とある楽器の師匠と呼ばれる方に
『演奏者の気持ちを、お客さんは見透かしているよ。』
と言うお話を伺いました。(いつも書いている『師匠』ではありません)
曰く、演奏者がどう見て欲しい・どう感じて欲しいという『いやらしい欲求』がお客さんには解っているということです。
(決して『伝えたいことが伝わっている』と言う都合のいい意味ではありません)
たとえば、がむしゃらに打ち続ける太鼓打ちの姿は、
目を離せない程の迫力を感じます。
息を呑むと云うか・・・そんな感じ。
ストイックに打ち続ける姿
汗だくなのに、眉ひとつ動かさない集中力
その裏側に血の滲む様な練習の影が見え隠れする。
そして下手をすれば・・・
『どうかそんな私を見て惜しみない拍手を~!』(w
と言うのが伝わってしまうと言うことだそうです。
多少の揶揄はありますが、それはそれで美しい姿でありますし、そういった姿や演奏が求められるシーンは(コンサートや競演などね)多くあります。
その師匠曰く、お客さんが『何を求めに』その場に演奏を聴きに来ているのかを考えなければいけないと仰います。
私も最近特にそう思うようになりました。
というのも、じっちゃんさんのブログでこんなネタを読んで深い納得をしてしまったからでもあります。
http://fine.ap.teacup.com/kutsuwamushi/196.html ←参照
・・・で、またお得意の自問自答です(w
今、目の前で聴いてくれているお客さんは・・・
(1)太鼓を聴くために(見るために)わざわざ『ここ』に来ている
(2)通りかかったらたまたま
(3)案内があって時間もあったので
(4)ただなんとなく
(5)以下略
てな風に考えると・・・そのお客さんは
(1)楽しみたい
(2)悲しい気分に浸りたい
(3)怒りたい
(4)感心したい
(5)以下略
これのどれなのかを考えて演奏する必要性があるということですね?某師匠!
演奏中にも忘れないようにします。『感謝の心』を!
『演奏者の気持ちを、お客さんは見透かしているよ。』
と言うお話を伺いました。(いつも書いている『師匠』ではありません)
曰く、演奏者がどう見て欲しい・どう感じて欲しいという『いやらしい欲求』がお客さんには解っているということです。
(決して『伝えたいことが伝わっている』と言う都合のいい意味ではありません)
たとえば、がむしゃらに打ち続ける太鼓打ちの姿は、
目を離せない程の迫力を感じます。
息を呑むと云うか・・・そんな感じ。
ストイックに打ち続ける姿
汗だくなのに、眉ひとつ動かさない集中力
その裏側に血の滲む様な練習の影が見え隠れする。
そして下手をすれば・・・
『どうかそんな私を見て惜しみない拍手を~!』(w
と言うのが伝わってしまうと言うことだそうです。
多少の揶揄はありますが、それはそれで美しい姿でありますし、そういった姿や演奏が求められるシーンは(コンサートや競演などね)多くあります。
その師匠曰く、お客さんが『何を求めに』その場に演奏を聴きに来ているのかを考えなければいけないと仰います。
私も最近特にそう思うようになりました。
というのも、じっちゃんさんのブログでこんなネタを読んで深い納得をしてしまったからでもあります。
http://fine.ap.teacup.com/kutsuwamushi/196.html ←参照
・・・で、またお得意の自問自答です(w
今、目の前で聴いてくれているお客さんは・・・
(1)太鼓を聴くために(見るために)わざわざ『ここ』に来ている
(2)通りかかったらたまたま
(3)案内があって時間もあったので
(4)ただなんとなく
(5)以下略
てな風に考えると・・・そのお客さんは
(1)楽しみたい
(2)悲しい気分に浸りたい
(3)怒りたい
(4)感心したい
(5)以下略
これのどれなのかを考えて演奏する必要性があるということですね?某師匠!
演奏中にも忘れないようにします。『感謝の心』を!
お師匠様のお話にピッタリなのがこちらにも
http://fine.ap.teacup.com/kutsuwamushi/img/1127109233.jpg
http://fine.ap.teacup.com/kutsuwamushi/img/1127427242.jpg
私は太鼓打ちというのは総じてナルシストの傾向が強いと思います。
「そうでない」と仰る方も当然いますが、全国通して上手いとされてる所作・型は既にナルシスチックですよ(^ね^)。
私達はナルシストの真似事があたかも“和太鼓”であると思い込んでいるんだと思います。
これは太鼓だけをやっている(またはジャンル問わず習うだけの)人にはわからない、又は考えないんです。
太鼓を打ち終えた後、決めポーズをそのままキープするのはなぜなんでしょうね。私はあれが無性に恥ずかしくてならないんです。
太鼓は他ジャンルに比べて素人の参入しやすい表現です、それだけに勘違いしやすい。年数も経たない、主義主張のない素人が大舞台で叩けるのもそれらの型に個性が埋没できるおかげです。
しかしそれだけ“型”が完成の域にある事も間違いないでしょう。
そしてまた型に対して何にも考えてないからこそ“イヤラシイ欲求”が浮き彫りになってしまうんでしょう(^ね^)
我々太鼓打ちはとりあえず舞台が用意されています。
しかし他ジャンルでは自分達の表現を人様に見て頂く場所を作るのにも相当な労力が必要です。
ましてやお金が頂けるなんてまずないですよ(・!・)、むしろ赤字で自らの表現を発信しています、カクゴが既に違うんです。
とまぁ、以上を踏まえて私個人は人前で太鼓を叩く意義を現在感じていませ(^ん^)、「交流の太鼓」コレに尽きます!
それでも舞台に立つ事はやはりあるので私なりに何を考えて太鼓を叩くかを参考までに…
「躍らせてやる~!!!!」
「躍らせてみせる~!!!」に変更!
ところであきさんは天文少年だったとか。
変な質問いいですか(・?・)
天王星、海王星まではボイジャーによって鮮明な写真が撮られていますが、冥王星にはそんな写真は存在するんですか(・?・)
最近、CGでやけにハッキリした模様が再現されているので気になります(^る^)
毎月『月間天文』と『天文ガイド』を買って写真を眺めておりましたよ。
スキというわけでとりたて詳しいわけではありませんが・・・
神話と星座の話が好きなんです(ある漫画の影響なんですが)
冥王星はハッブル望遠鏡からの写真が出回っているようですね。蒼くてきれいな画像です。
恐らく想像の賜物ではないでしょうか。
かれこれその分野から離れているので自身はありません(ドきっぱり)
。
http://www.forest.impress.co.jp/article/2006/11/27/mitaka.html
火星の物ですが、こんなことが個人PCでも出来る様になったんですね。
NASAもフリーソフトで地球版をリリースしておりますが・・・重い!
>太鼓を打ち終えた後、決めポーズをそのままキープするのはなぜなんでしょうね。私はあれが無性に恥ずかしくてならないんです。
武道でいうところの『残心』とは・・・チト違うような・・・
太鼓の皮が震えている間は演奏中!・・・そんな残響の永いような大きい太鼓を使っているところならいざ知らず
やはり
『おわりましたよ~ ハイ拍手ぅ!』かな?