おがはまのつぶやき

ボケばばぁの独り言です。今後の老老介護ならぬ朗々介護目指し、
ボケ老人の扱い募集中です!

懐かしい歌

2013-01-30 06:59:58 | Weblog
NHKの歌謡ホールを見ました。この所のわたしは、歌番組には疎遠になっていました。懐かしさを感じる歌謡曲です。やはりわたしの年代は、頑張っても今の歌にはついていけません。久々の慣れ親しんだ昭和の曲は鼻歌もでてきます。今晩の竹下景子さんのリクエストは、S44年の「遠い世界」です。長男の生誕で、子育てと嫁の立場で遠慮があります。夜9時、10時まで仕事をしていましたから、テレビにかじりつくことはありませんでした。今日初めて聞きました。ところが、歌えたのです。題名に覚えはありませんが、何度か聞いたことがあったのでしょう。歌詞も書かれているので、声を出して歌えることができました。そして、歌っているメンバーを初めてお目にかけたのでした。同時にあの頃の子育てが、懐かしく思い出されました。子供の幼ない顔も浮かんできます。曲はラジオかなー、テレビかなー、思い出そうと思っても、なんとしても思いだされず、ただただ、懐かしかったのでした。心に残る歌の素晴らしさを、改めて感じることができたのです。それにしても、何故歌えたのだろう。痴呆が進んだのかなー?

抱擁

2013-01-28 07:18:22 | Weblog
テレビの報道特集の番組を見ていたら、若年痴呆になった妻を周りのスタッフの協力と、夫が賢明にお世話をしていました。明日は我が身と「理想通り」が羨ましかったです。彼は妻の病気と歩調を合わすことができます。そして、痴呆になっても慈しむ気持ちが、以心伝心で語らずも分かり合えていて、本当に羨ましく思いました。妻が不安になったり、興奮したりすると、「わかった、わかった、こうかい?」と、しっかりと肩を抱いて背中をさすってあげます。妻は満足そうに表情が和らぎ、「うんうん」言っています。人は生まれた時から、抱っこされて安心感を 頂きます。幼子も抱っこされたくて甘えることもあります。年を重ねても抱擁は大事なことに気づかされました。しかし、わたしが一方的にそう思っていても、相手があることです。修業の足りない私と夫は、真っ正直すぎて愚痴が出てくるような気がします。抱擁していただける夫婦は幸せでしょう。この年になって、昔の人の女の生き方は、「何事も我慢」で分かり合えた夫婦は何割だろう?と比べることがたびたびあります。痛さも半分になるのは確かです。では、わたしは?とまた問いかけてみると、気の利くロマンチストには程遠い夫婦ですから、木で鼻をかむのと同じではと苦笑です。痴呆になっても、愛しいと思わない限り、求めても無理と言うものではと、成行きに任せることにしました。

リメイク

2013-01-21 22:36:29 | Weblog
嫁に来た時は、我が家の本職は御誂えの洋服やです。舅、姑は着物も仕立てておりました。夫が50歳の時に、時代の流れに沿って転職して、11年間出稼ぎしました。子供を大学へやりたいと、小学校低学年の時に、出稼ぎしたいと言っておりましたが、子育ては家族揃って育てた方が良いと、子供が高校を卒業するまで洋服やで頑張りました。昨日は劇的な出会いがありました。40年前位に我が家で仕立てた、礼服の下を持って来たのです。Wのすそ上げなので、Sにして欲しいと言うことです。縫い方の癖が一軒づつ違いがあります。縫い代の後始末は「しろも」で\縫いです。何とも懐かしく、縫い方をしみじみ眺めました。今はロックミシンで始末をするのです。針目もとっても細く、目が揃っていて綺麗です。今は老眼なので、いくら頑張っても目は大きくなってしまいます。若かった頃の、じいさまを改めて感心しました。そして、昔の職人に思いを馳せました。じいさまは昭和29年に中学を卒業して、家業の後を継ぐ為に、銀座の「ますや」さんに弟子入りをします。それから29歳に帰って来て、家業を継いで洋服やとなりました。その頃の誂え方なので時代を感じます。洋服組合もありましたが、今はありません。本当に作り方が懐かしく思いました。全部細い所は「手」のみです。今はチャックですが「ぼたん」になっていました。わたしもボタンホール、襟の刺し方、かんぬきをさせられました。じいさまの性格が出ていて、丁寧にされています。お客さんには感謝致しました。大切に着て頂いて感無量です。衣類の虫にも守って頂き、立派にしまわれていました。昔を思い出した仕事でした。

