一日一トライ~”その記憶の記録”

陶芸を主に、自分の趣味や興味関心事、日々のNewsや出来事などを記憶のあるうちに記録しています。

1⃣-30.セルビア「ベオグラード編」(5/5)~カレメグダン公園へ その2. 6/17~20 ◉

2024-04-20 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 カレメグダン公園には、軍事博物館があり、公園の一角には高射砲や戦車などが野外に展示してあります。 


軍事博物館





















セルビア正教大聖堂

  

 


 



 










軍事博物館は、展示されているものの予測がつくこともありパスしました。野外の展示物を写真に撮ってきましたが、今までの戦車のイメージが大分違います。映画の世界では通常大きい戦車が登場しますが、展示されている戦車は随分小さいナと。ただ展示しているだけですから、いつ頃、使ったものかもよくわかりません。まあ、確かに市街戦などの場合は、狭い道路にも入ることができるものが必要だし、小回りできるものの方が効果的のこともあるはず、と自分なりに納得しました。それにしても、誰もが争いごとのない世界になってほしいと願っていますが、人間の歴史にとっては不滅の課題だし、またどこかで繰り返されることでしょう。今の今も、残念ながらどこかで尊い命が失われ、物が破壊されている現実があります。

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1⃣-29.セルビア「ベオグラード編」(4/5)~カレメグダン公園へ その1 6/17~20

2024-04-19 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ホテルからアチコチ見ながら20分ぐらいの所に、「カレメグダン公園」があります。この公園は、サヴァ川とドナウ川の合流する丘の上にあります。紀元前4世紀にはすでに要塞が造られていたといわれますが、現在残るのはほとんど18世紀以降に造られたもののようです。


  


 学生公園 


トロリーバスの発着所


 ここからカレメグダン公園です。

 








卓球台やテニスコート、バスケットゴールも野外にあります。



 




 時計台とスタンボル門






 勝者の記念碑




今は「カレメグダン公園」となったこの地は、歴史的に要塞になってきました。ドナウ川の権益を守るに的確な場所であるし、河岸段丘のこの地は周りを見渡すことができ、攻めるにも守るにも最適な場所となったことでしょう。幾たびか戦場になったこの地に立ち、いつまでも「公園」のままであってほしいと願いつつ。

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1⃣-28.セルビア「ベオグラード編」(3/5)~市内散策 6/17~20

2024-04-18 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

  6/18、夕方ホテルから聖マルコ教会、国会議事堂を通り、共和国の広場まで歩きました。ベオグラードのこの通りは人通りも多くなく、落ち着いた町並みでした。日没も近いので、途中で食事をして暗くなる前に帰ることにしました。


聖マルコ教会

 

 


 聖マルコ教会の境内にある教会です。


 国会議事堂

 

 


 






 ちょっと斬新なデザイン。


 郵便局

 
左;ポスト、中央;郵便局前の様子。ご主人さまの帰りを待つ愛犬。

 

 
郵便局の窓にあった表から見たステンドグラス。 


 

 


 ニコラ・パシッチ広場の噴水。


 共和国広場のミハイロ公の像。
この広場には国立劇場、国立博物館が面しています。






 下の写真はショーウインドーの写真です。


セルビアは、まだコソヴォの問題も解決していないし、南部ではアルバニア系住民によるテロの恐れもあるとの情報を聞くとまだ戦闘状態にあるようです。そのため、軍事関連施設をVTRや写真に撮ることは絶対にしないこと。また、施設はもちろんのこと、関係者にカメラを向けることも厳しく罰せられるという。こんな情報を知りつつ、ベオグラード市内を歩いてみましたが、全く緊迫した雰囲気もないし、マチ行く人たちの表情も穏やかで、マチ並みも清潔感あり、ゆっくり時間が流れているといった感じです。しかし、これらは、一旅行者がうわべだけ見ての感想に過ぎないことかも知れません。

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1⃣-27.セルビア「ベオグラード編」(2/5)~空爆跡地へ 6/17~20

2024-04-17 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 国会議事堂から南西へと延びるこの通りは、公官庁が多くあります。そのためか、1999年に起きたNATOによる空爆の際は、この通り沿いにある建物が標的になり破壊されという。いくつかの建物は、いまだに破壊されたままになっているといった状況です。

