虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

綾糟(あやかす)

2006-06-06 01:41:43 | 宗教
取り敢えずになるらしい。

6月になった。もう、1年の半分になろうとしている。

今日のタイトルは、綾糟である。
綾糟ってなに?と思うであろう。私もよく知らないが、人名である。
日本書紀に出てくる蝦夷(エミシ)の指導者の一人で、捕らえられた人物らしい。
実は、5月の給料日に本屋でみかけ、購入した「古代東北と王権」(中路正恒)とういう本の中にでてくるのである。
副題が-「日本書記」の語る蝦夷-となっているように、日本書紀のなかででてくる蝦夷関係の記事を収録、検証した本である。

基本的には学者の書いた本であるから、日本の古代史を充分熟知していなければ頭が混乱する本だし、画期的な視点の新しさはみあたらない。

この本は、最初にこの綾糟という蝦夷の指導者が投降?し、天皇(大足彦天皇)と対面?した場面から始まるのである。

天皇曰く、簡単に言うと「お前たちを殺すぞ!」と言ったところ、綾糟等は「・・・乃(すなわ)ち泊瀬(はつせ)の中流に下て、三諸岳(みもろのおか)に面ひて、水をすすりて盟(ちか)ひて曰さく、」という行動をとったらしい。

この行動について、著者はウダウダと検証しているのであるが、結局、自分の故郷の山に似ている三輪山に誓ったのだという結論をだしている。

本当にそうなの?

著者は、こう書いている。

「三輪山は、ヤマトにありながらも、多くの土着的な人々によって、故国の神々への<通路>となりうる山と感じられる山であり、三輪山の神、大物主とは、それゆえにこその<名>であったのではないだろうか。」

おやおや。ヤマトが占領される前の人々が畏敬の念をもって眺めていた山が、三輪山であったと考えれば、何の不思議もない話なのだが。

元々、神武天皇がヤマトに侵略して、奪った地であろう。
日本書紀にそう書いてあるではないか。
こんな歌が載ってる。(神武天皇)

「エミシヲ、ヒタリモモナヒト、ヒトハイヘドモ、タムカヒモセズ。」
(夷を、一人で百人に当る強い兵だと、人はいうけど、抵抗もせず負けてしまった。)

自分たちの故地に捉えられて来たのであるから、かっての神の山に向かって誓うことが、そんなに不思議なことだろうか?

こんな単純ことが48ページにもわたって、検討されている。
流石に学者である。

てな話で、学者とは不思議な人間であるという、他愛もない話でした。

またね。





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2 コメント

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古代史 (ミューシャ)
2006-06-06 21:10:19
一刀斎さん、こんばんは。



三輪山ですか。一説には、もともと饒速日(ニギハヤヒ)が治めていたところみたいですね。

そして、比較的温和に神武天皇に譲り渡したのではないかとのこと。

実際、以前は天皇家も伊勢神宮には参拝せずに、大神神社には参拝していたいたらしいです。



歴史とは、なんなんだろうなと思ってしまう今日この頃。事実との相違。



でも、蝦夷という言葉ではっとしたのですが、イエスという名にも夷という文字が使われていたのを最近、目にしました。

どうも、時の権力者たちは、目の上のたんこぶ的な存在に対しての恐怖心を常に感じていたようですね。徹底して、悪いイメージを植えつけさせている感じ。

古代史も見ていくと、な~んだ、こんなにも温和な一族だったじゃないというようなことが多いですね。
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興味が尽きない古代史 (拝 一刀斎)
2006-06-07 01:39:56
ミューシャさん、こんばんわ^^



古代史はわからないことだらけ・・・謎だらけで面白いですねぇ~。



日本には古代の文献が焼かれたために、古事記とか日本書紀しかなく、学者はそれらと中国、朝鮮の文献をたよりに色々と論を述べていますね。



偽書と言われる竹内文書やホツマ伝など、色々なものが公表されていますが、学者の世界ではまったく相手にされていません。

日本の学者の知性が疑われるところですが、かの石の医師も、学者には相手にされなかったそうです。

これは、世界的な傾向なのでしょうね。

ま、ミューシャさんの好きなアトランティスだって夢物語ですからね。

でもね。アトランティスに今日ある宗教の根源があるのですから、はたまた、どうやって証明したらいいのでしょうか?

歴史の中に、その証明がないのでしょうか?

シュメール文明の文献を読みたいのですが、片田舎にはその影すらありません。トホホ。
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