カキ

2013-01-16 07:45:45 | Weblog
すぐ下の弟が午前中にカキを届けてくれました。末の弟が退職後に家業であるカキの養殖業を手伝っています。震災後はグループ16人でカキの養殖を立ち上げて前に進みだしました。ところが、グループの一人が誤って海に転落して、亡くなってしまいました。出荷は取りやめになり、グループ内で分けることにしました。弟は手伝いながら、カキを沢山もらってきて、内陸に居る兄弟に分けてくれるように頼まれました。カキの貝付き10個も添えてあります。弟は作業の様子を楽しく言いました。カキはカゴで35個もあって、よくもむいたものだと感心していました。殻は暗きょ排水に回して使うと言うので、一か所に集める所まで持って行き、お義父さんと「せいーの!!」と力を合わせて重ねて来て、「そのカゴまで水洗いしてきたんだぞー」と達成感を味わったようです。そのお義父さんは83歳で、末の弟は1年生ですから、覚えることがいっぱいです。ロープの結びかたも種類が多く、手取り足取りの教えでしょう。温かい雰囲気で、わたしらが行っても居心地がいいです。家族が温かいと、温かい同志が集まるものと思っています。ですから立ち上がりも早かったです。ちなみにお嫁さんも来て同居しています。弟はカキ剥きの実践をして教えてくれました。貝の平の方を上にして、「ここからとがったナイフを入れてな、貝柱をめがけてな、ぎゅぎゅっと入れてな、こう、、クリクリ横にするとはがれるからよ、、そうしたら水を流して洗ってな、下をはがして元に戻すと、ほら!、立派だべ!」。ナイフを入れる場所が、やっと迷わなくなりました。早速大きいカキはフライにして、小さめは酢の物にして頂きました。一番は貝の中に居れて醤油とレモンで食べたのが美味しかったです。

あのね お父さん

2013-01-12 06:51:52 | Weblog
今日11時過ぎに、竹馬の友がやって来ました。彼女は61歳で右半身が不自由になり、夫の支えで元気に生活ができるようになりました。小学校の時から優しさと謙虚さが、同級生からも憧れの少女でした。言葉も思うように発せられなくなっても、そこは変わりません。一番大好きで大切な友人です。今日は「この本読んでください」と差し出してくださいました。夢中でいっきに読んでしまいました。優しいからご主人も優しさで答えた本に出来上がっていました。「孫たちへの贈り物のつもりで書き上げました」と、次世代への思いやりです。フレーズは「~妻とともに歩んで~」と書いてあります。妻への思い、孫への思い、お見舞いに来られた方へのお礼の思いが書いてあります。絶対に伝えたい時に、「あのね お父さん」は、彼女には絶対言えないとストレスになると思いました。良妻賢母の彼女には気が気ではありません。必ず肝心な時に発していました。気が付くご主人は感謝で答えています。感謝の気持ちが功を奏していて、こちらも安心感を頂きます。彼は「命」「家族団らん」は、彼女が病になって一番大事なことに気が付いたと思います。病が落ち着いて夫婦の時間を大事していて、ドライブや旅行を楽しんでいます。病に倒れて6年経ち、スタッフのみなさんに支えられて、今も頑張りの進行形です。これからも彼女らしい生活ができることを念じ、お礼のはがきを書きました。

お正月

2013-01-06 20:17:17 | Weblog
お正月らしいお正月を迎えました。あけましておめでとうございます。風が冷たくても、茶の間は賑やかなでした。2人の生活から一変して7人の声が聞こえて、時間が止まってくれればいいなと思った瞬間がありました。そして元気に生きていると思った瞬間でもありました。夜8時頃に急に疲れが出た感じがしたので、寝ることにしました。2番目の男孫が朝から、わたしと一緒に寝たいと言っていましたが、黙って寝ることにしました。すぐに気が付いたのか追いかけて来て、潜ってきました。「お母さんに言って来たの?」と言ったら、聞いて来て「いいよ、だって」と言って、5分も経たないうちに熟睡していました。わたしのどこがいいのかわかりません。風邪をひかないように気を配ります。客間には一晩エアコン暖房があります。こちらには寝るまでの暖房です。体調はと言うとそれから1時間ごとに起きる羽目になりました。よくも目が覚めると体に感心しました。最後は嘔吐が待っていました。それでも孫は熟睡しています。老いたバ~バと小学1年との感度の違いです。風邪かな?と思いましたが、孫の力で帰るまで乗り切りました。それから食欲もなく寝正月になりました。思い出に残った添い寝のお正月でした。