 




クネズ・ミロシュ通りから見たところです。


別の通りから見ました

↓ 左側の建物                    右側の建物 ↓ 






左の建物(古い建物)と右(破壊された近代的な建物)は明暗を分けています。


この紛争に関するドラマ化したアメリカ映画を見たことがあります。どこを攻撃するかが決まれば、戦闘機からワンポイントで攻撃できるとのことです。この一帯の、ある一定の建造物に限定したのでしたら、政治的な何かを感じます。それにしても、破壊は一瞬で終わります。人間の歴史は、残念ながら同じことが繰り返されて来ました。そのための警鐘のために、取り壊さないでおくのでしょうか。それとも、予算がないのでしょうか?なお、市内を歩いても、建物が破壊された所は、この場所に限定されます。すでに建て替えたのか、直したのかはわかりませんがー。

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1⃣-26.セルビア「ベオグラード編」(1/5)~ベオグラード本駅周辺 6/17~20

2024-04-16 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ユーゴスラヴィアセルビアといえば、記憶に新しい人も多いと思います。どこの国にも、民族、宗教、領土拡張をはじめとする要因で、悲惨な過去と歴史があり、セルビアも近年まで課題をもち続けている国の一つです。
 バルカン半島の中心部に位置するセルビア共和国は、西を2つの山脈に囲まれた山がちな内陸国で二つの自治州からなっています。なお、セルビア南西に位置するコソヴォは、現在、日本を含め国連加盟91か国が独立国として承認していますが、セルビアは自国の一部として認定しており解決していません。ユーゴスラビア時代は、中心的な役割を果たしてきましたが、現在は6つの共和国がすべてが独立してしまいました。さまざまな文化の影響を受けながら、独自の文化を創り上げてきたセルビアは、この20C末の政治的混乱のため観光面は長い間停滞していたということです。



 6/17、ベオグラード駅から歩いて15分程のホテルに無事着きました。ホテルの前はトロリーバスが通るメインストリートです。夜が明ける5時半頃から、車の騒音がお構いなしにガンガン入ってきます。まあ、たっぷり寝たので体調よし!、今朝は私にとって大事なやるべきことがあります。


  
ホテルすぐ前の片側2車線の道路。トロリーバスも。


昇天教会の様子










ベオグラード本駅及びその周辺


ここで、日本で購入したチケットをもとに指定席券を購入しました。




 駅は小じんまりしています。右はチケット販売カウンター。




1番ホームから6/20 06:45発のブダペスト行きに乗ります。




駅には、カフェテリアやレストランがあります。




駅のレストランで、ベオグラードへの安着祝い。


 駅の近くのドナウ川に合流するサヴィ川の「サヴァ橋」まできました。

  
 やや中央の教会は「セルビア正教大聖堂」です。 

 


とにかく、6月というのに真夏の日差しです。温度計は25℃下らず、日中は30℃↑。こんなに暑くても地元の人は暑い!とは言いません(言っても聞き取れないだけー)。また、ほとんど帽子を被ったり、日傘をする習慣はないようです。私も「郷に入りては 郷に従え」ーで、帽子を被らないようにしてもみましたが、この頃は外出の折はホテルから被って出かけるようにしています。 

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1⃣‐25.イタリア「ミラノ編」(3/3)~ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア 6/17

2024-04-15 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアは、ミラノドゥオーモ広場の北に位置し、ミラノスカラ広場へ通じているアーケードの名称です。ここに来ることも今回の目的のひとつでした。2つのアーケード(八角形の建物に2つのアーケードが交差する)に覆われ、イタリア国王初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられました。最初に1861年にデザインされ、1865年から1877年の間に建設されました。通りはガラスのアーチと鉄製の屋根に覆われており、中央の部分はガラス製のドームで覆われています。このミラノのガッレリアはそれまであったものよりも大きく釣り合いが取れており、近代的なショッピングモールの発展において重要な一歩を担っていたという。 

 
 この凱旋門の奥と連動して折、アーケードが少し見えます。



 





 













 



   









  


 


 最初の落成から130年以上を経た現在、4階建てのアーケードには上品な各種店舗、高級ファッションブランド店の他、レストラン、カフェ、バーが入居しています。高くて買えないので、写真で撮ってお土産にすることにしました。なお、東京ディズニーランドのワールドバザールはこのガッレリアをモデルに作られているとのことです。 

