おがはまのつぶやき

ボケばばぁの独り言です。今後の老老介護ならぬ朗々介護目指し、
ボケ老人の扱い募集中です!

夏休み

2010-07-28 06:30:47 | Weblog
7月18日のサマーコンサート、25日は夏祭りの盆踊りと続き、今月はとっても忙しく過ごしました。一週間前に余りの暑さに、夜、窓を開けて風邪を引いてしまいました。気になるほどでもないので、家庭医薬を飲みました。体は反応しますが、反応したくない細胞が足を引っ張って思わしくなく、今日呆れて病院に行ってきました。去年も夏風邪でお世話になり、先生は「今年もですか?」思わず肩をすぼめてしまいました。去年は次男に沖縄と屋久島へ連れて行って貰うのに、3日前に風邪を引き点滴をして頂いて、屋久島をトレッキングして来たのを思い出しました。今週末には娘家族が来るので、絶対治しておかなくてはと時間があれば横になって、じいさまが忙しくしているのを、横目で見ながら、昼寝です。夏風邪は暑さとの調和でコントロールが難しいです。上半期はこれでお盆までお休みにします。みなさんもお体には十分のお気をつけ下さいませ。

電話

2010-07-21 17:43:49 | Weblog
これまでの電話には一生に一度の試練がありました。初めて留守電が入って間もなく、じいさまの妹から留守電がありました。留守電があることを知らずに、おばあさんが途中で聞いたのだと思いました。内容は「わたしがいないと思って、うふふふ」で、無くなっていました。夕べは定例のコーラスの練習日です。おばあさんが起きてくるまで、掃除をしながら、「娘だから当たり前のことだ。」と自分に言い聞かせていたのですが、顔を見たらつい言ってしまいました。聞いた時はこの20年間は何をしていたのだろうと、新しい利便性の留守電を恨みました。聞かなくてすむのであれば聞きたくない小姑の留守電です。「おばあさん、わたしがコーラスに行った時に電話で話をして来ていたの?」と朝食を食べながら話したら、案の定否定されました。それまで誰も電話を掛けてこないなと不思議に思っていたのでした。わたしが24時間いつも一緒だから遠慮したのかもしれませんが、聞くことも無かった自分が余りにも情けなかったです。じいさまは出稼ぎに行き、次男も東京へ就職して、長男と長女がまだ学校でした。二人で朝食後、いつものように向かい合って和裁の仕事をしていたのですが、おばあさんの顔を見ると涙が自然と出て座っていられません。「おばあさん、山に登って来るから」と言って、ザックにおにぎり、おかし、みかん、ヨーグルト、お茶を入れて10時頃から900Mの山を登りました。汗がいっぱいでて、息を切らして登りながら考えて、自分の気持が如何に小さく,あさはかだったことか。子供だったらそうするかもと考えを改めました。何でも話せる関係にしようと反省をして家に帰って来ました。凝りもなく留守電の確認をしたらその下の引き出しに妹の電話番号がはみ出ていて、「おばあさん又、電話したの?」と勇気を出して言ったら、初めて気の強いおばあさんは誤りました。これから隠し事をしないように気をつけようと言って見たものの、胸がいっぱいで次の日は染物屋さんに行きながら、気分転換にゆっくり遊んで帰って来ました。と言っても、遊んだことがないので、何で遊んだら良いか解らず自分で笑ったことを思い出しました。結局デパートを巡りながら、自分の不甲斐なさを責め、家庭を大事にして来たのに、この20年は何をして来たんだろうと思いました。攻めるのではなく、じいさまの帰りまで家を守ってそれから考えようと思って何十年です。おばあさんを寝せなかったのはここにあります。パーヘエクトな3姉妹にはかなわず絶対寝せないと言う信念が生まれました。穏やかに暮らすには大変な努力です。気持を大きく持って心のポケットを上手にコントロールしないと共倒れになってしまいます。今日は新しい電話が入りました。この電話はおじいさんおばあさんの和裁の弟子で,一番慕ってくださっていた息子さんから買ったものです。歳を重ねてもよく家に寄って来てくれました。お通夜にお伺いしてお話を聞きましたら、電話が壊れた日と、亡くなった日が、同じだったことに驚きました。余程、先生に思い入れがあったのでしょう。その場で電話をお願いして、今日来てくれました。設定して貰って一番に掛かってきたのは、忘れていたと思い込んでいた、お隣のおばあさんでした。「2時だけんとお茶、ね?」やっぱり毎日掛けて出ないから玄関に来ていたのだと笑ってしまいました。

