとつの文章のなかにおいてさえ、対象、対照を併用していることもあるから一貫した用法ではない。これを校正係から[嘗て]あるいは[かつて]と訂し、[不思議][対象]と訂することの申出があれば、著者はただちにこれを諾するであろうということは、このようなことに固執しない人柄からみて、およそ明らかである。文学的な記録を意識的に行為するようになった米沢在住時代以降、昭和四十三年(一九六八)の現在にいたるまで、依然として、
(且て)(たれ)もが(そう)とは(おもは)なかつた(不思儀)な(対称)が(視)られるで(せう)。(引用者註.カッコの部分は、傍線あり。)
というような筆記法によっている。もちろん手紙の文面でもおなじである。
しかしながら、かつて「不思儀」を「不思議」と書きかえしなかった編集者校正者は存在しないのであったが、この著作集全般の校訂に際しては、あえて原型をのこして、著者の作風、感性を保存しようとつとめた。慣例、適切、常識、精確というような点では、あるいは一般的用字法に折合わなくても、著者独特の語法に拠って、原作にたちかえることを旨とした。
(『吉本隆明全著作集 2 初期詩篇Ⅰ』「解題」P410-P413)
そういうことだったのか、と少しすっきりした気分になった。しかし、まだ不明のこともある。そのひとつに電車の中の席取り競争について触れた文章がある。その一度読んだ文章を何度か全著作集で捜したけど、見つからなかった。家族の行楽帰りだったか、もし家族の者がひどくくたびれ果てていたら、自分は席取り競争に加わるかもしれないけど、原則的には席取り競争には加わらないという、生活世界での吉本さんの倫理を語った文章だという記憶がある。
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