昨日は後でした。
最近、我が家の縞ちゃんが顔を見せません。心配です。
縞ちゃん(メス)とその息子のプリンは現在、別行動をとっているようで、今年生まれた生き残りのメス(まだ、名前はない・・・募集します!)が一緒に行動しています。
昨日、プリンがやってきて(毎日きますが)、奇妙に悲しい声で鳴き、食事もほどほど。
言っていることを聞くと、いないよぅ~ と言ってます。
また、出かけて、漸く今年の縞の子供と会ったようです。連れてきました。
子猫が食事をしてるあいだ、外を見張るなど、なかなか愛情豊かです。
さてはて、今回はローム太霊の最終回ということで、まとめてみたいと思います。
まだ、全部読んでいないのですが、ほぼ、わかりましたので。
ローム太霊は、竹内満朋氏(故人)が主催していた紫光会という団体で、竹内氏が語った講話を寺見文夫氏(会員)がまとめたものです。
ですから、かなり実利的な話も多々でてきます。
会員の生活を豊かなもの(経済的・心理的に)とすることにより、人々が神界へ達するように指導しやすくすることがその根底にあるようです。
ローム太霊の考えでは、この世に生まれた以上、何らかの使命が神から与えられているとしているので、その使命をまっとうするためにも、様々な実利的な方法が披露されています。
無論、その実利的方法を利用して生活が豊かになったからといって、放漫な生活や態度をとるようになることは厳しく戒められていることは言うまでもありません。
また、人生における苦難は試練と受け止め、苦難を修行としてとらえる点でも特色があるかも知れません。
<苦難→修行である→乗り越え>という構図が浮かび上がります。
人生には苦難が多いほうが良いという点でも、単に実利的な方法により会員を集めようとしている訳ではないことがわかります。
むしろ、苦難が多くて投げやりになるのを避ける方法の一つとして、実利的方法を教えているとも考えられます。
さて、ローム太霊の講話は、実利的な面を含みながら、死の直前とその後すぐの幽体の状況が詳しく書かれている点に、もう一つの特徴があります
自殺したらどうなるか、心中の場合はどうか、事故死の場合はどうか、戦争で死んだ場合はどうかなど、極めて具体的です。
もう一つは背後霊と協調・提携しながら人生を生きることを勧めています。
背後霊には、自身の先祖の霊=主護霊、もう一つが支配霊(一人又は複数)があると言っており、この辺は先にあげた”つのだじろう”氏の本が分かりやすいのでご覧ください。
第三が、仙道・天狗道など一般に馴染みのない”道”の紹介などです。
その他、寺見氏の解説には三光道太神なるものの説明やら、聞いたことのない言葉が多々でてきますので、簡単に説明はできません。
ローム太霊は、これは宗教ではなく、様々な宗教の欠点を補正した”道”であるとしていますが、私には一つの宗教表現、形態であろうと思われます。
全体的に霊界の一つのありかたが表現されているのではないか?という点で、奇妙で面白い本だと思います。
では、また、お会いしましょう。
最近、我が家の縞ちゃんが顔を見せません。心配です。
縞ちゃん(メス)とその息子のプリンは現在、別行動をとっているようで、今年生まれた生き残りのメス(まだ、名前はない・・・募集します!)が一緒に行動しています。
昨日、プリンがやってきて(毎日きますが)、奇妙に悲しい声で鳴き、食事もほどほど。
言っていることを聞くと、いないよぅ~ と言ってます。
また、出かけて、漸く今年の縞の子供と会ったようです。連れてきました。
子猫が食事をしてるあいだ、外を見張るなど、なかなか愛情豊かです。
さてはて、今回はローム太霊の最終回ということで、まとめてみたいと思います。
まだ、全部読んでいないのですが、ほぼ、わかりましたので。
ローム太霊は、竹内満朋氏(故人)が主催していた紫光会という団体で、竹内氏が語った講話を寺見文夫氏(会員)がまとめたものです。
ですから、かなり実利的な話も多々でてきます。
会員の生活を豊かなもの(経済的・心理的に)とすることにより、人々が神界へ達するように指導しやすくすることがその根底にあるようです。
ローム太霊の考えでは、この世に生まれた以上、何らかの使命が神から与えられているとしているので、その使命をまっとうするためにも、様々な実利的な方法が披露されています。
無論、その実利的方法を利用して生活が豊かになったからといって、放漫な生活や態度をとるようになることは厳しく戒められていることは言うまでもありません。