人参ドレッシング

2010-07-14 06:08:12 | Weblog
わたしは人参がどうしても食べられません。目をつぶってもあの甘さが口の中で飲むに飲まれず、、、、です。子供のようだと言われますが、無意識に容器の中に人参だけが残ってしまいます。胃検診の時も余程の腹をくくらないと、終わった暁には30分苦しみが待っています。この下手には理由が幼い時にあります。S27年はわたしは小学1年生です。学校給食がありました。脱脂粉乳のシチュウの中にある、大きく見える人参が食べられません。秋田先生と言う男の先生はわたしの食べ終わるまで、グループで残しみんなの「ひんしゅく」をかいました。無理して食べて今度は嘔吐し涙が出てきます。木琴の棒の頭で叩かれて、楽しい給食より、悲しい給食時間でした。楽しく食べる訓練が出来ていませんから、トラウマなのか、抜け出せないでこの歳になりました。この間のお土産にじいさまの弟へと、酒田から「人参ドレッシング」を買ってきましたが、間違って渡してしまい、我が家で食べることにしました。思い込みで玉ねぎドレッシングと思っていましたから、開けるまで気がつきませんでした。えーっ?と思いましたが思い切ってトマトやきゅうりにかけて食べたら匂いはしないし、まろやかだしと、すっかり気に入りました。考えた人は偉いなーと感心しきりです。やっぱり今までのは思い込み?と思いましたが、味噌汁の人参はやっぱり食べられませんでした。一緒に行った友達は料理も上手だし、ドレッシングもお手のものなので、聞いて見ようと思いました。ちなみに、我が家の畑には人参は植えていません。

採りたて野菜

2010-07-12 06:17:47 | Weblog
毎日やりたいことばかりで、時間がたりません。梅雨の合間を縫って畑へ、帰ってくれば、お隣のおばあさんがくもの巣を張ったようにお茶の半強制が待っています。やっと落ち着いて仕事はと言うと10時になります。2時間になると昼食です。3時から夕食の準備、4時の夕食後お茶して出勤です。その後又、お隣のおばあさんのお茶のお迎えで1日が終わります。でもその合間にはモモの散歩があります。10年前から夜9時.10時まで仕事をしましたが、近年黒地は目に負担があったり、仕事が少なくなったりでこの頃はPCに向かうことが多くなりました。この頃は新鮮なきゅうりやトマト、大根、ナス、さやえんどうが採れて畑に行くのが楽しみです。白菜、レタス山東菜、ほうれん草も終わり、次の段階に入りました。これからキャベツ、ブロッコリー、じゃがいもと続きます。何本単位ですが、毎日畑に追われて気ぜわしいです。よその人の時間の過ごし方はどうなっているんだろうと気になります。今日は午前中からとうもろこしが倒れないないように支えてあげる仕事です。水分補給に畑で採りたてのトマトを、無農薬なのでその場でじいさまと1個ずつ食べました。甘くて、水分豊富でとっても美味しいです。作った人だけが知る味なのです。そこへじいさまの弟夫婦が来て、「家にモモしかいないから畑かと思って、、、」とやって来ました。モモは昨日ワクチンの注射をして来たので、留守番にしました。お昼は畑で食べようと、パンや果物を持って行きましたから、シートを広げてみんなで昼食にしました。ハングライダーが頭の上を何基も飛び、周りは緑が広がり開放感があって心地良いです。採りたて野菜をお土産に持たせて喜ばれました。やっぱり自然に感謝、そして癒されます。

80歳の目標

2010-07-11 06:27:39 | Weblog
この間の旅の帰り道に、品の良いお母さんとお話する機会がありました。電車の中で2人で向き合い、ゆっくりとおしゃべりを楽しみました。聞くことによりますと、お姉さんは連れ合いが亡くなって一人暮らしになりました。子供に恵まれませんでしたから、いざ老後となると大変です。マンションの財産を売って、完備されたホームにお世話になることになりました。自分が全部後始末をして、年に1.2度静岡まで会いに行くのだそうです。「お土産は何を喜ばれるんですか?」と聞きましたら、着る物だそうです。幾つになっても女なのだと改めて女を意識しました。とっても少女のように可愛い仕草をするものですから、「失礼ですが、お幾つですか?」「80」と手早く教えます。おしゃれで言葉が綺麗で仕草がその都度に可愛いいです。わたしは可愛いいと言う言葉は、程遠く縁遠い感じをしていましたから、????です。背筋もピッとして目もはっきりしています。『姉がね、「帰る所が無い、帰る家がないからとっても辛い」と泣いていたのよ、』理解して、納得してホームに入ったものの、お互い抱き合って泣いて悲しかったわ。でもね、帰りの楽しみは東京駅の大丸のお店で、歩くのが疲れるので、若い店員さんに「わたしに合いそうなの何点か持って来て」と頼んで、これを買ってきたの、いいでしょ?」生きるすべを上手にこなしているのでした。3泊4日はホテルだそうです。わたしも80歳で一人で子供たちのいる東京まで行きるかなと不安になりましたが、目標を持つことが大事だと思いました。そして言葉も綺麗に話す80歳でいようとひとつの道が開けた感じです。

