虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

日本の古代史と神々

2007-11-14 07:25:09 | 宗教
皆さん、お久しぶりです。

今年もあっという間に11月の中旬になってしまいましたね。

1ヶ月くらい前に、新しい発見がありました。大したことではないのですが、我が家の木がナナカマドであることが分かったのです。赤い実がなってました。9年目にして初めてなった実ですw 鳥たちのエサになるのかな?

それはさておき、10月の始めころだったと思いますが、区の図書館から古代史関係の本を借りてきました。本の名前はもう忘れましたが、「なるほど」と思う部分と「そうなのかなぁ~」と思う部分があり、少し日本の神々について考えてみようかという気になりました。

タイトルは仰々しいですが、歴史の研究家でもありませんので、思いつくままに少々書いてみようかな、という感じです。

日本の古代史関係では、古事記と日本書紀(日本紀が正しいらしいです)という有名な歴史書があります。

ニ書ともに、神々の生まれから古代の天皇に到る系譜と様々な伝承からなっています。
私もこのニ書を中心に、色々と考えてみたいと思います。

尚、古事記(”ふることふみ”と読むらしいですw)には偽書説があるようですが、偽書ではないと思います。
また、古事記は文学的と言われていますが、太安万侶(おほのやすまろ)がその序文で書いていることを考慮すると、必然的に一貫した流れが必要だということになるのですから、日本書紀のように他の書ではこう言ってるなどという余計な挿入はいらないのです。
これらのことは、少しずつ解説したいと思います。

さて、まず、このニ書に先立ち前提を整理したいと思います。

皆さんもよくご存知の通り、日本の歴史には縄文時代と弥生時代という区分がありますよね。
これは出土した土器の分類から名づけられた名称であり、縄文時代=縄文人、弥生時代=弥生人という区分になりますが、縄文時代から弥生時代へと歴史が進んでも
弥生時代に縄文人はいたわけですね。

日本に古くからいたのが縄文人、そのあと何処か(朝鮮半島らしい)から移住してきたのが弥生人と言われています。

DNA、血液、骨格、体格など様々な検討がなされているようですが、縄文人はどちらかと言えば南方系、弥生人は北方系らしいです。

縄文時代というのは非常に長い年月ですから、最初から縄文人といわれる人々がいたのではなく、断続的に南方の島伝いや大陸から直接渡ってきた人々が交じり合いながら縄文文化を形成し、縄文人と名づけられた人々になったと考えるのが妥当だと思います。

弥生人といわれる人々もそうした流れの一環で、少々異なる文化を携えてこの日本にやってきたのだろうと思います。

私が思うに、どうも日本の歴史を語る人々は二元対立的に物事を語る人が多いように感じます。多分、もっと流動的だったのではないでしょうか?縄張りくらいはあったかも知れませんが、国境なんてない時代ですからねw

何故、このようなことを確認したかといいますと、古事記や日本書紀のベースになった人々を念頭に置かなければならないからです。

古事記や日本書紀は、水稲と青銅器を持ち込んだ人々の伝承に、それ以前に住んでいた人々(主に縄文人と言われる人々?)の伝承をミックスしたものだと考えられるのです。

次回からその辺のことを、少しずつ書いていきたいと思います。

では、次回、またお会いしましょう。







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