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1⃣‐24. イタリア「ミラノ編」(2/3)~ミラノ大聖堂 6/17

2024-04-14 07:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 街の中心にあるこのドゥオモは、ミラノの歴史が凝縮されたゴシック様式の建築物です。誰もが最初目にした印象は、スケールの大きさと繊細な造り、色合いのよさを感じます。









バスの車窓から撮ったミラノ市内の様子です。





この大きな建物がミラノ中央駅です。
この右側にバス停とタクシースタンドがあります。


 尖塔が135本。一番高いところにある金色のマリア像「マドンニーナ」まで108.5m。1386年にミラノを統治していたジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの命により建設が開始され、500年後の1887年にようやく完成したという。バルセロナの「サクラダファミリア」のようです。なんともスケールの大きな教会です。
















 




中に入るには服装などのチェックがあります。







 

 



 

 





今回の旅行でドゥオモをはじめ、イタリアの一部を見ることができ大満足です。乗り継ぎ時間を活用しての観光!ということでもちょっとトクしたような感じです。このような方法は、ネットで調べてみるといろいろ選択できますが、時間的な制限があったり、航空運賃が高くなることもあります。

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1⃣‐23. イタリア「ミラノ編」(1/3)~ソフィア→ミラノ→ベオグラード移動日 6/17

2024-04-13 09:00:00 | 1⃣東欧・中欧一人旅編

 突然、「東欧・中欧一人旅」に、西欧のイタリア「ミラノ」編です。ソフィアから隣の国セビリア・ベオグラードの移動をどうするか考えました。直通列車(所要8h)、長距離バス(毎日2便、所要12h)などもあります。とにかく時間がかかり、Net情報によると、東欧はあまり評判はよくありません。結果的に航空機を使うことにし、ベオグラードまでの直行便がなく、ミラノ経由便に決定しました。参考;経由して16,130円也。

 起床5:00、ホテル発6:00、空港行きのバス停まで地下鉄で行くことにしました。バス停で、空港へのバスはこのバスに乗るのですか?」と、中年の男性に尋ねました。男性は「英語ができない」、とベンチのはずれに座っていた若い女性に声をかけてくれました。その女性は自分も空港のターミナル1まで行くので 「案内します!」という。ラッキーな話です。チケットは近くの売店で買うこと(1RON)も教えてくれました。琴欧州やブルガリアヨーグルトの話題は大変盛り上がりました。ソフィアは入国した時も、出国のときも奇跡に近いイイ体験ができました。このようにソフィアはとてもイイ印象いっぱいの国になりました。

 

 市内のバス停をでて空港着6:50、チェックイン7:00。チェックインの時間は出発時間2時間前!を基本として行動するようにしています。ソフィア空港を08:50に出発し、ミラノ着09:55(所要時間;2時間5分)。アリタリア航空を使うので、イタリアを中継とするのは納得です。このミラノ経由を選んだ理由は、家族でローマからベニスに移動するとき、ミラノで乗り換えベニス便に乗る前に時間があると思いミラノ市内まできました。そしかし、時間がなくドゥオーモ(ミラノ大聖堂)の外観しか見れないことがありました。そこで、乗り継ぎ待ち時間8h15mを逆手にとって有効活用しようと考えたのです。

 空港からミラノ市内への電車の時刻表をネットで調べ準備万端です。遅くなるのでベオグラードのホテルへはメール済みです。










地中海上空から写真が撮れるかとを期待し、「ウイ
ンドー・シート」を頼んでありましたがいつもの事です
なかなかイイ写真は撮れません。早朝便との配慮で
しょうか、サンドイッチのサービスがありました。 


ミラノ「マルペンサ国際空港」に着きました。

 マルペンサ国際空港で降りて、はじめは列車で市内へ行くつもりでした。10:26,11:03、11:26発、そして帰りは15:00か遅くとも15:30に乗ること、と。ところが空港の一角で、市内行きのバス券を売っている係の人がいるので声をかけました。