また、人生における苦難は試練と受け止め、苦難を修行としてとらえる点でも特色があるかも知れません。
<苦難→修行である→乗り越え>という構図が浮かび上がります。
人生には苦難が多いほうが良いという点でも、単に実利的な方法により会員を集めようとしている訳ではないことがわかります。
むしろ、苦難が多くて投げやりになるのを避ける方法の一つとして、実利的方法を教えているとも考えられます。
さて、ローム太霊の講話は、実利的な面を含みながら、死の直前とその後すぐの幽体の状況が詳しく書かれている点に、もう一つの特徴があります
自殺したらどうなるか、心中の場合はどうか、事故死の場合はどうか、戦争で死んだ場合はどうかなど、極めて具体的です。
もう一つは背後霊と協調・提携しながら人生を生きることを勧めています。
背後霊には、自身の先祖の霊=主護霊、もう一つが支配霊(一人又は複数)があると言っており、この辺は先にあげた”つのだじろう”氏の本が分かりやすいのでご覧ください。
第三が、仙道・天狗道など一般に馴染みのない”道”の紹介などです。
その他、寺見氏の解説には三光道太神なるものの説明やら、聞いたことのない言葉が多々でてきますので、簡単に説明はできません。
ローム太霊は、これは宗教ではなく、様々な宗教の欠点を補正した”道”であるとしていますが、私には一つの宗教表現、形態であろうと思われます。
全体的に霊界の一つのありかたが表現されているのではないか?という点で、奇妙で面白い本だと思います。
では、また、お会いしましょう。
ほんと、猫語に長けていますね。
でも、そういった動物の基本的な愛情。動物たちからも教えられることがたくさんありますね。
また、縞とかプリンという名前。外観のイメージからつけているのですか?
次回のロームの最終回、楽しみにしています。
さあ、今日も一日ファイトです。
猫ちゃんは、なんともいえない安らぎを与えてくれますので、捨て猫にするとかは絶対止めて欲しいと思います。動物の良さが最近テレビを見ても見る感覚が違ってきました。イトオシイという感覚です。
一匹一匹1頭1頭に個性があり主張があるのですね。
最近は夢をちょくちょく見ますね。
太り過ぎた私が機関車に乗れなくなった夢は笑ってしまいました。(現実です)
お話楽しみにしております。
なにやら、どう説明していいか分からないという感想です。
猫とは不思議と縁があり、現在、訪問している猫たちは、以前書きましたように、居候君の一族です。(多分)
縞の名前は、体の模様から、プリンは息子が食べ物の名からつけました。
今年の子猫(メス)はまだ名無しです。
猫語は、猫の鳴き声、態度などから理解できます。
縞がここ1週間以上、顔を見せません。本当に心配してます。
最近は、私が出かけるとき、1町くらいついてくるほど慣れていたのに・・・。
どうしたのでしょう?
1昨日、奇妙な夢を見ました。
下町風のぼろ家(我が家かも)が立ち並ぶところに人間を少し大きくした程度の豆タンク(戦車)が現れ、見ていると1軒の工場風の建物に突進。その後、立ち並ぶぼろ家に突っ込み、キヤーとかウワーとか悲鳴が聞こえる中、家を次々潰していったのです。
一並びの家々を潰すと、Uターンしてこちらに向かってきました。まずいと思い、逃げたのですが、今度は茶色の土壁の丘があり、その上からゴリラ風の猿が大きな土の塊を投げてくるのです。
ほうほうの手で逃げたところで、その夢は終わりました。
変な夢でした。
機関車に乗れないほうが、まだマシですね。
唯、一言いわせて頂きますと、真理とは<神の法則>のことをいうようです。仏教でもキリスト教でも真理と申しますし、真理は法則であるとも言います。この世の真理=自然の法則、あの世の真理=あの世の法則?、創造主の真理=創造の法則?などがあるのかと思います。そうした真理と説くことが、一般に宗教的な思考と思うのですが、如何でしょうか? 哲学ともいう場合がありますが。
真理・法則という言葉は抽象的であり、その示すことが何であるかは我々凡人にはなかなか理解しずらいところがあります。
私が理解するところでは、少なくとも神(創造主)は法則そのものではないと思っています。
神=法則であるなら、神の上に法則という神=無為の
行為者があることになります。
もし、法則=神であるなら、それは神とは呼びません。
以上が、法則様に対する私の見解で御座います。