土器片も沢山もらいました。だんだん整理して現在は顕著な文様の2種
類になりました。開拓に携わった当時のほとんどの農家の人たちにとっ
ては、遺跡は価値のないことで、開墾作業を進めていったことでしょう。
もしかしたら、現地では完全形も出土したのかも知れませんが、もらっ
たものは破片状態のものばかりで復元することができないほどでした。
土器片など
①縄文式土器or続縄文式土器の感じです。厚0.66cm。
②擦文文化か。同じ場所に出るとは…?。厚0.68cm。右端;厚0.86cm。
❸これは、軟質の砂岩を縦に2つに割り、両側に細工をしてある様子
から漁に使う網の重りに使ったものかなーと想像しましたが。
新しいものかも。大きさ;厚1.90cm、4.70×10.37/99.3g。
これらの遺跡はどの時代のものか? 消去法としては、
鉄器を使っていたアイヌ文化以前のもの、土器を使っていたのです
から旧石器文化時代以降と考えられます。非常に漠然としています。
後は、今まで発掘された時代が特定された遺跡と対比し、その特徴
から推測することになりましょう。そういう意味で、これらの遺跡は、
出土した場所、地層、周囲の環境などが不明であるので、その考古学な
価値は半減します。さらには、住居跡とか貝塚、墓などによりその当時
の人たちの生活の様子がより分析されていくのですがー。