バスのキップを買って往復することにしました。

 バス停はミラノ中央駅に隣接する広場でした。時差1時間はトクした感じです。ドゥオーモまで歩いて行ける範囲かと思い、あるイタリア人に聞いてみました。地下鉄で4つ目で、2kmはある。路面電車や地下鉄の交通機関を使う方がイイと。ある年配のイタリア人にも聞いてみました。答えは同じです。その折、日本人かい?と。「♪君が代は・・・苔のむすまで」と早口で、スラスラ日本の国家を唱える人がいました。スゴイ!いつもこの手で日本人とみたら驚かしているのカモ。暑い日なのでタクシーで移動することにしました。その運転手とも、イタリア語、スペイン語、英語を交えて話し合い、いやコミニュケーションしました。そうこうするうちに、遂に、白亜の殿堂、「ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)」のまん前に立ちました。


ドゥオーモの正面の写真です。


ドゥオーモの様子は次回詳細に紹介します。

 暑い雲ひとつない天気なので、ムリしないようにと配慮はしてきましたが、昼食は、ドゥオーモが見えるレストランに入ることにしました。下は、ジェラード屋さんがメインで、階上がレストランです。階段口にいた店員さんに確認して上がったのですが、一向にオーダーを取りに気配なしです。客は私ひとりで誰も上がってきません。


やはりイタリアに来たら「ジェラード!」と、
ドゥオーモ大聖堂を背景に。 

 食事は少しでも早く空港へ戻り、手続きを済ませてから食べようと考え直しました。地下鉄の「ドゥオーモ駅(DUOMO)」からバス停のある駅まで4つ目の「中央駅」(SENTRALE FS)。地下鉄に入りました。とにかく確認、確認です。イタリア語は、スペイン語と共通点がありますので、イタリア語で返事が返って来てもスペイン語主体の変なイタリア語?で何とか会話を成立させることができます。




ミラノの地下鉄の様子。写真はドゥオーモ駅構内。


 中央駅からバスに乗り、ミラノ「マルペンサ国際空港」に戻ってきました。 


  第1ターミナルが見えて安心です。

 乗り継ぎ便は、ミラノ発18:10、ベオグラード到着は19:50(所要時間;1h40m)です。無事に着いてくれることを願いながらー。

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🅿-105.トルコ文様スペイン皿型大皿  5点

2024-04-12 09:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 石膏型で作ったスペイン皿型大皿に、トルコ文様を描きました。粘土は上白信楽粘土、焼成は酸化焼成(1250℃、19ℎ30’)です。

 
 ①トルコ文様スペイン皿型大皿  高3、径25 

 
 ②トルコ文様スペイン皿型大皿  高3、径25  

  
 ③トルコ文様スペイン皿型大皿  高3、径25  

 
 ④トルコ文様スペイン皿型大皿  高3、径25  

 ⑤トルコ文様スペイン皿型大皿  高3、径25 

下絵具の色の発色は、販売店や製造会社によって違いがあります。下絵具は、粉末の場合と粉末を練って液状にして販売している場合があります。粉末の場合は、接着をよくするために透明釉などを入れ調合し、番茶でよく練ります。液状にして容器に入っている場合は、水で薄めると即使えるメリットがあります。これは、簡便で下絵具のノリは安定していますが、発色の度合いは一長一短です。数社の下絵具を使っていますが、テストを繰り返しながら色探し!をしています。

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🅿-104.下絵付トルコ文様楕円皿 8点

2024-04-11 09:00:00 | 🅿My陶芸作品/手法

 自作のだ円形の石膏型で型起こしした皿に、トルコ風のデザインを描いてみました。粘土は白信楽粘土、タタラ厚5mm。焼成は、電気窯による酸化焼成(1250℃、19ℎ30’)です。


 ①下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8 


 ②下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ③下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ④下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ⑤下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ⑥下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ⑦下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8


 ⑧下絵付トルコ文様だ円皿  高2.6、21×14.8

トルコ文様の色彩は大変華やかですが、下絵具ではなかなか出せません。赤と緑の場合、発色に難があります。濃く塗るとメクレたり、ハガレたりします。赤系の色としては、本窯赤(梶田KK)、本窯赤(岸川KK)、レッド(浅井KK)、深紅(岸川KK)、紅赤(陶画社KK)、朱赤(新柳KK)、オレンジ(浅井KK)、新オレンジ(岸川KK)を使っています。今回使用した赤の絵具は「朱赤」です。粉末は、3号釉を調合していますが。

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