ぼっこれたボイラー

2010-07-08 06:25:13 | Weblog
とうとう旅に出かける前日にボイラーが壊れてしまいました。「ぼっこわれる」とはこの地では壊れると言う意味を言います。今はあまり使いませんが、今回は車検と電話の着信がならないのとで一度に壊れてしまいました。語気を強く表現すると、わたし的にはこうなります。挙句に蛇予防に玄関に網戸を入れることにしました。同時なので頭を抱えることになります。この頃、何かが起こる予感が何となく感じていて、気をつけて気を張っていたのですが、こんなに申し合わせたように来るとはがっかりです。早速知人の電気屋さんに来て頂きました。夕方にだんだんと空が曇り「明日でいいですよ」と声を掛けたら『はーい』と言ったまま仕事を続けています。そのうちに雷と強い雨が降って来ました。行って見たらなんと、頭からだらりとタオルをぶら下げて無心に仕事をしています。男の中の男に見えました。「お母ちゃんに怒られるから明日にしたら?」『はーい』と言って止めそうにありません。90センチのボイラーが入っている箱を、ずりずりと引き運び、まだ雷と大雨の中、社長自ら動いて社長なんだなーと思いました。現場を何箇所と抱えていて、指令しながらフル活動です。顔も手も黒くなって、働いている姿は勇姿に見えました。わたしより一年上で働き盛りです。人生で一番力量の発揮する年代ではないでしょうか。お客さんの立場になって、時間ぎりぎりまで仕事をして、今から消防だと慌てて帰って行きました。迫力があって、懐が深くて、生きている力強さを感じます。

酒田と鶴岡

2010-07-05 06:11:39 | Weblog
大人の休日切符のお陰と、友人のお陰で道中楽しく旅をして来ました。わたしは薄学なので、友人2人のセッテイングにお任せコースです。五能線と12湖に行きたかったのですが雨ということで、前日に改めての計画やり直しをしました。ネットで1時間足らずで決めますから、頭の回転が早くプロ中のプロです。3人集まるも地図も社会も歴史も「あー、聞いたことがある」程度のわたしは、小さな声でうなずくのみですが仲間に入れて頂いて、今年で5年目になりました。5年ともなればわたしも少しは慣れて、後ろを付いて歩いても「見る」という気持の余裕と、彼女から頂いて教えられたデジカメで、好きな風景を撮ること出来るようになりました。世の中を歩く事によって視野が広がり了見も広がり、自分がステップアップしたかの錯覚になります。が、覚えようと背筋をピッとするも3歩歩くと忘れ、友人の話を聞いて納得する旅でした。酒田の山居倉庫で60キロの米俵を肩に担ぐコーナーがありました。挑戦するもこの歳ではピクともしませんでした。頭が駄目なら労働と思うも叶わぬただ食いの65歳です。少しは勉強に目覚めました。「どこが?」とおもうでしょうが、行書の字が読めずとも、写真があったり、解説があったりするので解ることができました。その程度でもわたしには新鮮な勉強なのです。一泊2日の観光コースは上手に無駄なく見て歩きました。旅慣れた友人には脱帽です。お見事でした。

おじいちゃんの孫

2010-07-01 06:27:23 | Weblog
じいさまの父、いわゆる我が家の初代が亡くなって28年になります。おじいさんの上に兄がいて20歳も違います。実家は真中の姉が跡継ぎをしました。20歳も違うので、おじいちゃんと呼んでいます。亡くなられても40年以上になります。我が家のおじいさんは、40歳で結婚しましたので、じいさまは43歳の時の子供です。従兄弟は亡くなり、代替りになって、孫とわたしのじいさまは68.70歳です。その孫の兄である長男は父(従兄弟)より早く亡くなり、その後父が亡くなられて長いご無沙汰をしておりました。2年前にブログにも書きましたが、長女と初めてお会いした彼女とは姉弟です。お会いした時の話を聞いたのか、大人の休日の切符で出かけて来たのでした。午後2時に「朝霞の孝雄です」と玄関に立っています。初めてだったので疑ってしまい、じいさまを呼んで確認し安心しました。初めての挨拶を終えてから、「拝ませて下さい」と最初の言葉でした。本家にも挨拶して拝んで来ました。「神社を参拝したいから案内をして欲しいと言われました。じいさまは今日はお泊りなので、職場に連絡して6時出勤にして頂きました。おじいちゃんは信仰心がありましたから、神社、お寺に寄贈しておりました。神社に代々の関わりを持つ本家ですから、本当は長男が後を継ぐのですが、朝霞に上京しましたのを、どこかで、語り継がれていたのかなと思いました。神社で参拝をしているうちに、弟に海の側の民宿を探して貰って、送り届けることになりました。民宿は4.5件断られて、この切符の盛況さを知りました。明日は三陸鉄道を楽しむのだそうです。弟の家に寄ったら、弟は兄思いなので、民宿に送るからと言われお願いしました。やれやれの3時間で気ぜわしかったです。68歳ともなれば色んな思いに、悔いを残さない考えになるのかもしれません。一族も神社も御先代さまも暖かい気持になった時間になりました。大人の休日のお陰さまです。今度はわたしが、2.3日と秋田の五能線に乗って12湖の青池に行って来ます。運が良ければ夕日と出会えることを楽しみにしています。